"人間と性"懇談室11月例会 感想と報告
2014年11月26日
「ある在日朝鮮人の断片的回想
〜〜〜朝鮮民族解放の闘いは今もつづいている」
話題提供:李 東埼
★ 話題提供者レジメ(含補足)
1、渡日の経緯と背景
1)渡日の経緯
私の小学校入学のため―1938年、日帝は植民地支配期間 義務教育実施せず。
3つ違いの兄が小学校不合格がきっかけで、さきに渡日していた父を追って。
?父―途方にくれて淀川大橋のたもとでうずくまっていた、関西電力工夫・宋さんが通りかかって助けてくれた。
私たちの渡日当時、父は漢薬局経営―甲種薬種商試験のはなし。
★広い朝鮮の家から狭い朝鮮人長屋へ、南京虫薬に禁制の朝鮮文字ピンデン(??)と書いてあった。
父の渡日以前に伯父がバクチで家産を失い、日本に逐電、家運の傾き―その背景には日本の占領による息苦しさと朝鮮農村の窮乏がある。
2)渡日の背景
@日帝の武断統治
▲朝鮮総督は天皇に直隷。行政、立法、司法、軍事統帥権など全権を掌握。
全員が大将で陸軍大臣、海軍大臣経験者または兼任、歴代9人のうち4人が総理大臣に。統監伊藤博文まで加えると5人が総理大臣に。
議会を通さずに法律(制令)、憲兵警察制度、憲兵に即決裁判権。
公務員、教員が制服帯剣。
▲民族解放闘争に対する弾圧
朝鮮近代化闘争の阻止、破壊→開化派の甲申政変(1884年)―日本が支援の約束を破り封建政府に鎮圧される、甲午農民戦争(1894年〜)―日清戦争をおこして日本軍が虐殺、鎮圧。
農民主体の義兵闘争と都市インテリ中心の愛国文化啓蒙運動→両者が合流した独立軍運動と民族主義政治運動→共産主義者主導の青年学生運動・労農運動→満州事変を契機とする1930年代の抗日武装闘争→祖国解放
1919年3・1運動 約7、600人虐殺、1920年10月〜12月 間島庚申年討伐約3万人虐殺、6、000戸焼き討ち
1923年関東大震災 約6、600人虐殺(3・1蜂起直後の総督府政務総監だった水野錬太郎が内務大臣、同じく警務局長だった赤池濃が警視総監、朝鮮人民の戦いに対する日本支配層の凶暴性と恐怖心から)
A農村収奪と国外流浪民の激増
▲土地調査事業(1912年8月から約6年間)
人口の80%が農民、課税土地面積430万町歩、100万町歩以上(104万町歩)が日本の国有地に。
小作料は占領前の50%から60〜70%に
▲林野調査令(1918年)
全山林面積1,600万町のうち1,300万町歩を日本の国有林に。残り300万町歩を日本人または親日地主所有に。
★満州、日本へ大量の流浪民―満州だけでも1910年〜19年の間に80万人「この仇はきっと討とう」
▲産米増殖計画(1920年〜50年までの予定)
?日本国内の食糧危機解決−米騒動
?独占資本余剰資本投下地
?日本農村過剰人口の朝鮮移出
水利施設税の重い賦課、高利貸などによる破産
1918年現在日本人地主所有は約24万町歩、1931年現在のそれは約70万町歩、総耕地面積約153万町歩の約46%に。
▲朝鮮米の略奪
朝鮮人の年間一人当たり米消費量40%減少(1921年0,6860石、1926年0,4017石)
米は日本へ、朝鮮人には満州粟
米搬出のため群山、仁川をはじめ各地方に数多くの築港工事、拡張工事を進めた(日本支配層のいう植民地発展論の正体)
春窮期(旧暦3〜4月)に70〜80%の絶糧農家、高利貸、破産、流浪
★別れの港は涙の海「生きて又きっと会おう」
金斗権の詩「この鉄路をどこまで走れば」
・・・・・・・・・・・・
まだ幼なかった頃に別れた
姉と弟がいきなり車窓に映って
声を限りに叫ぶ
「生きているうちにまた逢おう!」と
