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徒 然 日 記

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岡崎智久

優れた人間とは?その1

 2012.7.15
 

 

 さて、SMについての話題を期待してた方、ごめんなさい、近いうちに又出しますから、先にこちらを読んでもらいたい。

 近頃「優秀な即戦力」だとか「チームワーク」だとか就活で言われます。方や一方で「没個性」とか言われる中で障害は個性だ、とか体のいい発言を世間ではしてますが、生保の問題だとか結局は厄介だと言われてるんじゃないかという矛盾もあったりしますし、そもそも優秀な人間、勝ち組や負け組と言うもの定義は何なんだろう?と言う事で進めてまいりたい所存です。

 全く卑近な話で申し訳ないが、私は大の阪神ファンですが、去年ちょっと疑問に思う事があったので紹介します。

 四番新井は打点94で打点王を獲得しましたが、阪神ファンの方ならご存知かとおもいますが、実は前年新井選手は110打点も稼ぎながらタイトルを取れなかった。

我々が判断材料に使ったのは低反発球によって軒並み打者の数字が落ちたということですが、新井選手の他の記録は殆ど落ちなかった。それでいて阪神の1、2、3番は三割をほぼクリアしてた訳で、メディアは賞賛するだけでした。

 確かにタイトルは嬉しいですが、ホントに新井選手が手放しで喜べたか?因みに阪神移籍前の三年間は続けて100打点をマークしながら、やはりタイトルは取れなかったものの、2007年に横浜スタジアムで試合を見ても素晴らしい打撃をしていた訳で、もし僕が新井選手なら、あと6打点クリアして100打点を超えてタイトルを取れたらな、と思ったでしょう。

 障害とは何の関係もないじゃないか、と思うでしょうが、鬱、統合失調、或いは怪我であるとか成人病、難病、あらゆる要因で休むというのはスポーツならベテランは“休ませ”が必要になってくるのと同じ、或いは手術をして以前より能力が落ちてしまった、等が考えられますが、先天的なものについてはどうなんだ?という疑問にも回答があります。

 またしても阪神の選手で岩田稔投手がいます。彼は高校時代に糖尿病になりましたが、阪神の先発ローテーションにとって欠かせない存在になっている。今や、当たり前みたいに良いピッチャーで勝ち負けが同じくらい多いとか、戦力として扱ってもらっている。

 然し、実際はハンデがあるから大変に違いないだろうと気安く応援出来ないのは、僕も数多くの病気をしながら創作活動をしてる、収入がある人間として、ハンデの故に応援されるのは嬉しいようでかなり悔しい、という経験をしているからである。

 さて、戦力になれば良いのか、役に立ってない俺は私はダメなのか、と言う質問がきっとあると思います。確かに病気、ケガで長期離脱するのは厳しい、辛い、僕は7年かかってどうにかコントロールするコツをつかんだものの、何十年、一生、と言う人から比べたらかなり甘い部類だろう。然し、最近気づいたことですが、仮に僕が特大のセールスをあげたらどうするか、を考えてみました。

 先ずは本籍地の福島県にある程度寄附をする。

 また、障害者の地位向上の為に資金面以外でも何らかの活動に加わる、ここまでは誰でも思うところですが、あえてもう一つあげるなら、耳が不自由な人にも音楽が楽しめる研究をしている人が居れば協力するという事でしょうか。

 僕には耳の不自由な友人が何人かいて、彼らの前では僕は一友人ではあるものの全く無力と言う他に無い。先ず音楽の話題が禁じられるから、文学、アート、漫画など視覚だけで楽しめる表現についてしか彼らの前で表現者であることは出来ない。故に友人としての自分に徹するのは良いことだが、文化作品は強制されるものではない代わりに、興味さえあれば誰もが楽しめるものでなければいけないはずだ

 この様に、誰に対しても優れた興味のある存在であるのは不可能な代わりに、必要としてくれる存在のために努力することは出来る、のではないだろうか?