"人間と性"懇談室1月例会 感想と報告
2012年1月26日
『慰安婦・虐げられた女性たち』 話題提供 木村宣弘
★話題提供者レジメ
横浜開港150周年記念に「港と女の横浜150年史」という本が出版されました。娼婦の近代史ともいうべき本なのです。タイトルは「消えた横浜娼婦たち」でした。港町横浜に立ち続けた外人相手の娼婦物語なのですが、横浜では有名な人物でした。白塗りの顔で白いドレスにエレガントな帽子をかぶり、ヨーロッパ映画の貴婦人そのものです。戦後最後の老娼婦でした。日傘をさして港の近くにしゃがみこんでいるのが、異様で近づきがたい存在でしたが、人間を見抜く感知能力はバツグンです。
その頃の私は好奇心旺盛だったから声をかけたのです。セックスしたいからではなくて、どんな人生を歩んで来たんだろう?そっちが気になって話しかけました。その時の会話をノートに書いていつか曲にしてやろうと思って未だに実現していないのですが・・・
勇気をもって娼婦との対話を発表します。わざとセクシーっぽく話したので相手が顔負けしたのか、最後の決めゼリフが「あんたには負けたわよ!あたいのナワバリ荒らさないで!」とポツリ・・・お互いニッコリと心が伝わりとてもハッピーな気分になったことを思い出します。
♪パンスケさんに捧げる唄♪
夜の街に立ってコイコイをしているパンスケさんたち
あなたの勇気ある主体性ある行動へ、深く敬意の意を表します
夜の街をなんとなく酔っ払って歩いてたの
そしたらぼくのおかあちゃんにそっくりなおばちゃんが
あたいにコイコイするの?いゃあね
でもぼくはすぐいゃあねって言えないのよね
だからポーズをとって言ったの
いゃあね。あたいがほしいの?たかいわよって!
そしたらおばちゃん逃げて行っちゃった
さびしそうでいやらしそうなおばちゃんに
悪いことしてごめんなさい
おばちゃんの方がチクロで騒ぐクソババアよりましよ
モーニングショーで一番いい着物きてうしろに並んでる
クソババア達より主体性があるわよ
それはセックスにおぼれていないからよ
でもさびしそうなのはどうして?
しあわせな家庭はほしくないの?
まさかほしいなんて言わないでしょう?
ゲンメツよ
それじゃお体に気をつけてね
自分におぼれないで仕事にセイだしてね!!
パンスケのおばちゃんへ・・・
パンスケという言葉にとまどいを感じる人もいると思いますので説明します。ジョン・レノンの「女と黒人は世界の奴隷なのか」という唄があります。バッシングどころか、すでに差別されている歴史があったので逆に差別・女性解放運動に役立ったのです。
戦後パンスケというコトバをさげすみで使われ、どれだけ傷ついたことだろうと思うとパンスケという死語に近いコトバを生き返らすことも無駄でないんじゃないかと思ったわけです。
こんな女に誰がした〜♪女の恨み節にはもってこいの言葉でしょう?純潔を守るための犠牲になったのですから・・・
男が女性の人格を認めず、公衆便所のように相手の人格を破壊することは、男の人格がすでに破壊されているからだろうと思います。
天皇の為に喜んで戦争の為に「天皇の赤子」を生めよ増やせよで「赤ちゃん生産機」の為に日本から兵隊の嫁として中国にわたる大勢の女性達。当時の洗脳教育で他国の人間が大量に殺されて勝ったと喜ぶ日本人!情報操作されていることも知らずに・・・
港は貿易意外に人間の哀愁も残酷も行き来するものなのか?ナチスはゲルマン民族の血を守るためにユダヤ民族の血をドイツから無くしようと大量殺人をやりました。それと同じように異民族の混血児が大量に生まれ日本民族の純潔が汚されることを恐れ、引き揚げ女性を待っていたのは検診と中絶でした。ナチスと同じことをやったのです。
