"人間と性"懇談室4月例会 感想と報告
2017年4月19日
『きょうも誰かが悩んでる』
話題提供:青木 清
読売新聞の生活部が担当し、100年にも及んだ「人生案内」のなかから、性に関わる質問を取り上げて、年表とも合わせて歴史的に考え、参加者ならばどう回答するかも含めて話し合った。
清い交際していた男子高校生から求められ唇を許した。私は純潔を失ったのか。
大正5年には1年に6万部売れていた恋愛小説・詩を発禁にした時代。大正13年にはロダンの「接吻」像を撤去した。国民学校時代には、女組を覗いただけで教師からビンタされた。
接吻に対しては、性行為に繋がるとして見られていた。
男性と付き合ったことがない。性体験もデートの経験もない。いつか男性と知り合っても、性体験がないことで軽蔑されそう。どう考えて生きていけばいいのか。
・ 平成になり昭和とは変わった。性体験のないことを女性が劣等感に感じている。昭和であれば、体験したことを恥じて隠したのだが。
・ 近世から近代にかけての日本では、男と女のセックスは結婚前から農村では一般的にあった。明治時代、巡査や教員は武士階級が多くなった。武士道やキリスト教の影響で婚前の性が厳しくなった。
・ 男に対しては、課長が部下を遊郭に連れて行くなど、結婚していなくても性行為を経験することができた。企業自体が男に教えることもあった。女は寝ていれば良いとして男女のダブルスタンダードが存在した。
・ 昭和6年には未亡人の自由を認めることがニュースになっている。夫が死んでも「我が身は親の骨」として、祖先崇拝の立場から妻の貞操が求められた。それが少し緩められたと感じる。
・ 男女に関係なく、チャンスのない人はいる。特に劣等感をもつ必要はないと思う。
質問から離れて、今の自分の課題が出された。
・ 高齢化が進行している今、20年前が通用しない。自分がどう見られているかの自覚が薄い。何をすれば良いかとあがいている。