"人間と性"懇談室4月例会 感想と報告
『山本宣治について語る』2011年4月28日
講師:高柳美知子先生の報告
今、研究所の代表をしていますが、研究所を開いた目的はヤマセンが言っているように性教育とは「自立教育」なのであり、性を人間性として捉えなおす、「人間」と「性」を同格に並べて教育研究所としたわけです。人間と性の間に、「と」が入るか「の」が入るか、意味はおおきく変わってきます。
年に一回の山宣会には次女の美代さんも参加されますが、昨年から東京でも開催することになりました。
長女治子さんの歌に「はかられて死したる父の無念にぞ ぬばたま闇に紅梅にほう」がありますが、研究所初代所長山本直英も世間からたたかれていましたが、山宣のように殺される代わりに、癌という病に侵されて亡くなりました。
*意見と感想
・ヤマセンを映画化した「武器なき戦い」は山本薩夫監督
・戦中戦後の映画を見てきた。そのなかの「馬」を見てきた。あの時代には権力者と戦うというより、人間として自然の思いでやってきたのだろうが、結果は危険視されて殺されてしまった。
・なぜ殺されたのか農村を歩きまわってSEXについて避妊法やエクスタシーについて広めていた。農民の楽しみはSEXくらいしかなかった。当時の農村は子沢山、国策と合致していたが、山宣は違う思想を広めていた。それもオルグで。貧乏長屋の薄い壁の中でsexの快感を得る方法を教えていたのがヤマセン。「人間と性」研究所に入ってそれまではりっしんべんのセイばかり思っていたので叱られたのを覚えている。ここへきてやっとヤマセンとつながりができた。
・国策として「産めよ殖やせよ」.産んでは戦地に送り出し、働けど働けど楽にならない暮らしの中で楽しみは夜。当時の家庭は子沢山。
・労働争議の中で裏切り者が出た。その人たちはたいてい子沢山。お金のために裏切る。ヤマセンはそのことからバースコントロールの必要性を説きだした。
・昭和19年ごろ、田舎に越したが地主の家は大きく、あとはほとんど小さい家の小作人。収穫しても5割を取られ、その上農繁期になると地主の家に農作業に行く生活。あの頃はいろんな形の(インチキな)堕胎が行われていた。
・出来てしまった後、どうするか。答えは水子です。こけしは子を消す、子を殺した親の思いは、こけしの物悲しい表情に出ている。
・青森は寒いので温まるために裸で寝る。インテリより牛や馬のように働く女を抱きたがる。
・エロスとは触れ合うという意味。
・コミュニケーションとしての異性が欲しいい。
・マスターベーションは、自涜という時代から、今は市民権を得た。それだけに性は私たちにとってなんなのか、が問われている。
・ある老夫婦が夫婦関係について打ち明けてくれた。妻の方は、快感を得ない不満を持って現在まで来ている。
生きることと性の充実は幸せの両輪ではないか。
・子宮頚がんはホウケイが関与している。ワクチンの前にまず、身体の清潔があるべき。
・祖母が「さあ、足を洗うのだ」といって別室に入っていく。こどものころボクも、といったら「ここで足を洗うのは女だけ。あなたも兵隊検査を受けるころになったらわかる」といわれた。
・仕事を持って自立している人と、専業主婦では性について考え方が違うのではないかと思う。