当時は『堕胎罪があるにもかかわらず国法を犯すことになるがやむをえない』と政府関係者から言われ、妊娠や性病に苦しむ女性を連日強制的に検診・中絶を行ったそうです。このことはあまり知られてないようですが、医師と看護婦の証言があります。
先のメリーさんの話ですが、戦後の占領下で街頭に立ち客を引いて、やがて進駐軍兵士と特定の男ができた場合「オンリー」と言っていた一種の妾で「オンリー」になった人はプライドが高かったそうです。
遊郭の太夫は高度の教養が要求されたそうだが、メリーさんは米兵はやさしかったというから、愛の為に生き、それを貫こうとして横浜に残ったのか?しかし朝鮮戦争で米兵の移動が頻繁になったことで「オンリー」を失う不安と悩みはあったと思います。不可解なことばかりです?日本版「君の名は」のようにも感じてしまいます。
日本の売春制度の発達の起因は鎌倉時代にまでさかのぼるそうです。社会制度として定着したのは徳川家康が自分の永久政権を維持するために、大名や高級武士らの反逆を封じる秘策として遊郭へ導き金を使わせ、骨抜きにして軍資金消耗作戦を考えついたと言われています。
諸大名の「金玉ぬき」政策から美貌を高級遊女の太夫に求め高度の教養を見につけさせたと言われています。遊ぶ金は莫大で月に三日以上太夫遊びをすると破産することを知って始めたというから驚きです。現代の高級官僚みたいな遊びとケタが違うのですからびっくりです。徳川幕府が三百年も続いたのはそういった制度があったからだと言われているが・・・
こうして特権を与えられた楼主は絶対権力者と手を結び、いたるところにたくさん出来上がったと言われています。女郎に対する搾取を行いそのことから元禄の頃に遊郭は一般市民も通うようになったという。このことが日本国民の性格形成にも重大な影響を及ぼすように至ったとのことです。遊郭、娼婦に対する残忍性をむき出しのまま戦国時代、日清・日露・太平洋戦争から(従軍慰安婦と称する)ただの女郎屋が国家公認の女郎屋開業となってゆくのですが・・・
なんたって精力溢れる若い兵隊さんにとって性の処理が問題になることから、民間人への強姦を賞賛していやしめ、戦いのご褒美ということでやりまくることをさせられ、罪の意識ももたされぬまま進軍する日本兵。
国内のプロ娼婦だけでは足りないので、当時植民地の女たちをだましたり強制的に連れて来て彼女たちに日本式源氏名をつけて慰安婦に仕立て上げたそうです。
貧しさからカラユキさんといわれた日本の女性は騙されて娼婦にされたという歴史がありますが、戦争が終わって日本に帰っても親、兄弟、身内、親戚からも見放され、一人で寂しく一生を過ごすハメになった女性はたくさんいたそうです。
日本に帰るのが嫌だから海外にお墓を作って日本に背を向けて作ったカラユキさんのお墓がたくさんあるとのことです。
田中絹代主演の「サンダカン八番娼館」という映画を見ればわかります。実在の人物をモデルにした映画です。虐げられた女性のやるせない映画でしたがぜひおすすめします。
男たちの戦いの裏には留守を守る愛国の母と妻たちと戦地での慰安婦たち!この二組の女たち!!女たちの性を踏みにじった歴史は戦後経済大国となった日本の男たちによる買春ツアーへとつながったのです。
★ 話し合い概要
● 慰安婦とは何か?
・ 慰安婦は以前は単に「ピーやピーや」と呼ばれていた。(ピーは慰安婦を意味し、ピーの店の意味でピー屋) (従軍慰安婦の言葉は、作家の千田夏光氏の造語)(ウィキペディアよりの引用)
● 一夫一婦制が絶対的なものなのか?
● 売春に対する罪悪感はあるのか?
