"人間と性"懇談室6月例会 感想と報告

                                                    2019年6月12日

    『 ヴィクトリア時代の女性、子供の労働者達   

                   話題提供:泉 修二

● レジメ報告後の話し合い

 もう何年も前の話だが、ロンドンのヴィクトリア アルバート博物館でヴィクトリア時代の栄光を主題にした特別展を見た。其のころレイモンド・アンウィン卿のウェルインのガーデンシティーとかドロレス・ヘイデンの家庭の革命とか19世紀からのフェミニズムに関わる本を読んでいたので、流れのつもりでマンチェスターに出かけた。不勉強で知らなかったのだが此処の民衆歴史博物館を見て驚いた。労働者と社会の運動を政治的側面も含めていかに現代に至ったかを展示する近代史博物館だったからだ。

 日本でも「日本の下層社会」横山源之助 1898、「女工哀史」 細井和喜蔵 1925など いずれも岩波文庫があるが、今回は特には言及しない。

 1760年に蒸気機関が発明され、機械で大量生産する動力の進化が開始。     

 狩猟1万年の歴史が農耕に変換され、農耕が機械工業に変わり、1870年には石油・電気革命が起きる。各国家の理念と政治によって命運は大きく変わる。

 日本の紡績業は、国内向けだけの生産の間は綺麗だったが、日清戦争後金の稼ぎ方がひどくなっていった。

 日本は、江戸時代には12歳までは寺子屋に行くのが多かった。しかし上に述べた横山源之助の「日本の下層社会」の例では紡績工場の巡視の結果を以下のようにのべている。「(前略)7、8歳の児女を見ることあり。特に大阪府下の場合幼年工女多かりき。(中略)大阪教育会の調査の上を出ること必然。これを精紡工場にみれば12歳未満の幼年工女の多き事実は断言する」。さすがに4歳というのは述べられてはいない。だが桂庵に騙され、親に前借をされて連れてこられ、工場と直結した寄宿生活を送る最下層の女工たちの残酷なまでの食事や勤務時間の状況を機会があれば読むべきだ。産業革命の最前線だった英国は機械工業への対応策を持たず、オーナーの利益優先の傾向が強かったと言えよう。ギルド制の残滓も安く使う年期奉公に利用している。日本の場合は一世紀も遅く、教科書もありながらである。

● レジメ 

 ● 序言

  蒸気機関の発明による産業革命は18世紀の中葉に英国から始まった。

 手工業から機械工業への変革はおよそ100年後の電気によるモーターと内燃機関の発明と相ま って機械文明への長足な発展を見ることになる。?????

 

 ● 綿工業と労働者

 ビクトリア女王即位(1837年?治世64年)後の英国は、著しい発展を遂げ、 力を増進させた。鉄工をはじめとして家具、カーテン、タイルなど生活用品の多くが機械製となり、新しい機械の開発、新製品の多様化、低価格化の循環が始まった。しかし、急速な経済的発展は社会的な多くの問題を抱える事にもなった。   

 1841年の英国農村では140万だった農民が、1991年までに半分の70万人になった。農業用機械や新しい工業が人力の淘汰と新しい工業生産への移動とを要求したのだ。綿工業の街では、工場の周りに長屋住宅が立ち、マンチェスターの例では、1772年にはわずか2万5千人だった住民が、1851年には45万5千人に急増したのだ。

 

 ● 工場の所有者達

 19世紀初めは綿産業のブームで、工場の所有者達は8万5千人を超え、新しい有産階級を形作った。土地を主体の貴族の没落や、工業と関係を持つ新しい商業の発展を含めて彼らの富と力は増大した。豊かな暮らしと共に政治への介入も強くなった。

 

 ● 労働者としての幼児、子供たち

 綿工場従業員の2/3は女性と子供達だった。オーナー達が、できるだけ安い賃金と支配し易さを目的としたため。 1日12時間の労働を強いられる子供。4歳の幼さで働く孤児や貧民の子供などが存在し、身体も心もいじけてしまい、不具になる子も出た。文盲の状況のまま成長する孤児や貧民の子達はある程度の年齢になると理解しないまま徒弟制度(年期奉公)に契約させられ過酷な運命に追い込まれる例も多々あった。    

