![]() bQ COCO このままの自分でいいと思えるために 〜性を知る大切さ〜
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近頃よく父の言葉を思い出す。「ボランティアとか福祉とか、時代や人に左右されるものに頼って生きるな。余裕がなくなったらそんなものはなくなる。一番最初に攻撃され見捨てられるのは自分だと思いなさい。」進路を考えるようになった 10代半ばの頃に言われた言葉だ。特に学があるわけでもない一介のサラリーマンにすぎない父だが、社会構造の一面を的確に捉え私に教えようとしていたのだ。『一番最初に攻撃され・・・』。今、起こっている障害児・者への性教育バッシングがまさにそうなのだと感じている。 思えば、私の恋はいつも『秘め事』だった。ロマンティックという意味ではない。人に言えなかっただけだ。世間における「障害者がしてもいいことリスト」には、恋愛もセックスも入っていないであろうということを、きっと私は小さい頃から知っていた。淡いあこがれも熱い想いも、いつも一人で抱え込もうとしていた。抱え込めなくなればゆがんだ形でしか出せなかった。
誰も皆、自分が自分でいいのだと、誇りを持って生きていきたいはず。それは障害者も同じだ。けれど、障害があればなおのこと、自分に誇りをもつことはたやすくないというのが実感だ。身体にはいろいろな種類があり、大きい方がいいとか細い方がいいといった優劣はないこと。一人一人の身体や心を通して人はそれぞれの形で関係をつくり、その中のひとつにセックスがあること。正しい知識・性教育こそが、その基盤になる。障害をもっている子どもたちが、自分の身体を知り、大切に感じられる機会を奪うことが、許されてはならない。 |
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