"人間と性"懇談室「くらしの中のジェンダー」特別企画 感想と報告
2020年12月24日
『「性差(ジェンダー)の日本史」をみて』
● レポート報告にともなう話し合い概要
○ 第1章 古代社会の男女
Q 男女の区別無く首長に選ばれていた時代から、男性が中心になっていく過程には、戦争が関係しているのだろうか。 戦争により女より男が優位になったのか。
- 女は産む性として大きな存在だったと思う。しかし、女はひとつの所にいて子育てをするから、狩の場に出て来られない。男は武器を持ち、獲物を狩るからか。
- 農業では男女一緒だが、農業集団になり、私有財産をめぐる争いが起きるようになると戦争がおき、やっつける存在の男が優位になっていく。
- 男は自分の子に稼ぎを渡したい、子にいかに継がせるかを考えるようになったのでは。
- ビクトリア時代には、女が力を持っていたが、その後男に戻った。家族一の金を持ってくる存在としての男。稼ぎ高では男が優位。稼ぐことが力になり、男が力を持つようになったのでは。
○ 第2章 中世の政治と男女
Q 女性が影の存在になりつつある時代に、家長としての権能を発揮できたのはなぜか。
- 権力構造は位で現される。女帝も居た。
- 位は、古墳時代から作られ始めて、中世ではっきりした。
- 中国の道徳思想が日本に入った。そのため、文明のたたかいが起き、日本文明が消えるほどだった。中国文明にのっとられた感がある。
- 文明の中国化がある。中国化にともない、女性の役割が変化した。中国でも男女差が強い。女性には纏足の強制などもあった。戦争の数も多い。
- ヨーロッパでは男だけの戦争が続いていた。第1次大戦でやっと女が出て行くようになり、第2次大戦では男と同じになった。近代戦は総力戦で、それ以前は男だけの戦争だった。
○ 第3章 中世の家と宗教
Q 中世がなぜ女性差別を強めた時代となったのか。
- 中国の影響が強かったのではないか。薬師寺、唐招提寺などの建物は、中国官僚の建物を模している。
- 寺の建物に、中国官僚の建物が真似られ、寺院の中心になった。
- 日本の神道は男女差が余り無い。仏教では、女は不浄の者とみなされ、聖地に入ってはならないなどと言われ、排除された。
- 仏教のなかでは男女差がある。女人禁制などがあった。今もあるかも。鳥海山、月山などは無くなったが。
- 男女差別が日本書紀あたりにはあった。
○ 第4章 仕事とくらしのジェンダー ―中世から近世へ―
Q 女性は手内職をしていればよいとされたのか。どんじゃを作ることが女性の仕事に対する証であったのか。
- 職業はいろいろあった。力と技術が高度化するなかで、男が作るようになり、女は売りの技術で商売に移った。
- 重い物を扱う、大変な仕事は男が担当した。豆腐売り、箱作り、木椀、旋盤など。女は油売り、古着回収など、力を要しない仕事に就いた。
○ 第5章 分離から排除へ ―近世・近代の政治空間とジェンダーの変容―
Q 江戸時代には、特に町人階級では女性の地位はさほど低くなかったといわれるが、明治政府になって、より女性差別 を強めたのはなぜか。
- 明治初期には、憲法は無く、刑法・民法もなかった。
- 武士の文化である儒教の政治化が起きた。中国の孔子による人間制度から来ている文化で、江戸時代の町人文化とは全く違う武士文化を政治化した。
- 土地と金を守るのが武士の思考。
- 江戸城明け渡しに関しては、女の力が強かった。女房たちの就職斡旋も女がした。
- 外国と肩を並べるために、国防を高める必要があった。そこから男が優位になっていったのでは。
- 「一銭五厘で兵隊作れる」という言葉は、世界一とも言える日本の戸籍制度にも関係ある。江戸時代から「人別帳」として戸籍が整ってはいたが、明治以降の戸籍は法律的にさらに整備された。アメリカでは戸籍を取るのが大変だが、日本では「謄本」にすべて出ている。
- 戸籍があると、国が管理しやすい。
- 江戸時代の朱子学は、男優位の思想。自分たちの男の子が跡を継げば、どんな女でもよいとの考えがあった。養子が半分近い数あり、妾の子でも跡を継げた。
- 江戸時代は制度と実態を使い分けていた。町人の娘が武士の養女になるなど。表と裏を使い分けていた。明治政府は、裏を認めなかった。