汽車に乗って別れたせいなのか
乗ったとたんにどっと
涙があふれたせいなのか
列車に乗るとき いつも甦る
往時の記憶
・・・・・・・・・・・・・・
2、私の小学校時代
★西成 クラスの1割朝鮮人。優等生はクラスで4人。うち朝鮮人は1人、「なんで李が入らんと山口が優等やねん」
★友を並木に縛る、石貴童君のこと
★疎開先でのいじめ
★中学入学時の「スモモ君」、いじめ、陸軍幼年学校
★「君はちっとも日本人と変わらないね」
★大学文化祭に母来校
3、民族意識の抹殺策動―同化政策、皇民化政策
@統監府時期からの愚民化政策
▲朝鮮人の学校を強制閉鎖―1908年に私立学校約5,000、韓日併合直後の19010年8月それは半分以下の約1,900校にすでになっていた。
▲朝鮮歴史の歪曲―停滞史観、他律史観、満鮮史観
▲朝鮮語、歴史、地理授業時間の削減と日本語、皇国史観の強要
A1937年、中日全面戦争突入―皇民化政策のピークへ
▲国民精神総動員運動、「内鮮融和」
▲皇国臣民の誓い(1937,10)
★1、私どもは大日本帝国の臣民であります
1、私どもは力を合わせて天皇陛下に忠義を尽くします
1、私どもは忍苦鍛錬して立派な強い臣民となります
▲朝鮮語、朝鮮史、朝鮮地理授業の全廃、朝鮮語使用児童に罰金
▲徴兵、徴用―1939年陸軍特別志願兵令、1942年海軍特別志願兵令、19433年8月徴兵令、
1939年10月国民徴用令、女子挺身隊20万、従軍慰安婦5〜6万
▲創氏改名の強要(1940年実施)
▲在日朝鮮人の白衣に墨汁
4、創氏改名と朝鮮人民の抵抗―1939年11月「改正朝鮮民事令」
★私の父―のらいくらり、内鮮協和会指導員、特高と顔見知り、大日本人名大事典、「李を李と創氏す」、小父の救援運動、関釜連絡船、空襲
★申不出 エハラノハラ江原野原、犬子、朝鮮総督府へ「天皇皆殺郎」「昭和亡太郎」、★尹致昊→伊東致昊 ???? ★梶山季之「族譜」
5、日本の敗戦、朝鮮の解放と分断
@解放前後の思い出
★日本で「春が来る」、朝鮮北辺で「????」どんどらり流行、「京城で大学生たちが下宿で独立の相談」
★毎日酒盛り、犬がいなくなった
★「???? ????,??? ?? ??, ???? ?? ??, ??? ????」
”朝鮮人は注意せよ、アメリカを信じるな、ソ連に騙されるな、日本の奴ら起ち上がる”
A米軍の南朝鮮占領
▲全国津々浦々に人民委員会
▲マッカーサー布告(占領軍、支配者として命令)ソ連軍布告(解放された民族として朝鮮人民の自主性尊重)
▲1948年5・10単独選挙―アメリカが南朝鮮かいらい政府樹立陰謀
2・7救国闘争、集会、済州島4・3事件(暫定公式発表2万5000〜3万、28万島民のうち7万とも)麗水・順天軍人反乱、パルチザン闘争、
▲金日成の呼びかけで南北諸政党・社会団体代表者連席会議(1948年、四月連席会議)
★米人記者ジョン・ガンサーの証言
「この会議の南朝鮮代表のうちには、李承晩を除き、南朝鮮における優秀な人物がほとんど一人のこらずふくまれてた。・・
・・・これだけ多数の南朝鮮人が出席を受諾したということは、たとえ事情はどう、だったにせよ祖国統一にたいするかれらの本能が、いかに根深いものであるかを示すものにほかならない」(「マッカーサーの謎」木下秀夫・安保長春訳、時事通信社、昭和26年5月刊、p289〜290)
▲戒厳令下で1948年5・10南朝鮮単選強行―民族分断の始まり
★UP通信ジェイムズ・ローパーの証言