 状況はゆっくりとしか改善しなかったが、1833年に「9歳以下の子供の綿工場の仕事は不法」、1847年に

「18歳以下の者は1日10時間以上の仕事は禁止」の工場法が出された。  

 

● 就業規則・労働時間・賃金支払

 遅刻、工場内の清掃、機械や部品の破損などに対し、高額の罰金を課す例が多かった。

 労働時間は、1840年までは、月〜金は1日12時間、土は9時間。日曜は休日。

 賃金は、技能工は1週2ポンド(40シリング)だが、子供はわずか5シリングで、平均は15シリングが一般的になっていた。賃金も貨幣替わりのトックンで支払う企業も多く、また独自の商店を持って、そのトックンで粗悪品を高い価格で工員に買わす例も多々あった。

 

● 危険と病気

 煙突からのススによる肺疾患。新製品の開発による毒物に気づかない工員が化学物質にやられる例も多かった。安全装置の無い機械による死傷者も増加した。    

 巨大な量の汚染物質で、酸性雨を招いたり、細菌だらけの飲み水による腸チフスなどによる死者、あるいは1840年代のグラスゴーのスラムでのように劣悪な環境で生まれた5歳以前の子どもの死亡が半数を越す事態も見られた。

 

● 労働改善への道

 議会からの労働状況に対する最初の査問は1816年に出された。その後、10歳以下の少年と女性の炭鉱内労働の禁止。18歳以下の子供と女性は1日10時間、週58時間までとする。などの法令が次々に出された。

 労働者による労働状況の改善の動きもあったが、1799年に出された「結社禁止法」が、組合運動に水を差していた(1824年廃止)。だが1834年の全国労働組合(G.N.C.T.U.)、1851年の技術者連合組合(Amalgamated engineers unions)の結成へと続くことによって1900年までにはオーナーによる非道な行為は消滅する。機械による綿工場が開かれて1世紀以上が経過していた。

 

● 有産階級とジェンダー

 有産階級の財産相続の関係で、一夫一婦制を強固にすることから、ジェンダー格差も含まれたが、一筋縄では行かない。

 工場労働者階級が工場と直結した夫婦共同の労働とは逆に、有産階級の住宅は緑の多い郊外に流れる傾向も生まれ

る。稼ぎ手である有産階級の男性には住まいは隠れ家的存在であり、妻であり母であることによる心地よい巣を提供することを女性の目的とするように仕向けた。したがって家事は道徳的活動とされ、両性間の大きな違いを形成するイデオロギーとなっていたからである

 ● 結語

 「殖産興業」政策下、明治の近代化を進めた日本は、中国大陸市場に開拓を広げるあたりから、綿工業もひどい傾向をたどることになった。

 日本が欧米志向に転換しても明治をになった武士階級の思考の底辺には儒教が厳然としていたからでもある。

 英国が直面した問題に気にもかけず、従って民主主義や人権にも正面から向き合おうとしなかった。家父長制の下

で、妻の無能力法を打ち出した明治民法の実施も1898年からである。

 これらは昭和への道程の中で、帝国主義と戦争に取り込まれて行くことになる。歴史は将来を学ぶためでもある。なお今日のテキストはこの博物館で販売されていたもの3冊(中、高生対応)を主に使用している。しかしこの3冊に使用されている数値的なものは著者によって必ずしも同一ではないことを付記する。

 1 HISTORY OF BRITAIN-VICTORIAN FACTORIES                

             Andrew Langley    HEINEMANN  1996   

 2 LOOK INSIDE-VICTORIAN MILL

              Brian Moses  HODDER WAYLAND  1998             

 3 EXPLORING INDUSTRY

              Cliff Lines  WAYLAND   1987