- 農民文化では、道祖神は男女だし、農業は男女の仕事の共通性があるなど、武士とは大違いである。
- 江戸時代では、女が持ってきた持参金は、離婚時には女に返す決まりがあったなど、女の地位は低くなかった。明治になると、財産権さえ否定してしまった。
- 明治、大正期の吉屋信子の小説「夫の貞操」では、不貞の夫のもとに妻は帰ってしまうという考え方が表されている。
- 明治時代になり、封建制に戻ってしまった。
- 日本の資本主義の発展は、紡績など女の労働から出ている。支配は男で、実働は女がになった。
○ 第6章 性の売買と社会
Q 明治以降の法律改正により、名目的には「自由意志での売春」となった後、中世・近世では、差別の対象ではなかっ た売春婦への差別が広がったのはなぜか。法律だけで簡単に変われるのか。
- 私有財産の成立とともに娼婦が生まれた。
- 遊女には、武士の未亡人や貧農の娘が売られてなった例が多いことから差別に繋がったのだと考えられる。彼女らは、金で縛られていた。
- 災害大国日本で、農民はどうするのかといえば、ぜげんが入り込み、娘を売ることになる。娘たちに技術を教えることは無かった。
- 1934年の東北地方の冷害の結果では、遊女735名、酌婦574名、女工633名などとなっている。親子心中も308件あった。
- 明治には、女の仕事が少なくなった。江戸時代には商売は女に多かった。のりや針など、多くの物を売っていた。
- 「しののめのストライキ」という歌は、遊女のストライキの例から生まれた。明治には、いくつかのストライキが各地であった。
- ポーランドでは、30年前には娼婦がいなかった。5年後に再訪した時には娼婦がいた。
○ 第7章 仕事とくらしのジェンダー―近代から現代へ―
Q 明治時代の鉱山労働者には男女が組みになって従事した。就業後、夫は晩酌をしているが、妻は夕飯の用意、子ども の世話などの「家事」におわれている。同一労働に従事しながら、夫と妻の家庭内のあり方は差別的であるのはなぜ か。庶民にも明治憲法の男尊女卑が浸透していたのか。
Q 50年も前から、性差別廃止を目指す活動を省庁内で展開しながら、今日まで大きな成果が見られないのはなぜか。
- 近代は男女差別が大きくなってきた歴史である。
- 古代はおおらかであったが、近世・近代に進むと封建的になった。
- 鉱山労働には、賃金格差があったから、夫は晩酌、妻は家事になったのではないか。
- 明治になり、男は郷里に帰省しても、手伝いとして重宝された。女は布に関する仕事しかなかった。農村では、今30%しか自給率が無い。農民がだめになっている。
- 結婚に関しても、明治以後も足入れ婚が続いていた。
- 明治時代には、教育しない女を男が作った。男は楽だからその地位を明け渡したくない。
- 日本では、1958年でさえ女のデザイナーは0だった。10年後にやっと女のデザイナーが出てきた。
- イギリスでも、女は寒い場所で仕事をし、男はリビングで読書しているのは、男が稼いでいるからか。男と女の関係が18世紀に戻ってしまっていた。
- 男女の賃金格差は古くからある。イギリスでは、女は一日中食事の支度をしている。3度の食事とお茶を含めると。それにもかかわらず労働に見合う賃金は支払われない。家事には金を支払われない。
- イギリスでは、黒かった鍋を白に変えた。そのため掃除時間が増え女の家事時間が増えてしまった。
- 昭和の50年間で、女は実績が作れなかった。現場でも総合職にはならないから、女に対する訓練が少ない。
- 税金の控除など国の政策で、女は家庭に閉じ込められている。
● 参加者の感想
- 民主主義の発展とともにジェンダーも進むと思う。女の解放は、社会主義の発展がともなう。弱いものに寄り添う考えは、社会主義と同根。
- 民主主義を発展させれば、社会主義になる。多くの民衆と手をつなぐための方策として、ジェンダーはそのひとつになるはず。
- 女の地位向上だけでは足りない。民主化運動が無ければ達成は不可能。50年経っても実現できていないのは、民主主義の発展が無いから。
- 日本には男優位にしたいという考え方がある。税金の優遇で、女を家庭に縛っている。専業主婦にするため、政府は努力している。
