"人間と性"懇談室4月例会 感想と報告

                                                    2019年4月10日

    一兵卒の銃殺  

                   話題提供青木 清

● レジメ報告後の話し合い

 

   「浮世の画家」というドラマを見た。悪意はなかったが、弟子を売った画家が戦争責任を感じて、戦後創作活動を  やめてしまう話だった。周りはあまり考えていないが、本人が強く責任を感じていた。

  ・ 善意ではあっても、犯罪にはなる。古関裕而なども戦争協力した。謝って済む問題ではなく、犯罪は  きちんと処理する必要がある。

 

● レジメ 

 「一兵卒の銃殺」田山花袋作  1917年(大正6年)


 小説は次のような書き出しから始まる。

『薄暮はその静けさと、初夏のころはよく見る夕の靄と、ところどころに輝き始めた灯と、そことなく靡き渡った夕餉の烟とをもって、次第にあたりに迫りつつあった。

 大きな兵営のある町の通りでは、今しも門限に遅れないように、彼方からも此方からも兵士が急いで歩いてくるのが見えた。』・・・・『その鳴り渡る門限の喇叭の音を要太郎はそこから五町ほど手前で耳にした。しまった!と思って彼は立ち留まった。胸は俄かに強い鼓動を感じた。』
 作者は後に、この小説は実話を題材にしたと書いています。
『それはちょうど今から7年前のことであった。仙台に少し手前に長沼というところがある。その嶽駒稲荷にまったくあの通りの悲劇が起こったのは、つまり「一兵卒の銃殺」の主人公要太郎は、脱営してそこに3日間潜伏し、ついに自らの関係した女の家を焼いてしまったのであった。このことは当時の新聞にも書かれた事実であって、私はその後岩沼駅を訪れた時に、その焼け出された家族の者にも会い、彼らの口から直々、当時の光景をも詳しく聞き取ることが出来たのであった。』

 『私のねらった所は何処かというに、それは矢張り主人公要太郎が、稚さない時分から散々悪いことばかりして来、情事に関する経験も思う存分嘗め尽くして来て居乍ら、それで居て猶ほ、昔馴染みの女に出会った時にどうしてもそれから逃れる事の出来なかった、この人生の機微に在ったのである。人間の持った最も底のもの、最も深いもの、最も淫蕩なもの、凡てそうしたものゝ、我等の生活を支配する大きな力を描き出そうとしたのであった。』