"人間と性"懇談室2月例会 感想と報告

                                            2012年2月29日

 『私のイタ・セクスアリス』 話題提供 参加者全員

                         

    

 例会のまとめと感想

 懇談室は、参加者(珍しい2月末の降雪のため僅か6名)のささやかなイタ・セクスアリスの発表からスタートした。

 AさんのSEXの原点は、小6の頃、離婚した父とその愛人(当時ヒットした映画の主人公であるカルメンのような魅力的な女性)との生活の中にあった。「かいま見た女性の裸、二人の性生活、さらには偶然見てしまったその女性の性器の圧倒的存在 ・・その後のAさんの性意識を支配する程の影響を受けた」という告白が印象的であった。  

 Hからは、中学2年当時に見た、美術本にあった安井曾太郎の裸婦から受けた衝撃によるマスタベーションの真似ごとから、幾多の回り道、紆余曲折を経て、ようやく自分の性行動が完成できたこと。即ち男の性も決して自然形成されるのではなく、経験・学習により完成するという話をした。

 女性のTさんは、九州の温かく秩序ある家庭で、愛情を一身に集め成長したが、まったく正反対の育ちの男性との結婚、そして離婚。・・更にはシングルマザーとしての大変なモテモテ体験、そしてピンチに手を差し伸べてくれた上司との、20年間にわたるセックスパートナーとしての生活、そして別れを、サラリとした口調で述べた。  

 Fさんは、女性と接する機会が少ない職場(製薬工場)での、真面目な職業生活と器用で料理等苦も無くこなす私生活の上に、二十代に経験した風俗女性との体験が必ずしも楽しくなかったことが重なり、気が付いたら独身のまま熟年を迎えていた・・との発表があった。  

 Iさん(女性)は、女系家族の上 カトリック教徒という環境の中で成長し、 尊敬する先生(男性)がトイレに行くことにもショックを受けた超純粋培養型 少女であったとのこと。それが痴漢あるいは恋愛経験の体験の一つひとから衝撃を受け女性として成長したこと。たとえば、キスの体験で異物(相手の舌)が口の中に入ってきてビックリしたという、今では天然記念物に指定されそうな話も面白かった。  

 

  

 これらの発言を踏まえて、参加者全員で討議し、やや強引にまとめた結果は次の2点であった。

        (H.Y)

  

 

   ★ 2月例会話し合い

 6名に共通していることは「無知ゆえの数々の失敗」。

 「アラ古希」の今になって思えば、女は男の、男は女の「性」を知らなかった故におきた数々の「笑うしかない悲劇」。であることは、参加者全員で確認された。

 その後は、性教育推進派と、抑止派での論議となった。

 抑止派の論は以下のように要約される。

 性教育をすればセックスに目覚めるのではないか。むしろ、性教育はない方が良いのではないか。

 個人的発達の違いが大きいから、教室という場ですることがふさわしいかどうか。そもそも性は学ぶべきことであるのか。

 推進派の論は以下のように要約される。

 性器を見てトラウマになったり、ディープキスの存在、レイプとは何かも知らずにおとなになってしまったり、思いを伝えられずに定年まで独身でいることになったり。すべては知識や感性が育てられなかったからではないか。

 この雑誌(週間ポスト2/24号)にあるように、世界中の国々で、その国の事情に合わせて性教育が学校でされている。

 例えば隣の韓国ではレイプについて教えている。それは日本の数倍もレイプが多いからだ。

 雑誌にはないが、コスタリカでも小学校3年でレイプを教えている。

 中国では一人っ子政策から「自慰」を強調している。

 「お国柄」で教える内容は多少違うが、必要性にあわせながらしっかり学校で基本を教えている。

 「ポルノ産業先進国」の日本では、どうするのがいいのか、考えてみればすぐに結論の出ること。学校での性教育がなければ、子どもたちはポルノで教育される。それでもいいのか。

 推進派におされて、抑止派も「基本的には性教育は必要だ。性教育を否定はしない」と発言するまでに変化した。

 当人にとっては、その後の人生を左右する「大事件」も、生まれてすぐからの性教育を受けていれば「大事件」にはならずにすんだことがほとんどだという点では、参加者の一致を見た。

 性教育は、子どもにだけ必要なものではなく、おとなにも必要であり、セミナーでは「研究所のメッセージ」を広く伝える必要がある。研究所の根本理念は「性教育が必要」だから、その理念を全面的に否定する立場での「懇談室」の存在はありえない。

 

 さまざまな事象を性急に「性教育がないから」に結びつけるのは短絡的であり、社会科学的な多面的見方が必要ではあるが、性教育を狭い視点で捉えず「人間教育」として捉えていくことが求められている。が、結論になった。

 


 

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