"人間と性"懇談室6月例会 感想と報告
2014年6月27日
「 蜻蛉日記に見る嫉妬 」
話題提供:青木 清
★ 話題提供者レジメ
蜻蛉日記は、藤原道綱の母が、19才の頃に当時の貴族のなかでもトップのエリートであった26才で時姫という妻があり、長男の道隆も生まれていた藤原兼家と結婚してから21年間の結婚生活。兼家は結局、九人の妻を持つことになる一夫多妻制 の世の中の中で、兼家の愛情を 独占しようと苦悶しようとしている悲哀に満ちた日記であるである。紀貫之が女文字にて(女の気持になって)書いた「土佐日記」から約30年後、「源氏物語」よりおよそ30年前に書かれた。
兼家が他の女の元に通い始める。作者は兼家が出て今他後に残された文箱の中の、よその女に宛てて書きかけた手紙で知る。作者は「あさまし」と感じる。作者は手紙に、歌を書きつけて、見ま したよというサインを送ろうとする。歌のもつメッセージ性に自分の思いを託そうとする。それを見れば兼家も少しは反省するかもしれないと思ったからであ る。
その歌は、掛詞や縁語などの技巧を凝らして、嫉妬の気持ちをあからさまに書いた。
ところが、兼家には効果がなく、十月下旬に予想通り三日間顔を出さない日が続いた。三日続けて女の元に通うと結婚が成立する。ちなみに、三日目の夜が終 わった朝、女の家から帰って書く手紙が「後朝(きぬぎぬ)の文(ふみ)」である。その後、兼家は何事もなかったように作者の家を訪れ、「しばらく通わな かったのは、あなたの愛情が変わらないか試したのだよ」と白々しく言う。そして、夕方になると、「宮中に用事があるので」と見え見えの嘘を言って出かけ る。作者は召使に尾行させる。すると、町の小路の女の所へ行ったと報告があった。相手が自分よりランクの下の女だったので、作者の気持ちは一層落ち込む。
しかし、それも当時の男にしては当然の行動で
ある。作者は妻の一人にすぎないのだ。それはわかっていてどうしようもないのだが、悶々として過ごしている と、明け方に門をたたく音があった。兼家だろうと思うのだが、許して開けるべきか、あくまで拒絶して開けないべきか、心が揺らいでいる。結局、門 を開けなかった。兼家はそのまま町の小路の女の所へ行ってしまった。
翌朝、「なほもあらじ」、兼家の愛情を何とかつなぎ止めなければいけないと思って、また、掛詞を使った歌を読む。
嘆きつつ 一人寝る夜の明くる間は
いかに久しきものとかわ知る
嘆きながら一人で寝る夜の、門を開けないで夜が明けるまで待っている時間が、どれだけつらいものであるかあなたにはわからないだろう。
返事は、「夜が明け、門が開くまで叩き続けようと思ったが、急用を知らせる召使がやって来たので引き返さざるを得なかった。あなたの気持ちはもっとも だ」とあり、作者の歌の掛詞を利用した歌が添えてあった。本当に冬の夜は明けるのが遅いけれども、あなたの家の門も開くのが遅いね。作者の気持ちを汲むような素振りを見せながら、門を開けなかった作者を責めている。
それにしても、私がこれだけつらい思いをしているのに、兼家は不思議なほど何事もなかったように、私の目を忍ぶように「宮中に用事ができたから」といちいち言い訳をすることもなくなり、完全に無視されてしまったのは、「いととどしう心づきなし」と、一層気に食わなくなった。
この後、兼家は作者の元にも時姫の元にも通わなくなり、作者は時姫と共闘し、時々訪れる兼家を追い返す。そのうち、町の小路の女は男の子を出産するが、 兼家の愛情は薄れていく。さらに、その男の子も死んでしまい、作者は胸がすっとする。
「愛せられることは出来ても自ら愛することを知らない男に執拗なほど愛を求めつづけ、その求めべからざるを身にしみて知るに及んではせめて自分がそのためにこれほど苦しめられたということだけでも男に分からせようとし、それも遂に絶望して、自らの苦しみそのものの中に一種の慰籍を求めるに至る、不幸な女の日記」 堀辰雄
「道綱の母の不幸は性格の強さが招いたものではないだろうか。ナルシズムの強さと、プライドの並はずれた高さのために、彼女は男に尽くそうとはせず、一から十まで男に尽くしてもらうことを要求する。(中略)人生の陽の当たる場所しか歩いて来ない。人生の翳りのあることは知って居ても、自分とは無縁と思いこんでいる」 瀬戸内寂聴
嫉妬の三層または三段階(フロイト)
・競争的な嫉妬または正常な嫉妬。
悲哀や、失われたと思い込んだ愛の対象に
