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車椅子からみた性と生

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車いすの婦人科受診

 先日久しぶりに婦人科に行った。痛みもなにもないが不正出血が気になっていた。妊娠初期に月経様の出血がある場合もあると知り、念のため自分でテスターで調べたところ妊娠でもないようで、いろいろ悩んでいるくらいなら行ってしまえと行動に移した。大好きな先生のクリニックは数ヶ月先にしか予約がとれないので、地域の公立病院で妥協した。

 看護師が障害のある私を見て、一番えらい先生がいいと判断したようで、大先生の診察番号をもらった。問診表の「不正出血」に○をした。大先生に呼ばれ診察室に入ろうとしたら、あまりに狭くて車いすでは入れない。こんな狭い診察室では臨月の女性も大変だろうなーと思っていると、大先生は「あー、いいや。となりの3番入って」と言った。きっと広い部屋に移動してくれるのだろう、なかなか気の利いた先生だねと思って3番に入ったら、あの内診台がどどーんとある部屋だった。看護師に内診台に乗るよう促され「いきなり内診ですか?」と聞いてみるとそうですとのこと。まあ、内診台を嫌がるほどウブなわけでもないしいいかと思ったら、大先生が登場し、さっとカーテンを引きいきなり器具をつかむではないか。彼が「出血があるのね。検査にまわすから、2週間後に結果でます」と説明したときには、もう細胞を摂取し終わっていた。

 怒りで動けなかった。子宮ガン検査なのだとわかるまでしばらくかかった。出血の状態も何も聞いてくれなかった。何よりも妊娠について確認すらしてくれなかったことが許せなかった。あの医師には、車いすを使用する人間にも性生活があり妊娠する可能性があるということを想像する能力がなかったらしい。自分で確かめておいて本当によかったと思った。

 帰りの車の中で悔しさが溢れ出した。時には必要以上にはっきり物を言える人間だと自負していた。障害のある自分を卑下せず対等に発言することが信条だった。それなのに、内診台の上で何も言い返せなかったことが、情けなく悔しかった。「障害者の患者」という二重の弱者である立場に屈したことを恥じた。そして、こんなことから闘わなくてはいけない生活にちょっと疲れも感じた。 出された処方箋を持っていった小さな薬局の女性薬剤師が、体重と比べ多い薬の量を気にして話しかけてきた。本当は医師に話そうと思っていたことを聞いてもらい、飲む必要のない薬を教えてもらうと、少し癒されたような気がした。あとは友人と家族に話せば、笑い飛ばせてしまうだろう。

 

 

 ほどなく出血も止まり検査結果は異常なしだった。医療費全額控除となる私としては、ただで検診を受けたと思えばいいやと割り切ることもできる。でも、きっと違う。

 小さい「イヤなコト」は鉛のように心にたまっていく。この鉛を剣にして刃を向けて生きることもできる。誰も分ってくれないと怒り嘆き、身近な人に慰めてもらうことを繰り返す。けれど、「ペンは剣より強し」。大切なのは鉛をエンピツの芯に換えて、より多くの人に思いを伝えていくこと。感じてもらうこと。それが私の闘いのスタイルである。