- 主婦労働は価値を生まないとの考えは古い。今は、すべての労働に価値があるとの考えに変わっている。
- GHQは1930年代のニューディール政策を推進したルーズベルトが願った理想、庶民の向上を日本で実現しようとした。1950年頃労働者の解放を目指して、組合誕生など民主化運動が変わった。しかし、朝鮮戦争でだめになった。
- ポストコロナの時代になり、資本主義や新自由主義への批判が出ている。矛盾が出ているとして。
● レポート
「性差(ジェンダー)の日本史」概要
岩淵成子
第1章から第7章までに区切り、古代から中世、近世・近代、現代として展示されている。
第1章 古代社会の男女
古墳時代から8世紀頃までの政治空間やくらし、労働に着目し、ジェンダー区分の始まりから確立の過程を明らかにしている。男女の土偶の大きさも変化している。
律令国家の成立から男女の区分が現れ、社会に浸透していった。
- 男女の区別無く、首長に選ばれていた時代から、男性が中心になっていく過程には、戦争が関係しているのか。戦争によって女より男が優位になったのか。
第2章 中世の政治と男女
女性官僚が女房として、御簾の中の存在になっていく時代。
女性も家長となり政治的権能を発揮していた時代。
・女性が影の存在になりつつある時代に、家長としての権能を発揮できたのはなぜか。
第3章 中世の家と宗教
人々の仏に寄せる思いが強烈だった時代。
女性差別感の強まりが、女性の救済願望をより強めた時代でもあった。
・中世がなぜ女性差別を強めた時代となったのか。
第4章 仕事とくらしのジェンダー ―中世から近世へ―
中世では働く男女は「職人」として描かれていたが、近世になると「職人」から女性が排除され、女性が携わるわずかな職種には「女職人鑑」のように「女」というジェンダー記号が付されるようになった。
東北の女性の手仕事による「どんじゃ」は、現在、世界の美術館や博物館で注目されている。麻布に古着の木綿を継ぎ足し、麻屑を詰めた掛け布団。何重にも継ぎはぎしている。女たちの、モノを最後まで使い切ろうとする心意気が伺われる。
・女性は手内職をしていればよいとされたのか。どんじゃを作ることが女性の仕事に対する証であったのか。
第5章 分離から排除へ ―近世・近代の政治空間とジェンダーの変容―
女性の権能を否定し、政治の場から女性の排除を決定付けたのは、明治憲法体制であった。
女帝否定は、明治憲法制定過程では既定の事実であったが、枢密院での憲法に関する修正案作成時に、わざわざ、 「男」の文字を条文に挿入した。
- 江戸時代には、特に町人階級では女性の地位はさほど低くなかったといわれるが、明治政府になって、より女性差別を強めたのはなぜか。
第6章 性の売買と社会
古代は、職業としての売春は未成立であった。
中世には、芸能と売買春を家業とする遊女の家が成立した。
近世には、人身売買による売春を政府が公認。全国津々浦々に売買春が広がった。
遊女の生活は過酷で、耐えられずに集団で楼に放火する事件さえおきたほどである。
近代の公娼制のもとでは、外国人居留地や交通の要衝、軍隊駐屯地などに新たな遊郭が設置された。娼妓は、接客後の洗浄を義務付けられていた。
- 明治以降の法律改正により、名目的には「自由意志での売春」となった後、中世、近世では、差別の対象ではなかった売春婦への差別が広がったのはなぜか。
第7章 仕事とくらしのジェンダー ―近代から現代へ―
近現代の女性労働の実態、その改善のために努力したアメリカ人女性と日本の女性公務員たちの姿などを展示。
紡績工場、鉱山、コンピューター産業などでのジェンダーの影響はどうだったか。
戦後の占領下、GHQ経済科学局のミード・カラスと日本の労働省婦人少年局や都道府県の婦人少年局地方職員室の女性公務員たちは、性差別廃止を目指す活動を展開した。
- 明治時代の鉱山労働には男女が組みになって従事した。終業後、夫は晩酌をするが、妻は夕飯の用意、子どもの世話などの「家事」におわれている。同一労働に従事しながら夫と妻の家庭内のあり方は差別的であるのはなぜか。庶民にも明治憲法の男尊女卑が浸透していたのか。
- 50年も前から性差別廃止を目指す活動を省庁内で展開しながら、今日まで大きな成果が見られないのはなぜか。