"人間と性"懇談室7月例会 感想と報告
2015年7月22日
『表現の自由・言論の自由』
話題提供:青木 清
★ 報告後の意見交換・話し合い
『反権力』に過剰反応・・・?」 のタイトルの新聞記事を読み始めるところから始まった例会。
● 新聞記事の抜粋
『わいせつ物公然陳列などの疑いで逮捕された。異様に映るのは、「逮捕」という荒業。警察や現政権を厳しく批判してきた二人。「見せしめ」という批判もある。
7月にも逮捕され、25日くらい交流された。通常最初に通告されるべき「黙秘権」も、取り調べの最後、調書作成時であった。
今回の逮捕では、家に押しかけ、手錠をかけての突然の逮捕であった。など、異常尽くめの一連の警察の対応。
これらに対し、和光大の竹信三恵子教授は、言論を萎縮させる「見せしめ」的効果をもたらしかねないと危ぶんでいる。こうした警察の強引ともいえる姿勢は、安部政権下の2年間で加速している。 国民の権力批判に不安を抱かせるような空気は一段と強まりかねないとの懸念も表明した。』
● レジメよりの抜粋。
『「見たい人が見る」「見たい人に見せる」に制限を加えるのは、片方の権利をないがしろにすることになり「表現の自由」の観点から問題になるだろう。
「言論」は音声による表現、「出版」は主に文字による表現であり、言葉を通じての表現の自由は「発言の自由」と呼ばれることもある。
表現の自由は、真理への到達にとって不可欠の手段である。
わいせつ物が犯罪等を助長するとの科学的根拠はない。』
● 話し合い
夏目漱石の不倫小説でも「手を触ってごらん」だけで、セックスの表現は無い。「それから」でも
「バラの花を持ってくる」が不倫の表現。100年超えて読まれている新聞小説に、性表現はほと んどない。
統治の任に当たっているひと握りの人々の行動が国民の利益・願望に合致しているかどうか監視し、公に批判することができない国民は、真に主権者とは言えない。
★ 話題提供者レジメ
「わいせつ三要件」とは、
これに対して、見たくない者の自由や青少年の保護だけに本条の処罰根拠があると考える論者もいるが、そうすると、わいせつ物を見たくて見る大人に頒布・販売する行為は処罰する必要がない、という結論になるが、最高裁は、このような立場はとっていない。
以上のような伝統的な議論に対して、最近では、フェミニズムの観点から、わいせつ物は女性差別や性犯罪を助長するものであるから、そのような弊害を 防ぐために処罰するのだ、と捉える論者も出てきている。しかし、わいせつ物が犯罪等を 助長するという科学的根拠はないと言われている(1970年のアメリカ大統領委員会報告書など)。
人権は「見たい者」にも「見たくない者」と同様に存在している。この為、片方の権利を蔑ろにする(「見たい者の人権」はもとよ り「見たくない者の人権」も該当する)事はれっきとした人権侵害にあたり、意図的に行えば差別に該当する可能性もある。
表現の自由における言論の自由と出版の自由との関係であるが、本来、「言論」は音声による表現、「出版」は主に文字による表現であるが、広く「言論の自由」と表現されることもあり、言葉を通しての表現の自由は「発言の自由」と呼ばれることもある。
典型的な自由主義的な信念によれば、各人の自発的な表現が総体として互いに他を説得しようと競い合う「思想の自由市場」を形成し、その自由競争の過程で真理が勝利し、真理に基づいて社会が進歩すると説かれる(思想の自由市場論)。正しい知識と真理は、各人の自発的言論が「思想の自由市場」へ登場し、そこでの自由な討議を経た結果として得られるものと考えられることから、表現の自由は真理への到達にとって不可欠の手段であるとみる。
また、民主政治は被治者の同意に基づく政治であるが、この同意は何ら強制によることなく表現の自由のもとで形成されている必要があり、この自由を欠いてる政治体制はその支配を正当化することができない。
言論の自由は民主政治の不可欠の要素であり、国民または人民の主権を謳いつつ実際には表現の自由を認めていない国も非常に多いが、統治の任に当たっている 一握りの人々の行動が国民の利益・願望に合致しているかどうか監視し公に批判することができない国民は真に主権者とは言えない。
★ 新聞記事のコピー