"人間と性"懇談室2月例会 感想と報告

                                                    2019年2月13日

    長崎の鐘と平和運動   

                   話題提供 黒澤利時

 レジメ報告後の意見交換

 

● レジメ 

 「長崎の鐘」と平和運動

                          黒澤利時(としとき)

 

 長崎原爆被害者医師の永井隆は、浦上天主堂に落とされた原爆を「神のご意思」と書きました。手記を元にしてサトウハチローが詞を書きました。

 サトウハチローは選挙では保守系の候補者推薦人になっています。

 作曲家の古関裕而は戦前軍歌をたくさん書きました。

 戦意高揚の歌で、小学生の私は盛んに歌いました。確かに血沸き肉踊る「名曲」ばかりです。

 歌手の藤山一郎も選挙では保守系候補者推薦人でした。

 荒木栄はうたう会準備会で「長崎の鐘」を推薦したが、みなに断られたそうです。

 このようにして「長崎の鐘」は平和運動と結びつくことなく、藤山一郎の美声に乗って日本中に広がりました。

 だが芸術作品は、作詞者作曲家の意思を乗り越えます。

 古関裕而はテレビで涙を流しながら語りました。「私の創った歌で何人の若者が死んでいったか」「この歌は、単なる長崎の原爆だけでなく、戦争で亡くなった方への鎮魂歌として創りました。」

 永井隆の「この子を残して」を読みました。余命いくばくもない命を燃やし続けながら、キリスト教徒としての生きる道を子どもの誠一と茅野に説きます。その中に戦争と日本国憲法についての箇所があります。文献が見つかりませんので、記憶で書きます。私はキリスト教徒ではありませんが、涙が止まりません。

 「この先、戦争をしない約束を忘れて、再び戦争をしたい人が出るかもしれない。だが、そのときは、最後の一人になってでも、戦争反対を貫いておくれ。、、。」

 殉教者となることを子どもらに説いたのです。キリスト教徒でなくとも、それがどんなに辛いことか。

 先に死んでいく自分にとって、可愛い子どもに殉教者になれと。私にも辛さがわかります。

 反共主義者と言われていた永井隆の予言は、不幸にもまさに的中しました。

 名曲「長崎の鐘」は、このような背景を持ちながら、これからも歌い続けられると思います。

 同時に芸術作品の評価は、様々な角度から、されなければいけないと思います。