2003年9月3日 

産経新聞読者サービス室 御中

“人間と性”教育研究協議会     
性的マイノリティ教育研究セクション 
 
        2003年8月18日付及び28日30日付「産経抄」についての抗議文

初秋の候、貴社におかれましてはますます御清栄のこととお慶び申し上げます。
 さて、2003年8月18日付及び28日付、30日付産経抄で下記の点につきまして私どもは抗議いたします。御高覧の上、御意見等ございましたら配達証明郵便にて書面でいただけますよう御配慮のほどよろしくお願い申し上げます。なお、そのような書面をいただけない折には私どもの抗議内容を受け入れていただいたものとして理解させていただきます。また、この抗議文は貴社の御対応の経過と共に私どもホームページ並びに各関係協力団体ホームページにて公開させて頂いております。

1 18日付産経抄本文中、「ジェンダーフリー(性差解消)」という表現があるが、「ジェンダーフリー」という言葉を「性差解消」という言葉に置き換えることは不適切である。「ジェンダーフリー」とは社会・文化的に作られた性=ジェンダーに必ずしも縛られる必要はない=フリーという意味であり、「性差解消」という言葉は「ジェンダーレス」と置き換えられるべきである。両者を混同した表現は読者に誤解を与える。

2 18日付産経抄本文中、「東京の港区が男女共同参画政策の一つとして区の刊行物八千部を全職員に配った。その刊行物で『ちょっと待った! そのイラスト』と、いろいろ注文をつけていたという。
 ▼たとえば保育園の送り迎えの風景で、女性だけが描かれているイラストは『固定観念にとらわれている』からダメ。父親もカバンを持って登園する絵にされた。また女性の晴れ着だけの成人式風景は男性を加えたものに改められた。」とあるが、女性だけが保育園の送迎を行うイラストは性別役割分業を助長しかねないものであり、国が推し進める男女共同参画社会の理念に反する。したがってイラストの差し替えは正当な行為であり批判すべきことではない。また、成人式は男女ともに祝うべきものであり、女性の晴れ着だけを描いたイラストは女性のイメージの固定化、ひいては性の商品化につながり、書き改めることは当然図られるべき配慮である。

3 18日付産経抄本文中、「▼そういう人たちは両性具有とか同性愛を過剰に強調し、男女間の性愛と同列に扱う。男女間の性愛をことさらに『異性間情愛』と呼んだりしている。こうなるとなにが正常なのか、判断する常識を人びとから、とくに子供から奪っていくことになる。」とあるが、半陰陽や同性愛はそれぞれ人の多様な性の在り方の一つであることは医学的に証明されている。したがって「正常」の対極として「異常」とみなされ差別されるようなことではない。特に同性愛については1973年、アメリカの精神医学会が精神障害のリストから同性愛を削除したこと、1993年、世界保健機関(WHO)が国際疾病分類から同性愛を削除したこと、1995年、日本で精神神経学会が同性愛を精神障害とみなさないという決定を下したことなどから鑑みても貴欄の差別的な発言は許されることではなく甚だしい人権侵害である。これはもちろん私どもが、同性愛が精神疾患ではないことにより差別の対象とはならないと主張をすることで、精神疾患を理由に差別が行われてしかるべきであるという論理の飛躍を認めることを意味しない。私どもはあらゆる差別に対し異議申し立て、反対の立場を取ることを付け加えておく。日本を代表する全国紙である貴紙の貴欄が性的マイノリティを差別する発言をしたことに対し私どもは厳重に抗議する。また多様な存在を認め合う共生教育を行う中で同性愛を取り扱うことは、確実に存在する同性愛の子どもたちだけでなく、異性愛の子どもたちにとっても人権感覚を養う上で有益なことである。

4 18日付産経抄本文中、「▼先に“ばかげた風潮”と書いたが、決して軽視することはできない。男らしさ・女らしさを否定するジェンダーフリー教育の弊害は、国を危うくすることになりかねないからだ。日本の伝統や文化も無視されていくことになる。そのうち“夏らしさ”といった季節感も否定されてしまうだろう。」とあるが、先にも記した通りジェンダーフリー教育は男女のジェンダーを無くすことを目的とした教育ではなく、ジェンダーに縛られない自分らしい生き方を求める教育である。したがってジェンダーに基づいた生き方を否定する教育ではない。必ずしもジェンダーに縛られた生き方をする必要はないというメッセージがジェンダーフリー教育には込められている。ジェンダーレスとの混同により読者に混乱を招くことは遺憾の極みである。言うまでもないがジェンダーフリー教育が個性否定の教育であるなどという批判は成り立たない。抗議するまでもなくジェンダーフリー教育から季節感の喪失へと論理を飛躍させ読者を混乱させる貴欄の良識を疑う。

