"人間と性"懇談室「くらしの中のジェンダー」勉強会 感想と報告

                                                    2021年1月28日

    くらしの中のジェンダー 第4回  

                   

      テキスト 「日刊赤旗」連載「くらしの中のジェンダー1〜20 のうち 16〜17

         

               O 王子待つ? タフな上昇志向

               P 能力発揮できる職場へ                                          

              

   

 

● テキスト読後の話し合い概要

 

  ・ 王子待つ? タフな上昇志向

  ・ 能力発揮できる職場へ   を読んで

 

 

 ○ 補足レジメ「家事労働ハラスメント」の読みあわせと話し合い。

 

 ○ 「ジェンダー論をつかむ」ユニット7「女性労働と賃金格差」、ユニット8「職場慣行」(著作担当 中西祐子)より

  ・ 非正規問題の「男性化」と労働者派遣法のカラクリ

  2003年成立し、04年に施行された「改正労働者派遣法」により、ほとんどの職種で派遣労働者の雇用が可能になった。その結果、いまや若い男性の4人に1人が非正規雇用者となった。女性は3人に1人以上で男性より深刻。

給与格差は、2011年で、男性100に対し、女性は73.1程度。日本の場合は格差が大きいことが特徴。格差の要因としては、「職階」と、勤続年数。

  女性の多い職業は低賃金の傾向がある。ILOが「同一労働同一賃金」でなく「同一価値労働同一賃金」との名称にしたのは、「従事している仕事や職階が異なるため、見かけ上、両者に賃金格差が生じているにすぎない」(故に男女差別ではない)という不当な正当化が行われないようにした原則。

  1985年に成立した「男女雇用機会均等法」以前は、女性の賃金は低く抑えられ、なかには女性の「上司」が男性の「部下」より給与が低いケースさえあった。

 

 コース別人事採用制度と呼ばれる制度は、社員を「総合職」と「一般職」に分けての採用を認めたもの。従来のようにおおっぴらに男女別採用枠を設けるのは不可能になったので、企業はコース別制度を始めた。

 

● レジメ

 

『家事労働ハラスメント』 竹信 三恵子著・岩波新書2013年発行  和光大学教授(朝日新聞社経済部・ジャーナリスト)

◎食事の後片付け、洗濯、掃除、育児に介護・・・・・・。誰もが必要とする「暮らしの営み」のはずの労働が、なぜ正当に評価されないのか?

1章 元祖ワーキングプア

◎家事労働を担う働き手の排除と低い評価が、日本社会のワーキングプアを生み出してきた。

◎女性には長時間労働(または転勤)ができるかが求められ、それを引き受けることが会社のメンバーとして認められる踏み絵となっている。

◎女性の貧困元年。◎1985年=男女雇用均等法・労働者機会均等法成立。元祖ワーキングプア出現。

◎女性の深夜残業や休日出勤を禁じた労働基準法の段階的撤廃と引き換えに均等法が制定。

2章 専業主婦回帰の罠

◎専業主婦を扶養しきれない男性が増えてきたのに、女性の経済的自立が阻まれ(家事の担い手であるがゆえに)貧困の温床になっている。

◎働く時間や場所が制約されるという弱みに付け込んで、スキルに見合った賃金が保障されない。

3章 法と政治が「労働を消す」とき

◎家事労働を評価できない政治や法制度。

◎管理職であることを理由に残業代を支払われない。人間に不可欠な家事労働など、私

生活の時間を無視した長時間労働。

4章 男性はなぜ家事をしないのか

◎男性も家事労働ハラスメントにさらされている。女性の低賃金の背景には、家事労働の

担い手を、賃労働の世界から排除しようとする仕組みが根強く横たわっている。

◎再生産領域の生産領域への従属は明治からのもの。国家に尽くす生産性の高い男性像の育成。

5章 ブラック化するケア労働

◎家事労働の延長とみなされたケア労働の労働条件の劣悪化。

  介護保険基準・身体援助=4020円/H、家事援助=1500円/H。

◎同一労働同一賃金のILO「分析的職務評価」。スキル・責任・労働環境・負担度。

6章 家事労働が経済を動かす

◎海外の取り組み。産業構造の変化に合わせた家事労働の再分配。

◎欧州の病人とまで言われたオランダが、「大量の安いパートの活用で経済が活性化」、オランダの奇跡、パートの国オランダと呼ばれるようになった。

◎1982年オランダ、「ワッセナー合意」。週12時間以上のパートには、社会保険から賃金水準まで、時間比例においてフルタイム労働との均等待遇を導入した結果、女性のパート就労が増え、働く時間を自由に選べる男性のフルからパートへの移行もあって家事労働の分担が促進された。

終章 公正な家事分配を求めて

◎私たちはどう働くべきか?

