2010.5
渡辺小百合 『健全離婚マニュアル』で検証する1事例
感想 後藤重三郎
今月の問題提起は、長い離婚までの経過の体験発表であったと思う。それらが「健全離婚マニュアル」に基づいて、項目ごとにきちんと分類整理されて提示された。
日本の女性の離婚体験は、多くの場合妻に経済力がないために、長い忍従の苦難の体験を聞くことが多いが、今回の体験談は違う。
妻はきちんとした仕事を持ち、離婚をしても生活に困ることはない。
なぜ妻は離婚に踏み切れなかったか。それは子どもたちにとっては、両親が必要であろうという、子どもの環境にたいする母としての配慮であったと思われるが、息子たちは「父親は、マイナスの存在ならプラスに変えられる可能性もあるが、父にはその価値もない。ゼロの存在でしかない」と言って、父親を否定したという。
こういうことなら、もっと早く離婚するべきだった。と言う反省も語られた。父親なる人の意見を、ぜひ聞いてみたいと思われる。
そして離婚した今、女性側はもう一度理想の男性に出会いたいと思いつつ、なかなか出会えないのに、別れた夫はさっさと別の女性と新しい家庭を持っているというから、日本はいまだに男性優位の世界だろうか。それとも彼の方も、離婚を待ち望んでいたのか? 研究職の人には自己中心的な性格の人物が多いとも聞くが、もう一度ぜひこの男性の意見を聞いてみたいものである。
話題提供者のレジメ
1 疑い
最初の疑いは、結婚後まもなくのことでした。「禁煙します」の約束で結婚したはずの夫が、隠れて喫煙していたのを発見したとき。以前、ヘビースモーカーだった職場の同僚が、結婚を機にピタリと禁煙したのを見ていた。「愛する人のためならば、男は禁煙するもの」と、信じて疑わなかった私は「見つからなければいいのだとする、この人は何だろう」と、一点の黒雲が脳裏をよぎった。
しかし、その疑念は、日々の忙しさに紛れて、すぐに消えました。その後、「これって何?!」と思う「事件」が時々起きましたが、今思い返して「疑い」と感ずるのは「禁煙事件」です。
彼との結婚生活に魅力を感じなくなったのは、子どもたちが学校に通い始めた頃からでした。「女」の影が見え隠れするたびに「この女と結婚したいから、別れてくれないか」と言ってくる「妄想」をいだきました。『マニュアル』では、突然の交通事故での死の想像のようですが、私は、相手が死ぬことは考えませんでした。別の女と暮らすために、慰謝料を払う男の姿を想いました。
2 無視
『マニュアル』では、婚姻外の恋愛に走る可能性が増えるとありますが、残念ながら、私にはそれはありませんでした。「恋愛」に失望していたのかもしれません。
かわりに「仕事」にのめり込みました。職場、保育園、自宅のトライアングルを、かけ回っていた何年かで、持てる能力をすべて使い果たした感のあった私は、どん欲に新しい知識や技能を取り込もうと、家庭は二の次、三の次で走り出しました。「あなたがしていたことを、これからは私もするわ。何が悪いの。共働きなんだから、対等でしょ」と、夫をライバルのように見てしまいました。
何か変だ。このままでは良くない。と思いながら、以前の恋愛経験から「追求して、相手が嫌になったら、再度結び直せない。何としても離婚してはならないから、追い込まないことが大事」と信じ込んで、相手を無視し、正面衝突を避けました。子どもの目があるからを表面上の理由に、大声を上げるような夫婦喧嘩はせず、ましてや茶碗を投げたり、取っ組み合うような喧嘩は、やってはならぬと我慢していました。
最初で最後のつかみ合いの喧嘩をしたときは、『マニュアル』の第7段階をすぎたときでした。大学時代の友人に言わせると、早い時期にやれば、相手を変えられたかもしれないとのことですが、手遅れでした。「離婚」を恐れず、正面からぶつかっていたらと残念に思います。
3 別居前の空想(略)
4 最終決断
「不倫は罪だが、夫婦間のセックスは公認されているのだから、マイナスでしかない夫でも『セックスパートナー』だと思って、一緒に暮らそう」と自分に言い聞かせたり、「離婚」のためにエネルギーを割かれるのは仕事にさわるからこのままでと、ご都合主義になったりして、40代半ばすぎまでをすごしました。
夫の病気再発を機に、それまでも途絶え勝ちだった夫婦の性生活は消滅しました。それでも、仕事一筋の私にとっては、何の不都合もなく月日は過ぎました。
定年が目前に迫り、今後の人生を思い始めたとき、夫を看取った自分の姿が浮かびました。「同居人」にすぎず、看護士として、家政婦としての存在としか感じていない二人の関係。「私の人生は何だったのか。私の人生返してくれ」と、棺を叩いても、その時は手遅れ。やり直しできる年令をすぎているでしょう。
今ならまだ間に合う。昔は、60すぎたらおまけの人生だったが、今はまだ20年以上の時がある。やり直せる。今がラストチャンスだ。それが「最終決断」の理由でした。
同床の消滅は10年以上前でも、同室はずっと続いていました。しかし、あれこれ言い始めると、夫はうるさいとばかり別室に移っていきました。家庭内離婚の始まりです。
「ホテル家族」になっていましたから、我々の変化で、子どもたちが左右されることはありませんでした。子どもたちが成人していたことは、幸いでした。『マニュアル』のような理詰めの展開ではなく、行きがかり上の計画性の乏しい行動でした。
5 偽りの和解
家庭内離婚になっても「最善を尽くしてもうまくいかなかった」とのアリバイ工作のように、修復への努力をしました。
しかし、『マニュアル』にあるように「結婚生活の機能不全を隠したまま」の和解工作ですから、結果は目に見えていました。
