"人間と性"懇談室7月例会 感想と報告
2016年7月18日
『「性の多様性をめぐって」−性同一性障害当事者の話を中心に―』
話題提供:金子由美子&当事者
● 金子所長から当事者の方のご紹介と、ご本人の話
中学生は思春期に入り、性的違和を持つ生徒は多い。
彼は、3.11後の夏休みボラの引率時、外国で手術を受けると電話してきて、慌てて虎井さんと連絡を取り、タイへ送り出した教え子。
保育士になったユウト君は、反対されたのでそのままになっているが、彼は入籍も済ませて、二人で暮らしている。しかし、親代わりの方からは、今でも反対されている。
Q 妻になった人との出会いや結婚に至った経過を教えてもらえないか。
A 友達の紹介で、はじめは単なる友達としての付き合い。交際よりは手術と思っていた。タイの病院で、胸と子宮を摘出した。滞在費も含めて100万円ほどかかった。日本でやればもっと安くて済むが、タイのように、どんな人がいてもかまわないというヒジュラの文化がない日本では、なかなか簡単ではない。
手術後、いろいろあって、結婚相手は彼女かもしれないと思うようになった。自分への理解があったことが決め手。4年間の同棲生活を経て結婚した。子どもは、精子提供を受けて彼女に産んでもらいたい。
26歳同士だから、今後考えたい。
男としての不便さは現在はなくなった。しかし、ホルモン剤の投与は一生続けねばならないので、その面での経済的負担は小さくない。
ペニスへのこだわりは、男の象徴という意味合いもあるが、日常的な不便さもある。あるはずのものがないから、銭湯に行けないとか。
Q カミングアウトはいつしたのか。
A 中・高の友達は知っていた。カミングアウトしたので。
カミングアウトした時の反応は、女性の方が理解しやすい感じだった。柔軟性があるように思った。男性は柔軟性が乏しくなかなか理解しなかった。
友達関係では、性別の話はなしで遊びの付き合いを男性とはしていた。
生きづらさを抱える少数者が性的マイノリティと言われる人だと思う。
● 金子所長と、ご本人の補足 質疑
・ 岡山大の「性別違和調査」によれば、小学校入学前に、肉体的には女の約70パーセントが、男でないと悩む。「男になりたい」のではなく、男だと思っている。肉体的には男の約33パーセントが違和感を持っているから、男女で約2倍の違いがある。
・ 高校受験で、滑り止めの私立が女子高で、行きたくないと拒否し、共学校の二次募集で合格した。
当時の教師の考えでは、女子高に入れば女らしくなるという程度。ボーイッシュな子も、女子高に入れば、女らしくなる。
・ 昔ながらの女子高に行けば、女らしくなると考えたと思うが、実際にはそんな学校はないし、女子高に行けば変わるというものではない。
共学校ならば、自分の存在に安心感があるという子もいれば、逆に、女子高に行ったほうが安心感を持つ子もいる。
Q 何歳くらいの時から違和感をもつようになったか。
A 小学校に入る前から感じていたと思う。
・ 男女の区別ができるのは、2歳くらいとされている。
・ 孫が2歳の時、入浴後の裸体を見て、「チンチン無い」と言った体験を持っている。パパはチンチンある。ママはチンチンない。バアちゃんもチンチンない。ボクはチンチンある。チンチンないのは女。チンチンあるのは男。と話してやったら大満足で部屋へ戻っていった。2歳が区別できる時だと思う。
・ 4歳孫の経験。家では男女で共同のトイレを使用するが、外では違う。社会的に性を感じるのは、集団に入る4歳児くらいではないかと思う。
・ 保育体験で感じた。4歳児の保育中、トイレが間に合わず、側溝で用足しさせたことがあった。みんなで並んでシャーとやったら、男の子はシャーでOKだったが、女の子はパンツを濡らしてしまった。それまで男女の別を感じていなかった女の子が、自分は男とは違う身体のつくりだと気づいた一瞬で、興味深く覚えている。
・ 4歳くらいになると、集団生活での男女差が理解できるようになる。
・ 男女の区別の理解は、個人差はあるが、だいたい2歳児くらい。集団生活での男女差の理解は、4歳くらい。
・ 違和感を抱いたときは、一般的な発達年齢とあっていると思う。