5 28日付産経抄本文中「批判の多くに小欄が同性愛を否定しているとあったが、よく読んでいただきたい。けっして否定なぞしていない、それを『過剰に強調』する風潮を戒めているのである。過激なフェミニズムには反対する。何度でも繰り返して書くが、『行き過ぎたジェンダーフリー教育は国を危うくさせる』。」とあるが、
@ 18日付産経抄本文中、「両性具有とか同性愛を過剰に強調し、男女間の性愛と同列に扱う。男女間の性愛をことさらに『異性間情愛』と呼んだりしている。こうなるとなにが正常なのか、判断する常識を人びとから、とくに子供から奪っていくことになる。」とあり、この箇所が示す通り貴欄は半陰陽や同性愛を「男女間の性愛」=異性愛と同列に扱うことを否定している。半陰陽や同性愛を異性愛と同列に考えない以上、「同性愛をけっして否定なぞしていない、それを『過剰に強調』する風潮を戒めているのである。」という主張は詭弁にすらならない。「過剰に強調」の基準を示すことなく「風潮を戒め」るということは同性愛を含めた多様な性の在り方を子どもたちに語ること自体を否定すると捉えられる。「男女間の性愛」以外の性のありようが広く差別意識を持たれている現状において、半陰陽や同性愛も人間の性の在り方の一つであるとして肯定しない限り、そこに差別が存在していることを指摘しておく。
A 18日付産経抄では「ジェンダーフリー(性差解消)という名のばかげた風潮」「男らしさ・女らしさを否定するジェンダーフリー教育の弊害は、国を危うくすることになりかねない」とあり、28日付産経抄では「何度でも繰り返して書くが、『行き過ぎたジェンダーフリー教育は国を危うくさせる』。」とある。18日付産経抄では「ジェンダーフリー」「ジェンダーフリー教育」そのものを否定しているが、28日付産経抄では「行き過ぎた」「ジェンダーフリー教育」の否定に留まっている。28日付産経抄の主張は明らかに18日付産経抄の主張に比べ後退しているにもかかわらず、「行き過ぎ」と判断する基準を示し、18日付産経抄からの内容の後退を説明することなく「何度でも繰り返して書くが」と前置きをすることは読者を愚弄する行為である。それだけではなく、「行き過ぎた」という言葉を判断基準を示すこともなく用い、さらに「国を危うくさせる」根拠や因果関係を示すことなく安易に結びつけている。このような記述は読者を扇動するものに他ならない。貴欄の良識を疑う。

6 30日付産経抄本文中「▼ところで、同性愛者と名乗る匿名の男性の訴えには胸にしみるものを感じた。いまの同性愛者のささやかな運動が、ジェンダーフリーを追求する過激なフェミニズム活動家たちの主張と混同され、困っているという訴えである。」とあるが、「同性愛者のささやかな運動」における主張は各団体・個人により異なっている。特に現在日本で行われている同性愛に関する研究=ゲイ・スタディーズではフェミニズムの理論をもとに構築されているものが多い。このような事実や数多く寄せられているであろう同性愛者からの批判を無視し、自身の主張に都合の良い意見だけを掲載し、あたかもそれが現在の同性愛者の権利獲得運動の姿であるかのように読者に錯覚させることは、悪意に満ちている。

7 30日付産経抄本文中「▼フェミニズムが目指しているのは『家族の解体』である。それに対しごく普通の同性愛者が求めているものは、普通の家庭と同じようにパートナー同士が愛し合い、尊敬し合う関係を公に認知してもらいたいということである、と。」とあるが、フェミニストの多くが主張していることは「家族の解体」ではなくいわば“解体した家族”の“再構築”である。明治以来の制度疲労し崩壊した近代家族を現実に即し再構築することを主張している。そこでは現在の家族制度に想定されていない“多様な家族”を認め合うことが求められている。当然その中には同性同士で作る家族も含まれる。したがって多くのフェミニストの主張と同性愛者が求めているものとは相反するものではない。また「ごく普通の同性愛者」とあるが、人間はすべて多様な存在であり一般化するということ自体がナンセンスである。この主張だけを掲載することにより自身の主張に都合の良い意見を述べる同性愛者を「ごく普通の同性愛者」とし、自身に都合の悪い意見を述べる同性愛者を異端視する、そのことで読者に実体のない「ごく普通の同性愛者」像を植え付けようとする姿勢が読み取れ不快である。きちんと検証することなく自らの主張に都合の良い論を安易に掲載するという姿勢はジャーナリストとして失格である。なお、「同性愛者が求めているものは、普通の家庭と同じようにパートナー同士が愛し合い、尊敬し合う関係を公に認知してもらいたいということである」という読者の発言はこの日本社会ではその思いが実現できていないということの現れでもある。この思いを実現させるためにも、私たちは「両性具有」や「同性愛」を「男女間の性愛」を同列に対等に位置づけたジェンダーフリー教育が必要であると考える。

8 30日付産経抄本文中「▼この人はフランスで暮らしたそうだが、欧米では街角で同性愛者が殺される事件が後を絶たない。それに比べ日本は恵まれている。権利だ差別反対だとヒステリックにならないのは日本の社会が寛容だからだ、とこの人は感謝していた。そういう意見もあることをご紹介した。」とあるが、日本では欧米に比べヘイトクライム(憎悪犯罪)が少ないということは事実であるが、それに対し「日本の社会が寛容だからだ」と理由付けることは誤りである。憎悪犯罪という目に見えやすい形での差別が少ない分、明確な反差別運動が展開し辛いため学校や職場、ジャーナリズムを含めた社会、そして家庭など公私を問わず陰湿ないじめや差別が横行しているのが現状である。異性愛者のふりをして生活をすれば差別されることはないという現実の元、多くの同性愛者は自分らしく生きる機会を奪われてしまっている。また近年日本でも若者たちを中心とした“ホモ狩り”という名の憎悪犯罪が増加しているという事実も付け加えておく。“7”と同様、貴欄のきちんと検証することなく自らの主張に都合の良い論を安易に掲載するという姿勢はジャーナリストとして失格である。 

9 性は極めて個人的なものであり、かつ人権の問題である。差別や偏見に苦しんでいる性的マイノリティに対する配慮を一切せず差別的な論を掲載し人権を侵害した貴紙及び貴欄に対し厳重に抗議するとともに、貴紙の読者の中にも必ず心を痛めている性的マイノリティは存在していることを付け加えておく。

以上