「夫婦再生旅行」ともいうべき旅行への出発。気分は高揚しましたが、同床異夢どころか、同床もできずに終わりました。長年積み重なったズレを取り戻すのに、2泊や3泊の旅行ではとても足りなかったのでしょう。
旅行がダメなら「再契約」をと、「今後の夫婦円満をはかる10箇条」を作成し、提示。
修正無しでの成立に「本気か?」との疑いを持ちました。案の定。3日坊主ではなかったものの、3ヶ月で元の木阿弥。体裁を整えれば、何とかなるとの甘い見込みで、本気で考えてはいなかったことを、見せつけられる結果に終わりました。
6 離婚前の期待
このままでは「離婚届」を書くだけという状況に追い込まれ、離婚時の課題について話しあいを始めるようになりました。「子の養育権」は、成人していてクリアー。「親の介護」は無し。「姓の変更」は、元々していないので、関係なし。
唯一の困難は「財産分与」でした。「離婚」の「り」を切り出したとき、真っ先に夫から出た言葉が「財産分与」でしたから。養育権はクリアーとはいうものの、成人後も親のすねをかじる子どもがいた我々にとっては、子どもの問題が第1に出るはずですのに。夫の人間性を再認識した思いでした。
夫婦で法律相談に行ったとき、共働きの夫婦も、財産分与は50、50と聞いて、なんだか損した気分になりました。主婦・母兼務で稼いだ私は、主婦・母だけより割合が高くても良いのではないかと思ったのです。家事も50、50なら納得できますが、家事は90、10くらいでやってきたのですから。
離婚することは、独りよがりではないことを確認したくて、子どもたちにも聞きました。成人しているからこそできることですが。
長男は「高校くらいの時から、別れた方が良いって言ってたじゃないか」と言いました。私には覚えのないことでしたから、ショックでした。しかし、もっとショックだったのは次男です。「マイナスの父親でも良いから、居た方が良いと思ってきょうまで来たのだけど・・・」と言った私に「マイナスなら、プラスになることがある。だけど、お父さんはマイナスじゃなくてゼロだった」と答えを返したのです。
これには、完全に参りました。「ゼロの父親だと思って、きょうまで我慢してきたんだ」と。父親の居なかった私は、父親が居ることがよいこと。男の子だから絶対に父親が必要。との思いこみが強すぎたのかもしれません。物理的に存在しても、存在しないに等しい関係のあることを、次男から学びました。あまりにも遅かったのですが。
7 離婚の決断
法律相談を受け、子どもにも話を聞き、それでも、まだ何か残っていないかと、継続する方向で模索を続ける。そんな私の気持ちを「離婚」の方向にぐっと進めたのは、「妻の助言は聞く耳持たず」の行為でした。
「妻の話をよく聞き、アドバイスには沿うようにする」の契約違反とも言える行為でした。それを見たとき、「この人は、私とともに歩む気はない」と見極めがつきました。
互いに意見を述べあい、妻だから、夫だからではなく、対等の人間同士として、ともに暮らし、ともに喜び悲しんでいく。それが夫婦だと信じて疑わない私は、それとはかけ離れた自分の現実に、幕を降ろすしかないと決断したのです。
8 両面感情(アンビバレンス) (略)
9 調停 (略)
10 敵対する調停 (略)
11 離婚後の共同養育 (略)
12 どちらかの親の再婚 (略)
13 もう一人の親の再婚
これは当分、いや、ずっとありそうにないので、自分のことは書きようがありません。 彼の新しいお相手が、なぜ同棲を始めたのかと、私と比較して考えれば、「結婚」に対する今の日本国の状況をよく表していると思います。
私の結婚が非常に難しいのは、結婚に「経済要因」を含まないからです。彼女が同棲したのは「経済要因」を求めたからだと推測します。(直接彼女に聞いたのではありませんから、推測するしかないのですが)
今の日本国では、熟年の女が結婚する場合、多くが「経済要因」を求めます。結婚によって経済的に安定した生活が保障されれば、他の要因は目をつぶる。まだまだそれが一般的ではないかと思います。彼女も、彼と結婚することで、経済的安定を手に入れました。そのうえ「教授夫人」という社会的地位も。それだけで、彼に尽くす気持ちにさせるには充分だと思います。
私は、一応「経済的自立」はできていますから、相手にはそれを求めません。かわりに対等な夫婦としての存在を求めます。これが現状の日本ではなかなか困難な条件です。熟年以上で、対等な夫婦を求める男性は、希少種に属しますから。そのため、私の結婚は絶望的になるわけです。
話しあい
以下はそれぞれの感想!
学習の効果で、耳年増、耳だんぼな人間になっていると思う。自分の体験だけでなく、いろんな方の体
験を混ぜ合わせて発言したり、体験を針小棒大に表現する場合もある。(提案者)
相手との距離を縮める効果としてはセックスは有効なのかもしれない。互いが「まっいいか」と言う気持
ちになって、正面切ってぶつからないことも、円満過程には必要ではないか。タケシの番組で、うつ病にな るタイプについての検証がなされたのが参考になりそう。何事も真正面から解決しようとする“積極型”、気晴らしができる“気晴らし型”、自分から行動を断ち切る“拒否型”、ストレスのかかる行動はすり抜けていく“回避型の4タイプがある。最初の積極型の人が一番うつ病になりやすい。偏らないでバランスよく4つの解決法ができる人が病気になりにくいらしい。夫婦関係の解決も、積極型ばかりでなく、回避や気晴らしも必要だと思う。
・女性問題で離婚する場合と、それ以外の理由で離婚する場合とでは、離婚の過程もマニュアル通りには行
かない気がする。