"人間と性"懇談室6月例会 感想と報告
2017年6月14日
『反戦川柳人 鶴彬の軌跡と作品』
話題提供:青木 清
● レジメ補足・解説
鶴彬が金沢連隊に入営後『無産青年』が発見され、服役したが、陸軍に返されても特にいじめにあったという記録はない。
昭和4、5年頃は、富山で米騒動が起きたりしていたし、労働運動の時期と重なっているため、まだ弾圧はひどくなかったと思われる。マルクス本が売れていた時代でもある。
昭和10年頃からは、弾圧がひどくなっていった。
〇 作品の解説・補足
工場ができ、そこで働く。魚を獲らずに出稼ぎに行ってしまう状況。
今に通じている。自衛隊関連産業は、営業しなくて良いから、本社と工場だけで成り立つ。国家予算で処理されるから、赤字になることもない。
今のセクハラ・パワハラにも通じる状況を詠んでいる。
鶴が川柳を始めた頃は、柳多留の人たちは風刺がない言葉遊びになっていた。彼は風刺を強く意識していた。批判精神を持って作品を作るべきだと考えていた。
鶴は、家業の機屋で現場を経験し、上京後は日雇い労働の経験も持った。そのため、資本主義の実態を肌で感じた。労働運動や農民運動の高まりの中で刺激を受け、告発につながった。
● レジメ報告後の感想・意見
・ 日本は、国内の不況を満州に進出して荒稼ぎすることで解決しようと考えた。