@働いている間、育児や介護を含めた家事を代替えしてくれる良質で安定した公的サービス。

A家事労働と休息をする時間をしっかりと決めた労働時間の設定。

『家事労働ハラスメント』を読んで   おおた としまさ

 

・ 家事労働を貶めて、労働時間などの設計から排除し、家事労働に携わる働き手を忌避し、買いたたく。そうした「家事労働ハラスメント(家事労働への嫌がらせ)」ともいえる行為の数々が、多くの女性の貧困と生きづらさを生み、それが、いま女性以外の人々の貧困と生きづらさをも招き寄せる。景気回復の切り札とはやされたアベノミクスは、「女性の活躍が成長を生む」と謳い上げた。だが、ここでも家事をしながら賃金を稼げるような労働時間の規制や、短時間労働でも賃金を買いたたかれない正社員とパートの均等待遇は無視され、むしろ、「活用」の名の下に家事労働と仕事の二重負担は過酷さを増しつつある。

・(「男性が育児や家事を経験すればその経験が仕事にも活かせる」というロジックは、)働き手の人権としての再生産分野の評価を進めたくても、戦略的には、「生産する身体」の強化に役立つものとしての再生産分野の再評価(=再生産領域の新たな従属)を押し出さざるを得ない状況が生まれている(ことの表れ)

→「生産(外での仕事)」という文脈の中に、「再生産(出産・育児など)」の営みを組み込んでしまうこと自体が、仕事優先の価値観の表れであると私も常々訴えている。外で稼いでくることは、生活の糧を得るという意味で必要不可欠。しかし、家事をして、子育てをするというのは、食べたり、排泄したりというのと同様に生命維持にとってさらに深い次元で必要不可欠なこと。仕事にも役立つからという功利的な理由でするというのは本末転倒。そのロジックで男性に家事・育児をさせたとするならば、利益享受が不十分であると感じた者は、再び家事・育児をしなくなることになる。ま、一度やってみたら楽しかったから利益享受がなくても家事も育児もしようという気になる人も多いとは思うし、家事や育児をしたら結果的に仕事にも役立ったというのならいいと思うが。

(「仕事を効率化して早く帰ろう」というワークライフバランス観が広まることによって、)そうした社会で謳われるワーク・ライフ・バランスは、働き手が自分の工夫で効率よく働き、自主的に労働時間を短くする(仕事が終わらなければ自己責任)、ただの生産性向上運動に転化しつつある

→「仕事を効率化して、定時退社して、家族との時間を増やそう」という発想こそ、仕事優先の潜在意識の表れであることは、拙著で述べたとおり。「仕事が終わってから家族の時間」という固定概念から脱却しなければ真の意味でのワークライフバランスにはならない。私が思う真の意味でのワークライフバランスとは、会社での会議や得意先との打ち合わせのような仕事上のタスクと、子どもの送り迎えや食材の買い出しのような家庭の中でのタスクが基本的に同等の重みをもつこと。しかしこれには抵抗感を覚える人も多いだろう。ちなみに竹信さんは著書の中で家事を労働と捉えているが、それは家事を有償化せよという主張ではもちろんない。竹信さんが「家事」と「労働」を同等に比較すべきという主張は、私がいう真のワークライフバランスの延長線上にあるのではないかと思う。私自身は家事とは生きていくうえで最低限必要な営みであると考えており、それを労働と同次元にすることは本来的に抵抗があるのだが、そういう文脈であればありだと思う。

社会全体として負担を分配しなければいけない家事・育児分野の無償労働について、働く側のみを競わせて、自分たち(国)こそ変わらなければ問題は解決しないという真の争点をすり変える例の手口は、もうやめるべきだ。家事労働の公正な再配分は、社会全体での分け合いを視野に入れなければ成り立たない。私たちが直面する新しい事態に対応するには、その大前提を、まず再確認する必要がある。

→「育休制度がしょぼいのは誰のせい?」で書いた主旨と同じ。企業の福利厚生と、国家が担うべき社会福祉制度の拡充を混同して語ってはいけない。それなのに、国は、育児制度の充実に努めた企業を優遇するというようなインセンティブ誘導方式で、市場の競争原理によって社会福祉制度の充実を図ろうとしている。論点のすり替えである。ただ、国が主導で社会福祉を拡充するためには、社会全体の同意が必要。そのためにはまず子をもつ親が「子どもは社会の宝である」ことを表現しなければいけない。要するに親とて子どもを私物化してはいけないということ。

お金を稼ぐ労働でもなく、余暇でもなく、休息でもない、自身や家族の身体を維持するための家事というお金にならない労働は、だれにとっても存在するもの。

→それなのに、これまでは家事労働に携わる者が貶められていた。女性に無償労働としての家事を押し付けることで、社会が回っていた。しかしこれからはそうもいかなくなると竹信さんは指摘している。妻が専業主婦なら夫は何もしなくていいという価値観がまかりとおっているうちは、企業は妻が専業主婦であり、残業もバリバリしてくれる男性を優先的に雇用するだろう。「妻が専業主婦であっても夫も家事も育児もするのが当たり前。家事も育児もできないくらいに仕事をしている状態というのがそもそも人間の生活としておかしいのだ」という認識がもっと広まらなければ、たぶん「家事労働ハラスメント」の状況は変わらない。すぐには変わらないだろう。紙が水を吸い上げるように、時間をかけてじわりじわりとやるしかない。私の子どもが親になるころには、変わっていてほしいと願う