"人間と性"懇談室4月例会 感想と報告

                                            2012年4月23日

 『月経の文化史〜聖と不浄の狭間で 』 話題提供 高柳美知子                         

    

 例会のまとめと感想

 

● 月経は永い間、生命の誕生との関係で、聖なるものと考えられてきました。それが生産力の発展・私有財産制の成立・階級社会の発展と共に母系社会が崩れ、権力が男に移るに従い「血の忌み」「女人禁制」なる思想が成立してきます。

 近代になると聖であった月経は、穢れになります。月経が済んでからの女性は鬼婆とされます。男性は好々爺です。男女で随分違います。

 話題提供の高柳美知子研究所長も、初めは女である自分の身体を忌み嫌いました。しかし国語教師として、古典文学を学ぶ中で、イザナギ・イザナミ、ヤマトタケルを読み、月経を「神に召された印」とされているのに感激します。穢れているから月経部屋にいるのではなく、月経は「神様と交わっている時」とされます。神道の性は聖でした。儒教や仏教、キリスト教では、そうでない。

 もう一人、高柳所長を穢れ呪縛から解放してくれたのは、アンネ・フランクでした。屋根裏部屋で初潮を迎えた彼女はユダヤ人として、何時殺されるか解らない中で月経を、不愉快だし、鬱陶しいが「甘美な秘密」としています。

 日本は性産業先進国ですが、性教育後進国です。

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● 仏教・儒教・キリスト教では、「性は穢れ」であったと報告されたが、それは日本に伝来され支配者に迎合した思想として、その時代、その時代に作り変えられたものです。

 特に江戸時代の儒教は、様々な学者によって、徳川幕藩体制の維持に都合のいい形にされました。その多くは、明治維新後も活用され、天皇制絶対主義の思想を支えました。

 生は、「生まれる」であり、「生きる」であります。性がセットされた「性と生」は、何よりも生命を大切にします。特に平和であることを願います。国や自治体、政党からの性教育への政治介入は、ここが彼らに気に入らないからです。

 戦争は、いかなる意味においても生命の否定です。性教育の否定は生命の否定であり、戦争肯定に繋がります。

 私は、その時代の政治的・経済的背景が、性思想に決定的な影響を及ぼし、時の施政者によって、性が操られ歪められてきた歴史をこの懇談室で学びました。

 全ての人間が、性を本当に自分のものとして、大切にし享受できることを心から願って、私は日本歴史・日本経済史を読み直し、教科書問題に取り組み、今日の日本で生きる人間として、自らの性と生を全うしたいと願っています。

 日本の高齢者の性が如何なるものになるのか?今の時代だからこそ、平均寿命が延びたからこそ、「身体は萎えても、頭と心は萎えない」自分自身の課題とされているのだと思います。(黒澤)

 


 

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