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車椅子からみた性と生

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COCO

 

ハルへの鎮魂歌

 
 ハルが亡くなった。まるで息切れしたみたいに突然に。

 葬儀の席で初めて、彼には子どもの頃から持病があったこと、その持病を克服するためにスポーツに打ち込んでいたことを知った。私は、ハルと私が似ている理由がわかった気がした。きっとハルも自分の身体を受け入れ自分を好きになることが困難だったのだ。

 でも私の苦しさは誰にもわかってもらえないとひとりよがりだったあのころの私には、ハルのことまで考えられなかった。ごめんね、ハル。今ならできるのに。「苦しいよね」って話したかったよ。

 

 ハルは私にとてもやさしかった。2つ年下、がっちりマッチョの体育会系。敬語を使いながらも時折くだけた口調で「ダイジョブ?」と気遣ってくれる。落ち込んでいると「そばにいるから」なんてかっこいいことも言ってくれた。恋したがりの私が夢中になりそうないい男なのに、私はハルに恋しなかった。

 恋をするには、ハルと私は似すぎていた。ハルは誰かに必要とされたくて必死だったように思う。仲間の引越しや遠出のドライブのドライバー、どんな頼みごとも引き受けてくれた。「ハルなら手伝ってくれるよ」と仲間から慕われた。あのころの私は、障害者には愛される価値がないのかもしれないとおびえていた。対等に愛されることが無理ならせめて「愛してもらえる」ように、すがったりしがみついて生きていた。「一生懸命やさしくする」ことで誰かに受け入れてもらおうとするハルの姿は、愛されたがりな自分と重なって見えて胸が痛んだ。

 ほんとうは、私たちは「わかりあえるふたり」になれたのかもしれない。思うようにならない身体を持て余したり、不公平を嘆いたり。他の人にどんなに言葉を尽くしても伝えきれないはがゆさや悔しさを、一緒に感じあえたのだろう。けれど、そうはならなかった。「つらいよね」とすべてをさらけだして慰め合うには、私の方が年上だというつまらないプライドが邪魔をしたくせに、「つらくない?」と彼を思いやる余裕は私にはなかった。私の心の中でハルのポジションが決まらないまま、結局私はハルに幾度となく「おんぶして」「だっこして」と介助を頼み、仲間の前でも甘えて見せた。介助が必要な自分の身体を利用して、「ハルが必要な存在」になることが、私にできるハルへの精一杯だった。ハルはどんなふうに感じていたのだろう。

 

 どこにでもある「友達以上恋人未満」の物語。ハルと私はそれだけではない。私たち手を取り合えなかったマイノリティだ。病気、障害、コンプレックス。自分の分も引き受けられないのに、他の人のことまでなんてとても無理。一緒にいると鏡をみているように、忘れていたい自分のみじめさに気づかされてしまう。誰よりもわかりあえるはずなのに、わかりあえるということそのものがつらくなる。『共に生きる』ということはこんなにもむずかしい。