"人間と性"懇談室5月例会 感想と報告
2018年5月9日
『優生保護法の問題点』
話題提供:青木 清
● レジメ報告と意見交換
● 優生保護法の二つの目的
1 不良な子孫の出生を阻止する
2 女性の保護。母体の保護。
1を定めたことにより、障害を持つ者の出生を阻止しても良いことになった。つまり、子を産んで良い人と、ダメな人に分けた。
遺伝性疾患の人への特例的な不妊手術、中絶の実施がされ、1948年の制定から1996年の「母体保護法」への改訂までに、16500件の強制手術が実施された。そのうち、60%は女性であった。
平安時代から中絶はあった。経済的問題が中心で、女性がおろしたいことが中心であった。
昭和11年以降は、堕胎が全て禁止された。人口減少は戦争にとって問題であることが理由。
戦後は、中絶の自由が認められた。人口減少に対する葛藤は抱えていた。60年代〜70年代は現象に対する懸念が続いていた。
生命倫理の視点からは、遺伝子組み換えなどは認められない。臓器移植が2000年からは本人の同意なしで可能になってきている。人間の生存のためには、医者に何をさせても良いのかどうかの問題がある。
科学としては、性器を作ることも可能になるだろうから、倫理上の問題のみが残る。
2000年以降は、胎児診断も可となり、障害を疑われる場合は、多くが中絶している。
・ 人権の問題、存在としての人権。
生命倫理上の視点から考える。近代文明としての優生が出てきたが、実は曖昧。
自己決定であること― 強制はなかったか。
善を行うこと― 何を善とするか。立ち位置で異なり、曖昧になる。
公正に行う― どう公正さを保つのか。
平等である― 真に平等であるとはどういうことなのか。
・ なぜ子どもを産むのか。
労働力としての評価がその人の評価となる現実があるが、人間としての権利から考えれば、障害の有無にかかわらず全ての人の権利であるはず。
水子にした子どもがいる。妻の母体保護という名目で理由を捏造して中絶した。本当の理由は、経済的状況によったのだが。その後、水子地蔵を作った。せめてもの気休めにはなった。
歴史的に見ると、農業が開始された後は、多産を褒めてきた。明治以降経済的理由で水子にした。供養することで、自分の辛さを解消していったのではないか。全国には何十万という水子地蔵が存在している。
水子供養は、罪の意識からではなく、生命に対する哀れさからではないか。必要だったからやったのではないか。後ろめたさを持つのは女性に多いのではないかと思う。宗教観を植えつけられているようにも感じる。
昭和35年、中絶理由に経済的理由が加わった結果、年間20万件近くの中絶が行われている。中絶によって、人口減になっている。
● 保護法の改正に伴う変化
母体保護法に改正された時、不良な子孫の出生に関わる条文を削除した。
優生手術を不妊手術と変更した。
強制手術と、相談所を廃止した。
改正法は、国会審議なしで決められた。国家権力が勝手に決めた。こんにちの国会状況と似ている。
● これからにつながる問題点
AI、IPS細胞などがますます進んでいけば、性器の形成も可能になるかもしれない。神の領域に踏み込んでいる現状。
結論を急ぐ現在の風潮は問題だと思う。結論を急ぐのは危ない。自己責任論にさせられてしまう。
障害者は大変だが、社会保障のあり方によるのではないか。障害が個性になる社会ならば、産みやすくなるのではないか。
教育基本法が改定され、道徳の教科化も進められた。教育のあり方が根底に有るのではないか。事実を事実として教える社会にしていく必要がある。
生まれた障害児は世話するが、生まれずにすむならば生まれない方がいいのではないか。
不妊手術をすれば、遺伝性疾患が減少すると考えられているのかもしれないが、統計的には減少しない。出生数の一定割合で必ず障害児が生まれる。
● 資料 (ネットよりの引用)
「優生思想」の前に、まずは「優生学」について説明する必要があります。
優生学という概念は、1883年にイギリス人のゴルトンという人物が提唱しました。
ゴルトンは、優生学を「人種の正得的(=先天的)質の改良」を目指す学問と定義しました。ゴルトンは様々な家系のデータを集め、良い形質を持つ人間にはどのような特徴があるのか調べました。優生学は、統計学の手法を用いて良い遺伝的資質を探し出す「科学」として提唱されたのです。
ゴルトンは『種の起源』で有名なダーウィンのいとこです。『種の起源』には、「自然選択」という概念があります。「動物の世界では環境からの圧力によって、優れた遺伝的特徴を持つものが自然と生き延びていく」という概念です。この概念は、優生学と切っても切れない関係にあります。
