"人間と性"懇談室4月例会 感想と報告
2019年4月10日
『 一兵卒の銃殺』
話題提供:青木 清
● レジメ報告後の話し合い
- あらすじは、門限に遅れた兵卒が、営巣入りの制裁を受けるのに嫌気がさし、脱走する。若い時から性体験がある男で、ひとりの女にのめり込み、女への想いにひかれて、逃げている途中に女郎屋による。昔の女を思い出し、いい加減に生きてきたと自暴自棄になり、ある家に火をつけて、捕まって銃殺される。同情の余地なしの男である。
- 花袋の持っていた厭戦思想と戦争責任についての考え方に関係があると思う。「一兵卒の銃殺」の、遊びまわっているような「悪人」の物語とは異なり、真面目で律儀な男が軍隊入りし、身体をこわして亡くなる「一兵卒」という小説もある。
- 田山花袋は、日露戦争での兵隊経験があると思われる。小説の元になる体験をしているから、リアリティが持てたと思う。
- 花袋は、藤村や鴎外の影響を受けて、自然主義文学を表した。人間を社会的存在として捉えて書いている。それ以前の小説は、英雄やロマンスを書くために人間があった。そこが根本的に異なり、自然主義文学の意味があると思う。
- 藤村の「破戒」は、部落出身を隠していたが、打ち明けようと決意する話だが、一歩突き放しての客観性が薄い。作家そのものが入ってしまっていて、本来の自然主義とは違う感がある。
- 「一兵卒の銃殺」は、客観的に人間を見て、冷静に書いていることで、自然主義文学と思われる。
- 日本の小説は私小説が多いが、自然主義文学がスタートラインではあった。その後、社会的存在としての人間を見ることから、プロレタリア文学が生まれる。
- 情景描写で、街の風景が浮かび上がる。自然描写の素晴らしさのルーツは、「枕草子」にあるのではないかと思う。的確に短く表している文章は「枕草子」以外にはないと思う。
- 花袋の芸術のもとは、詩・和歌にあると評価している。
- 「布団」は大変な評判を呼んだ。読者が自らを投影して評判となった。ウジウジしている人間の普遍的な面があるのではないかと思う。
- 独歩の「武蔵野」では、日清・日露の戦争で勝ったと騒いでいる時、戦争にも行けず、田舎で教師をして死んでいく男の話を淡々と書いている。紅葉の「金色夜叉」は、主張がありドラマチック。
- 軍国教育をうけ、軍国少年になっていた。
「浮世の画家」というドラマを見た。悪意はなかったが、弟子を売った画家が戦争責任を感じて、戦後創作活動を やめてしまう話だった。周りはあまり考えていないが、本人が強く責任を感じていた。
・ 善意ではあっても、犯罪にはなる。古関裕而なども戦争協力した。謝って済む問題ではなく、犯罪は きちんと処理する必要がある。
- サトーハチロウも戦争協力的な詩作がある。
- 「軍国万葉集」という戦争賛美の万葉集もある。
- 明治以降の文化は、江戸とは違って隔離の文化になった。八百万の神の時代、性はオープンだった。明治政府は西洋化をはかり、性をオープンにしない方向に換えた。
- 明治6年、明治政府は事務所を椅子式にする命令を出した。家庭の洋風化はしなかった。電車内で椅子に正座するおばあさんがいたりした。
- 建物は、表だけ洋風化して、内実は和式で通している。団塊世代まで、真の西洋化は無かった。明治期は隠したいことが多く、上っ面だけ見せている。
- 人権や民主主義が生活に根ざしていない。小林多喜二でも、女を道具としてしか見ていない。「党生活者」でも女に対する扱いは民主的でない。
- 日本人には、西洋では書けた「人形の家」のノラのような書き方はできない。
- 近衛兵の反乱である竹橋事件の後、軍人勅諭が出された。民間版として教育勅語ができた。その頃に「一兵卒の銃殺」が書かれた。時代の中で書かれたことの意義を知る。漱石の予言を花袋が表している。戦後文学が生まれてきた原点が花袋あたりにあるのではないかと考えられる。
● レジメ
「一兵卒の銃殺」田山花袋作 1917年(大正6年)
小説は次のような書き出しから始まる。
『薄暮はその静けさと、初夏のころはよく見る夕の靄と、ところどころに輝き始めた灯と、そことなく靡き渡った夕餉の烟とをもって、次第にあたりに迫りつつあった。
大きな兵営のある町の通りでは、今しも門限に遅れないように、彼方からも此方からも兵士が急いで歩いてくるのが見えた。』・・・・『その鳴り渡る門限の喇叭の音を要太郎はそこから五町ほど手前で耳にした。しまった!と思って彼は立ち留まった。胸は俄かに強い鼓動を感じた。』
作者は後に、この小説は実話を題材にしたと書いています。
『それはちょうど今から7年前のことであった。仙台に少し手前に長沼というところがある。その嶽駒稲荷にまったくあの通りの悲劇が起こったのは、つまり「一兵卒の銃殺」の主人公要太郎は、脱営してそこに3日間潜伏し、ついに自らの関係した女の家を焼いてしまったのであった。このことは当時の新聞にも書かれた事実であって、私はその後岩沼駅を訪れた時に、その焼け出された家族の者にも会い、彼らの口から直々、当時の光景をも詳しく聞き取ることが出来たのであった。』
『私のねらった所は何処かというに、それは矢張り主人公要太郎が、稚さない時分から散々悪いことばかりして来、情事に関する経験も思う存分嘗め尽くして来て居乍ら、それで居て猶ほ、昔馴染みの女に出会った時にどうしてもそれから逃れる事の出来なかった、この人生の機微に在ったのである。人間の持った最も底のもの、最も深いもの、最も淫蕩なもの、凡てそうしたものゝ、我等の生活を支配する大きな力を描き出そうとしたのであった。』