・ 個人のモラルは、社会の基盤の上にある。だから赤線があった時代の若者と、今の若者では罪悪感の有無は 違って当然。(※ 下段に慰安婦関係のサイト記事転載)
まだまだ論議は尽きなかったが、時間切れとなり、一夫一婦制、男女の平等などについては、機会を改めて続きの論議をすることで閉会となった。
★慰安婦について補足 (ウィキペディアより転載)
慰安婦(いあんふ)とは、日中戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争[1][2][3][4]、ベトナム戦争[5]及び韓米軍事合同訓練[6]並びにアメリカ軍[7][8][9][6]、連合国軍[10]及び国連軍[8]の駐留時などに、当時の戦地、訓練地、駐留アメリカ軍基地周辺の基地村[6][11]などに設置された慰安所と呼ばれた施設で日本軍、韓国軍[1][2][9][6]、アメリカ軍[8][9][6]及び国連軍[8]の軍人・軍属に対して、性的サービスを行っていた女性の総称。(当時の呼称など詳細は下段を参照願いたい)
女性を慰安婦にするため戦地に強制連行したという主張がなされ、社会問題となった1980年代から1990年代当時、千田夏光が造語した「従軍慰安婦」[77]という呼称が浸透し、旧日本軍の慰安婦は「従軍慰安婦」と呼ばれることが多かった。
これに対し“従軍”という言葉を巡り、慰安婦は旧日本軍による強制ではなかったとする立場から「旧日本軍が強制連行した証拠はない」、「当時、『従軍慰安婦』という言葉はなく、『慰安婦』と呼ばれていた」という主張や、また強制であったとする立場においても、女性団体などから「従軍という言葉は自発的なニュアンスを感じさせる」との批判や抗議などがなされた[78]ため、近年のマスメディアによる報道では概ね「慰安婦」という呼称が用いられるようになり、「従軍」を付けるときは「いわゆる」を頭に付け「いわゆる従軍慰安婦」と使われることもある。
また、同じく旧日本軍による強制でなかったとする立場からは、「『従軍』という言葉は、軍属という正式な身分を示す言葉であり、軍から給与を支給されていた」から、慰安婦に使う用語ではないという主張もあった[79]。これは、従軍看護婦、従軍記者、従軍僧侶などと慰安婦を「同列」に扱うことを非難する意味もあった。
千田は、従軍看護婦の主力は「日本赤十字社救護看護婦」で、給与は日本赤十字社から出されていたこと。戦後の軍人恩給で、ごく一部の婦長を除き、軍属ではないとして恩給の対象から外されたことなどの例を挙げ、「従軍とは軍隊に従って戦地に行くことであり、それ以上の意味もそれ以下の意味もない」と反論した[80]。
現在でも一部に「従軍慰安婦」という呼称が用いられる例がある。2009年7月10日、埼玉県平和資料館で在日本大韓民国民団が歴史年表の「従軍慰安婦」から「従軍」の2文字が削除されたことについて復元するよう抗議を行った[81]。
日本では2000年代から民主党などによって日本軍慰安婦(日本人女性のみ除外[82])は「戦時性的強制被害者」[83]という新たな名称で呼ばれており、民主党などが提出する「元日本軍慰安婦とされる人々へ新たな謝罪と賠償を行う」とする法案名は「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」とされている。
韓国では、国連軍相手の慰安婦が韓国警察や韓国公務員により挺身隊とも呼ばれていたこともあり[6]、日本軍を対象とした慰安婦問題が起こった当初から、「女子挺身隊」との混同から呼ばれてきた「挺身隊」という呼称が一般に定着している[84][85][86]。
日本軍のみを対象とした慰安婦問題の代表的団体である「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は「従軍慰安婦という言葉は正しい表現ではない」とし、「日本軍慰安婦」と呼んでいる[87]。
英語圏では、「慰安婦」を直訳した“Comfort Woman”という呼称が用いられている場合が一般的である。しかし近年、慰安婦制度を人権問題や戦争責任問題などとして告発する立場などにおいては、性奴隷の訳語に当たる“Sex Slave”[88]の用語が用いられることもある。
『ニューヨーク・タイムズ』は日本軍相手の女性達を性奴隷もしくは慰安婦と呼称しているが[89]、アメリカ軍相手の女性達は日本軍の慰安婦とは異なるとして売春婦と呼称している[25]。
一方、アメリカ軍や韓国軍などを相手とした女性達への当時の韓国政府や韓国報道機関による公式呼称は慰安婦である[8][9]。
慰安婦制度を批判する側では、「慰安婦」という言葉が実態を反映していないとして、「日本軍性奴隷」という用語を使用したり、慰安婦を括弧付きで使用している例もある[90]。また、金銭授受が明確にあった事から「追軍売春婦」とも呼ばれる。