《ホーム》

徒 然 日 記

2

岡崎智久

卑屈にならない事

 2012.5.15
 

 

 前回の約束通り「卑屈にならない事」を扱って行きたいと思います。 

 障害者になると、例えどんな種類の障害であろうと世間的には‘普通じゃない人‘という扱いは免れないんですが、かといって「障害は一つの個性だ」なんて言われると、「歯の浮くような事抜かしやがって」

と少しイラっとする方も多いでしょう?(私は場合によってちょっとイラつきます)

 然し、障害を持っている事で卑屈になってしまうと、どんどん斜に構えた嫌な奴、という状態になり、段々社会から自ずから外れていった時に寂しくなっても時既に遅し、と言う事には至らないでしょうか。

 障害を持って一番辛いのは、皆と同じ気分を味わえなかったり、社会の評価基準の対象外になったり、生きてく上で最も大切な「社会における自分」がなくなってしまう事です。

 ですから、卑屈になってはいけないし、悲しいですが自分を認められるには、健常者の何倍(数値化できはしないでしょうが)も頑張らなきゃいけないのです。

 

 話は変わりますが、近頃暑くなってきて街の女性達が大変美しくなって(冬も美しいですが)、男性としては目のやり場に困る出で立ちが流行なんですが、人間一番嬉しいのは、異性に愛される事(同性愛者の方ご免なさい)なんでしょう。が、これまた障害があるからと言って卑屈になってはいけないものです。

 よく世間では「女の紐」なんて破廉恥だと言われますが、私はそんなことは無いと思います。

 紐というからには、主に労働力があるのに遊んでだらだらしている場合に使うのでしょうが、男性も何らかの理由で働けない人は沢山いるわけでして、でもいかなる状態に於いても人間恋はしたいわけですし、世の中驚くほどいい人も案外いるものです。

 

 私も昨年三月十一日に思い知らされましたが、様々な方があの震災で突然の混乱の際に思いがけず助けて助けられてという出来事に沢山あい、“社会”という存在の中では悪い、ないし自分にとって嫌な存在と見てる集合も、個人で見ると、社会の中にある風潮の影響を外れて、個人の持つ本質的な「真心」が鮮明になり、それは又私自身もパニック障害であるとか、抑うつ状態であるとかを取っ払って、一個人としての本質が希求する、相手と合うかどうかというのが実は最も大事なんだ、と思うのです。

  

  勿論、基づく根拠があるわけでして、私は意中の女性に対し自分をアピールする時に、必ず自分の病気なり過去を卑下して笑いを取るよくない傾向があります。

 然しながら、そうでもしないと嘲笑されるのではないかと怖かったというのも事実で、告白してはしくじりを繰り返して、在る時姉御肌の女友達に自分の印象を質問すると、「素直じゃないのが良くない」という、当たり前ながら的を得た回答にハッとしました。

 先日思い切りポジティブに「大好きです!」と告白したところ、「ごめんなさい、私彼氏いるんです」と返され、言葉もありませんでした。

 然し、ダメではありましたが、自然体でいることで、健常者と何ら変わりなく返事が返ってきた訳でして、矢鱈病気をふれて回るのはまずいですが、相手との関係の中、時期を見て打ち明けると、ホントに素敵な人はきっと認めてくれると思います。  

 次回は「死にたくなったら」です。