優生学者の多くは、「福祉の発達によって、自然選択により淘汰されるはずの弱者が生き延びてしまうこと」に危機感を覚えていました。「弱者」が増えれば人間の正得的質は「悪く」なりますし、福祉コストも肥大していくからです。
「優生学者」はこの現象のことを「逆淘汰現象」と呼びました。
優生学は「逆淘汰現象」を防ぐために発展した科学です。その手法として、遺伝の理論を十分に解明しようとしたのです。
優生学の説明を見て、「とんでもない科学だ」と思った人もいるかと思いますが、この科学は様々な国に支援されていきます。
そして、優生学の発想に基づいた「優生政策」を多くの国が行うようになりました。
その端緒が、1907年アメリカで制定された断種法です。この法により、精神障害者等に対し、強制的に子どもが産めないよう手術することが可能となりました。
断種法は、内容に多少の違いはありますが、第二次世界大戦前に、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドなどの北欧諸国、スイス、エストニア、ドイツ、そして、日本などで制定されました。
意外かもしれませんが、当時から福祉国家として有名であった北欧諸国の国々はこぞって断種法を制定しています。
しかし、これは当然の成り行きなのです。つまり、優生政策によって弱者の数を減らし、財政に余裕を生むことによって、より充実した福祉サービスを提供できるようになると考えたわけです。
「優生政策=ナチス」という印象が強いですが、むしろ福祉国家に強く支持された政策だったのです。
「優生思想はナチスの思想だ!」とよく言われます。そこで、ナチスの政策について詳しく見ていきます。
ナチスがホロコーストをはじめとした「人種政策」を行ったことは常識ですが、1939年に、精神障害者などに対する安楽死計画を行ったことはご存知でしょうか?
安楽死計画は弱者を「減らす」政策であって、まさに優生政策の発露だと思われがちです。
しかし、当時の優生学者の中には「安楽死計画」に命懸けで反対するものが多くいました。
なぜなら、優生学が目指すところは「弱者が生まれないようにすること」であって「抹殺すること」ではなかったからです。例えば、フレッツという優生学者はこう述べています。
「もし不治の病をもつ子どもの抹殺が解禁されれば、社会秩序の根源的な基盤である、個々人の生命に対する畏怖の念が著しく損なわれてしまう。」
ホロコーストなどの人種政策と優生政策は一線を画すものです。「民族間の混血が進むことは、優生学的に見て良いことだ」と考えた優生学者はたくさんいたからです。
さらに言うと、優生学者の多くは戦争そのものに反対していました。なぜなら、戦争は「逆淘汰現象」を引き起こす最大の原因だからです。
戦争が起きると、健康な肉体を持つ有望な若者がたくさん死んでしまいます。健康な肉体を持つ若者がたくさん死んでしまうということは、「良い形質」がなくなるということです。つまり、戦争は優生学者の理想とは程遠い「最悪の事態」でした。
ですから、優生学者には反戦主義者が非常に多かったのです。
以上から、優生政策とナチスによる人種政策を簡単に同視すべきではない。と、私は強く主張します。
「優生学(優生思想)=ナチス」という図式からは、戦後社会からは優生政策がなくなったかのような印象を受けますが、これも大きな間違いです。
戦後も引き続き優生政策を行った国はたくさんありますが、その例として日本を見ていきます。なぜなら、日本の優生政策は戦後むしろ強化されたからです。
日本は、1940年に制定した国民優生法を元に、1948年に優生保護法を制定します。この法の第1条は「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を予防するとともに、母体の生命健康を保護することを目的とする」です。
この法は強制的な不妊手術を行える場合を規定しており、強制不妊手術は1万6500件に及んだとされています。
また、これは付随的な説明になりますが、この法律は「中絶」が許される条件を示した法律でもあります。勘違いされがちですが、日本は刑法に「堕胎罪」があり、原則として中絶が禁止されている国です。この優生保護法(現在は母体保護法)が堕胎罪のいわば「逃げ道」として機能しているのです。
人権思想が成熟し、優生政策が人権侵害にあたるという認識が世界的に広がります。ここに至るまでの経緯は様々ありますが、大きな端緒として、1950年代〜60年代の公民権運動が挙げられることが多いです。
また、日本では障害者団体などの活動もあり、1996年に優生保護法が母体保護法に変更されます。この変更に伴い、強制不妊手術などに関する条項は削除されました。
こうして、目に見える明らかな優生政策は衰退していきました。