"人間と性"懇談室「くらしの中のジェンダー」勉強会 感想と報告
2020年11月26日
『くらしの中のジェンダー 第3回』
テキスト 「日刊赤旗」連載「くらしの中のジェンダー1〜20 のうち 11〜15
J 黙るわけにはいかない
K「女子という呪い」からの開放
L 応援席だけ「女人歓迎」
M 主権者としての生活者へ
N 性差別の問題が根底に
● テキスト読後の話し合い概要
J 黙るわけにはいかない
K「女子という呪い」からの開放 を読んで
・ 性被害に遭うことが、決してレアケースではないことを知ることが大事
- 被害を無かったことにされたのが、4件の被害者だけではないことを知っている。ゴールデンウィーク明けに、法務省と最高裁判所に無罪判決に関して要望書を提出したという、小川たまかさんの言葉を受け止めたい。
- 男が子育てすれば「イクメン」と言われ、介護をすれば「ケアメン」と名付けられ持ち上げられる。などなど、もやもやすることに、「女子という呪い」と名付けた雨宮処凛さんの言葉を読むと、男に都合よくされていることが分かる。
- この国の女たちは、ずっと「男社会」に「都合のいい女」であることを求められて来た。「女らしさ」を求めることは、男たちに「男らしさ」を求めるハードルが高くなることでもある。性別によって何かを押し付けられない社会は、窮屈な場所に閉じ込められた状態からの開放がある。との雨宮さんの言葉には同感。
- 男女で評価が違っている。
- 女を利用するのが、男はうまい。それに気付かないで、反抗しない女にも問題があるとは思うが。
- 女はほめ言葉などの言葉だけで終わってしまうが、男は賞をもらったり、昇進したりする。反抗し、抗議した女ははじかれてしまう。
- 共産党の委員長を女にすれば良い。
- 自助、共助、公助の考え方では、まず家族が助け合い、次に地域が助け合い、そのあとでやっと公助になる。
- 菅夫人は、外国では評価が低いらしい。国内ではほめられているが。
- ファーストレディという言葉は、ジェンダー名で、公務員のお付が居るが、男の添え物であって、職業ではない。
- 妻が共に居ないと、羽を伸ばすから付いていくという説もある。
L 応援席だけ「女人歓迎」 を読んで
- 女は見世物として歓迎されている。
- スポーツをする女は月経が止まると言われていた。今は少し変化したと思うが。
M 主権者としての生活者へ を読んで
- 70年代に必修となった「技術・家庭科」は、男子「技術」女子「家庭科」と性別教育課程であったが、「家庭科男女共修」の取り組みが市民運動として起こり、現場の自主的な男女共学実践が指導要領を変えさせた。現在40歳前半以下の人は中・高で家庭科男女共学世代。という齋藤弘子さんに共感する。
- 男の家事に対する考え方が、世代によってはっきり違っている。息子世代では全く自然にしている。感覚の違いは、学校教育にもあるのではないか。
- 息子の育て方として、自立的にと意識していた。
- 政治が教育を利用している。歴史の問題、生活の問題は重なっている。
- 教科書の変更を政治家はしている。
- 家庭内で分担を分けるのは自然ではないと思う。
- 母親が病気になり買い物を父親がすると、逃げられたのではないかと思われたり、大変ですねと言われたりする。
- 家事をしている息子たちには、バス車内で「実の子ではないからじゃない」などと、ヒソヒソ話が飛び交ったりする。
N 性差別の問題が根底に を読んで
- トリエンナーレは「表現の自由」の問題だけでなく、ジェンダーの視点から見ても意味がある。例えば、「平和の碑(少女像)」の少女像が「日本人の心を傷つける」というのは、日本人男性の尊厳を優先し、「女性の人権」はなおざりにしてよいとする考えが潜んでいると思う。という小勝禮子さんに同意する。
- トリエンナーレでは、天皇問題もあるし、慰安婦へのバッシングも強い。政府から通知が来たのには驚いた。
- 極端な例を出して、バッシングしている。政治が官僚を使って介入している。政治の介入はどこまで可能なのか。
● 当日のレジメ

● 10月例会補足レジメ
泉修ニ


