徒 然 日 記
5 岡崎智久 優れた人間とは?その2 |
2012.8.3 |
僕のように何の成果も上がってない人間が生意気だと言う方も多いだろうが、それは違う。少なくとも7年の間に、パニック障害、胃潰瘍、難聴、ヘルニア、抑うつ状態と戦った、或いは継続してると言う点で、十分に人生に与えられた課題に取り組みこれからも続くという事に対しては自負心があるからだ。 思い上がりだ、と言う方、考えてほしい。我々は「会社員」になっていられるのは65歳まで。自営業なら可能な限り続けられるかもしれないが、破産したらどうなるか? 産まれてから万人に共通してるのは日本国民である事、である。 レンタル店やネットカフェなどでカードを作るとき、果たして「病人」と言うチェックリストがあるだろうか?休職中なら会社員、休学中なら学生、無職のほかに最近はフリーターと言う項目が出来たが、考えてほしい。通信制など卒業は難しくても入れば「学生」、 代々職人を続けてきて自分では衰えたから後継者の指導に当たった場合でも、矢張り「職人」ではないだろうか? 鬱で辛くてリハビリをしがてら何か編み物をしてお金の足しにと売った場合、これは立派に芸術家と名乗って良いのではないだろうか? 更に言ってしまえば、例え子どもでも新しい昆虫を発見したら、直ちに「生物学者」と言って良い。何故か?大人になるにつれ、虫取り網で昆虫を捕まえるような事はまだしも、素手で虫を集めるというのは、なかなかやる機会が無いし、悪く言えば用が無いから、見当たらない。或いは大人になってしまうと木登りなどには却って差し支えが生じる場面もある。
「梅ちゃん先生」の松岡先生は「自分が病気で入院してるとき、医者の気に入らない態度がかなりある事に気付いた」という台詞があった。病人である時も意見をする、考える事によって、医療の現場の課題が上がったなら、病床に徹していながら見事に働いたのでは無いだろうか?
話は逸れたが、何もしていない人間はいないし、具現化するかしないは別に人間は常に考えてる状態を避けられないはずである。障害者が自らを卑しめなければいけないのは、やはり社会的に差別があり、何の働きもしていない人間は不要だ、と言う決め付けがあるのでは無いか、と言うのはよく聞くが、そうではない。大抵の人間が「自分は社会、会社に必要な人間である」と思ってるから言えるのではないだろうか? 皆さんは考えた事があるだろうか?「日本の大手企業がやれどこそこの国の企業に負けたから、同部門の何とかと言う企業と合併して・・・」私はこれについても疑問がある。 合併される側には多くのケース、負債があるなどの理由であるが、合併してどう削減するかと言えばリストラである。 然しだ、管理職や経営者の収入が減った等は一向に聴いた事が無い。勿論あったら申し訳ないが、一時的に苦しくなってでも、安くても全員雇用して生産力を上げてより大きい利益を上げるための合併なのではないか?そもそも、合併して最初は上手くいかないかもしれないが、かなりの人間が加わったからには、思いがけないケミストリーが起きる可能性は十分にある。 性についての話しが途絶えてるので例えて言えば、合併して素敵な女性の上司の下で一緒に働く事になって、前に居た会社の名前が関係あるだろうか?単純に素敵なものは素敵で、その人に好かれる為と言いながらも一生懸命働けば会社としてもメリットじゃないだろうか?或いは結婚した場合、お互い家を守る立場になりながら会社に残れば、同じ部署には居れないでしょうがかなり得をすると思う。 名指しで批難するのは避けたいが、先の株主総会である大手自動車会社の社長が十億円近い収入があったと伝えられた。それに対し株主からは凄い、改革したから当たり前だ、と言うコメントがあった。然しだ、彼が行ったのは大規模なリストラである。それなら別に他の人間でも出来るだろう。彼がBMWやメルセデスを何台か自腹で買ってライバル車の研究に使うだとかあったとする。それで社員は納得出来るだろうか? 僕の友人に自動車会社に勤めた人間がいるが、面白い話だ。彼は余所のメーカーの中古車に乗っている。何故か?給料が安いからだ。
結論を言ってしまえば大企業の管理職や責任者も状況次第では挿げ替えは容易く、必ず必要な存在かどうかは怪しいのである。 然しだ、逆を考えてもらいたい。生まれて間もない赤ん坊は人をけなすことも出来ないし、褒める事も出来ないが、人の集まる所に行けば歓迎されるし子どもらからは引っ張りだこになる。が、他人までがまさかそんな早くから何か大人になって大成する事を期待してるわけじゃない。理屈など無いのだ。 親友と二人でメシを食いながら喋る。何故楽しいか?楽しいからと言えるが、そもそも理由など考えるだろうか?考えたことはない筈だ。 今までの文章でお分かりになったと思うが、障害者の社会的地位を向上させる、と言うやり方は一見正義心に満ちているが、違う。 会社組織や教育の現場と国家における一個人が混同しているからだ。私ならこう言う。日本に生まれたからには憲法25条にある以上いかなる状態でも最低限度の生活が補償されているだから、私たちが企業ないし組織において極めて不足した対応しか受けられてない以上、国家に頼むところ最低限と思われる補償を要求させて頂きたい。同時に企業に対しても賃金の上昇を促して頂きたい。 これで社会的に弱い立場の人間は全て等しく、くくりモノを申す事が出来るのではないだろうか?「我々特別な立場は」、とは強い人間にとっては絶好のねらい目になる。だから毅然とした立場を取らなければいけない。 次は特別な人間というテーマでお届けしたいです。
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