まつわる苦痛や、その他のナルシズム的な痛手から構成され、さらに優遇された競争相手に対する敵対感情。
・投影された嫉妬。
誠実。ことに夫婦生活の間で大事にされて
る誠実さは、たえざる誘惑を退けて初めて守られる。自分の内に不実への傾向を否認するものは、自分の内にある不実への衝迫を、誠実に守らなければならない相手の内に投影することで、自身の良心の責めから解放・軽減される。
・妄想的な嫉妬、または病的嫉妬
嫉妬の情念は、愛する相手が自分から遠のくことによって余計に燃え上る。しかし、病的な嫉妬は、相手を完全に独占しつくしたときにかえって情念が亢進する。
嫉妬対象との距離感
対象との間に自分の想像力の埒外であったり非現実的な程の差が存在する場合、嫉妬の感情は芽生えにくい。
嫉妬を感じる時、対象と自分との間には『距離』が見えている。無理をすれば半年〜数年内には追いつける程度の距離を感じると嫉妬心を生み出し易く、対象との距離が僅差であるほど負の感情(悔しさ)も強くなる傾向がある。
反射的感覚的本能的無意識の無責任な距離感で”射程距離内”であると判断され、それが自分の望む方向である場合に嫉妬の感情は芽生え易くなる。(一般に実力が僅差の相手と競う事が成長に有効とされている。)
その対象に対して嫉妬を感じるとき、その対象に自分は追いつく事が出来る と、無意識又は意識的に思っている。
ゆく道の先にある強大な対象に対し嫉妬するかしないかは、対象との心理的実力的距離感を表している。
「負けず嫌い」「見栄っ張り」「自尊心の強い人」は嫉妬しやすい!?
嫉妬心にかられやすいと言われるのは、まず「負けず嫌い」な性格の人。「他の異性に自分が負けるなんて許せない!」という気持ちです。恋人の周りにいる異性と自分を無意識に比べてしまい、妙に競争心を覚えてしまうタイプです。
前妻が親しい女たちをかたらって後妻を襲い,家財などを打ち壊しらんぼうをはたらくこと。
うわなりとは,古語で前妻を意味する〈こなみ〉に対する後妻,次妻に相当し,また第二夫人,妾を指すことも多い。一般に刃物は用いず棒や竹刀で互いに打ち合うとされる。平安時代にもみられるが,室町時代に多く行われたとされ,主に武士や町方における行為が記されている。一人の男性をめぐる複数女性間の対立,嫉妬に由来する。
うわなり【嫐】
古くは古事記に大国主命の正妻スセリビメ(スサノウの娘)が、ヌナカワビメに「嫐(うわなり)妬む」という記述がある。
★6月例会感想と意見
蜻蛉日記の「母」は、夫に期待できず子どもに期待し、子どもからも拒否されてあきらめ、孤独に生きる女となる。
蜻蛉日記の「母」は、当時としてはトップクラスの女性。彼女が街の女に負けたから腹が立っている。
嫉妬から、生霊になって命をとりに来る話もある。「今昔物語」には、純粋の男女の嫉妬が書かれている。
「天城越え」では、少年の純粋な嫉妬が物語を展開させていく。
誰でも嫉妬心はある。息子は父親が敵となり、母親と通ずる話も多い。
嫉妬は人間の最後の課題であり、理解は不能ともいえる。
愛情の裏返しが嫉妬。自分が好きでないと嫉妬しない。
年齢が上がれば、許容範囲が広くなるから、嫉妬が激しくなくなる場合もある。
劣等感が嫉妬に繋がることもある。松本清張にはあると思う。
シーザーは、自分が素晴らしい男と思っていたから嫉妬しなかった。周囲からも素晴らしい男と思われていたから、嫉妬されなかった。
男の場合は、独占欲が広がっていく。メルアドを教えられただけで「自分の女」と考えてしまう男も居る。
自分の思い込みによってストーカーになっていく。拒否されたことを理不尽な仕打ちと考え、ストーカーになっていく。
ストーカー状況は、ギリシャ時代からあった。相手のことは考えずに追いかける行為。嫉妬の枠を外れた感情。拒否されればされるほど燃え上がる。何でも自分に都合よく解釈して行動していく。自己愛を超えて、病的になっていく。
昭和一桁の男は、小学校などで女の教室をのぞいてぶたれるくらいの時代に育っているから、女に対する「免疫性」が少ない。そのため、親切にされることと愛情とはイコールでないことが考えられない男もいる。
知識はあっても経験の減少している現在の社会でも、問題が起きるのでは。
男女間の解決は、最終的には金になるのではないか。
結婚制度と財産の関係では、平安時代と中世では違う。通い婚の平安の場合は、財産は問題外となり、中世では財産が関係してくる。
男が戸籍を尊重する明治民法では、女は無能力者として扱われた。