"人間と性"懇談室9月例会 感想と報告

                                                    2013年9月30日.

「現代に生きる江戸春画」

話題提供 田畑真七

 技術としても表現としても洗練を極めた日本の木版は、世界の美術・印刷史の中でも画期的なものでした。迅速に大量の多色摺りが可能になった浮世絵は、江戸のマスメディアとして重要な役割を果たしました。

                      

 なかでも版画として大量に出回った春画は高い芸術性を誇ったが、性教育のためか、性文化の追求か、はたまた思想、宗教的意味合いがあったのか、・・・・

 田畑さんが理事を勤めるアダチ伝統木版画技術保存財団から借り出した版画七点(コピー)を鑑賞しながら話し合いました。

 わが国の木版画の歴史は極めて古く、およそ1200年前に木版を利用して衣服の文様をあらわした蛮絵が正倉院に所蔵されています。木版画が一般に普及し始めたのは、江戸時代に入って菱川師信が浮世絵を製作しときからで、この段階で下絵を書く絵師、これを版木に彫る彫師、紙に摺る摺り師の分業体制が確立しました。 

  明和2年(1765)、鈴木春信によって錦絵という形式が開発され、従来2ないし3色であった色彩は10色以上となり木版画の技術面は最高水準を極めました。その後、歌麿や写楽の写実的で精緻な表現技法の確立にいたって完成の域に達し、江戸時代末期の北斎、広重の風景画も木版画の色彩美を遺憾なく発揮しています。

  日本でさかんに春画が描かれるようになった。1655年京都で春本の出版が始まり、その5年後には江戸でも刊行され、1800年頃までには上方での春本版行はおよそ終わり江戸に移りました。

 江戸幕府の規定を守る必要がない春画は、通常では出版できない極彩色の作品が作られため、浮世絵の最高の技術が使われているものは春画とも言われています。大量に出回った春画は高い芸術性を誇ったが、性教育のためか、性文化の追求か、はたまた思想、宗教的意味合いがあったのか、目的がよくわかっていません。どういう人達に需要があり、なぜ高い技術が要求されたか、今後の研究課題ともいえます。

◎ 春画も初期の素直な表現から後期にはテクニックに走るものも多くなり,お上による規制もあり貸本

 として読み物と一体になっていった。

◎ 歌麿などの作品は芸術性も高く、海外のポルノや猥褻絵などとは違っている。

◎ ヨーロッパではキリスト教文化の影響か?性を隠す文化があったが、江戸期の日本では隠すものでな

 く、日常の暮らしの中で自然に営まれていた。庶民文化の発展し洒脱や粋といった価値観の中で存在し

 ていた。

◎ イギリスでは公開されている「春画展」が日本では観られないなど、現代の日本は性の後進国になっ

 ている。

◎ 教育が観念的になっている。具体性がない。性教育も学校教育だけでなく堺的に行う必要がある。

 などの意見が交わされました。