「アメリカ軍の偵察機が空を飛び交い、投票場はバットをもった郷保団によって厳重に護衛されていた。・・・・民間警備隊員たちは斧や弥キュバット、こん棒などを携帯し、南朝鮮警備隊はアメリカ製のカービン銃で武装していた。。戒厳令下の都市のようであった」(「アメリカ帝国主義者は朝鮮戦争の挑発者」平壌、1993年刊、P53〜54)
★元GHQ情報教育部勤務、ロイター通信駐日特派員デビッド・コンデの報告
「アメリカ人特派員の報告によれば、少なくとも500人が殺された」(解放朝鮮の歴史<下>」太平出版社、P503)
★韓国士官学校の前身は軍事英語学校、軍事作戦指揮権は駐韓米軍司令官が握っている=かいらい国家、今も国家保安法―戦前日本の治安維持法とまったく同じ
6、日本政府の在日朝鮮人政策―植民地時代と同じ抑圧と監視
▲帰国船を配船せず(在日朝鮮人240万、46年には65万に)、舞鶴港で浮島丸事件(日本当局5百数十人、市民団体3千人犠牲)
▲吉田茂首相のマッカーサー宛書簡、
★朝鮮人の強制送還を要請しながら、理由として、朝鮮人に食わせるよういな食糧がない、日本経済の復興に貢献していない、共産主義者とそのシンパが多い。(日付は不明だが1949年8〜9月頃と推定)
★「日本の鉄道の枕木一本に朝鮮人ひとりが横たわっている」といわれるくらいに奴隷労働させておきながら、用が済んだら弊履のごとく
▲外国人登録法、出入国管理法、朝鮮学校閉鎖令、朝鮮人連盟解散、
★朝鮮学校閉鎖令、朝連解散は松川・三鷹・下山事件、日共幹部追放、レッドパージと共に朝鮮戦争放火の準備
★教壇から女教師を連行した例も(外登証の常時携帯義務違反と称して)
▲国籍条項で社会保障から除外
★公営住宅入居は美濃部都知事からようやく始まった
▲とりわけ民族教育権にたいして執拗に破壊策動継続
★4・24阪神教育闘争(金太一少年)、日韓条約締結後に「外国人学校法案」、チマチョゴリ切り裂き、朝鮮高校生襲撃事件頻発
★高校無償化問題 ?敗戦直後ピョンヤン日本人学校(朝鮮のは革命家は日本人民と日本帝国主義者を区別)
▲厳しい就職差別
★民団系業界紙、日韓親和会、ミスター金、ミス李
総連結成?
★祖国から教育援助金および奨学金-―孤児が突然両親に遭ったきもち
★帰国船―「祖国が来た」
7、日本はどこに向かっているのか
集団的自衛権行使の矛先は朝鮮半島
む す び
朝鮮民族解放の闘いは今もつづいている―日帝時代は抗日闘争、日帝敗北後は祖国統一運動として。統一なくして民族苦難も、在日朝鮮人の差別根絶も無い。
★ レジメ補足・質疑
Q 創氏改名は、戦後どうしたのか。
A 敗戦後本名に戻った。しかし、日本国内では、日本名を使用しないと不便があるので、使うことはある。役所の通知は通称で来る。
Q 今後も統一を望んでいない人達もいるのではないか。
A 時代が動くとき、100%同一ではない。中核者が引っ張っていく。明治維新も全員が賛成ではなかった。しかし、時代を動かした。そういうことと同じ。 朝鮮の運命は朝鮮人が決める。自分達でやる。米露の代理戦争ではない。南北戦争時のソ連軍撤退は、金日成とスターリンとの交渉の結果だった。民族大団結のためには、ソ連軍の駐留を終わらせたいとして交渉し、成功させた。
Q 北は平和的対話を広げる努力が必要ではないか。
A 南の資本家は軍事的対決を望む。儲かるからだ。 Q 話し合いの場を多く持つ必要があるのではないか。 A 北は軍備競争する気はない。アメリカが先制攻撃を宣言している。北は核戦争の脅威にさらされている。だから核を持とうとする。
停戦は、撃ち方止めの状態に過ぎない。北は平和協定を結ぼうとするが、アメリカは逃げている。6者会談でも約束を守らず、安保理に持ち出している。