《ホーム》

思春期の心とからだ

No.33

 

研究所  所長代行 

金子由美子  

 20013/2/16
自分の可能性開く勉強
 

 かばんも制服もピカピカの新入生だけでなく、進級生も、新学期が始まったころの瞳はキラキラと輝き、出席率も百パーセントの日が続きます。

 しかし、新しい環境への期待や緊張感はそれほど長続きしないようです。早くも五月の連休明けになると遅刻や欠席もちらほら。保健室にも、息苦しくなったり眠くなったり、無気力になったりと、いわゆる五月病といわれる症状を見せるケースが目立ってきます。

 在校生だけでなく、進学先の高校や大学になじめないと相談にくる卒業生もいて、口々に「勉強が分からない」「授業がつまらない」と訴えます。「入れる学校がそこしかなかった」「みんなが高校に行くから自分が行かないのは恥ずかしいと思った」「親に大学を出ないと就職できないと言われた」など、そもそも自分自身に勉強する意欲が乏しかったことに、進学してから気が付く人もいます。

 さて、人は何のために勉強するのでしょう? 勉強に対するイメージは、学校の授業や塾の勉強、受験など、「教えてもらうもの」「受け身で学ぶもの」といったことを思い浮かべる人が大半です。塾や習い事など勉強が産業化し、学校間、地域間で点数を競い合うシステムがエスカレートしている日本と、外国とを比べると、勉強を楽しいと思う子が少ないというデータもあります。優等生の息切れ型と呼ばれるタイプの不登校も増え、それは小学生にまで及んでいます。

 しかし、勉強は人から強要されるものではないはずです。「もっと知りたい」と思ったり、「より便利にしたい」と工夫したり、仲間と知恵を出し合ったり、納得できるまで追求したり、今ここにいる意味を知るために歴史を振り返ったり、世の中の仕組みに関心を持ったり、家族の病気をきっかけに健康や生命に興味を持ったり、芸術に触れて感性を高めたり、環境問題について深く考えたり…。私たちにとっては、生きること、生活すること自体が勉強なのです。

 さて、あなた自身は楽しく勉強できていますか? 目的があれば勉強にも熱が入り、理解を深めていくほど勉強は楽しくなっていきます。社会に出れば、資格を取るための勉強もあります。職場で昇任試験があるところもあります。六十代、七十代になってから介護士や自動車の運転免許、美容師、調理師などにチャレンジするために勉強している人たちもいます。

 地道に勉強を続けることは、確かに楽なことではないでしょう。でもその先には、大きな達成感や満足感があり、自分を認めてあげる気持ちが高まります。また、得意な分野、才能、センスなど自分を発見することもできます。点数を取るためとか親に評価されるために、ではなく、自分の可能性を開くために勉強しよう―。そこに気づいて、目の輝きを取り戻していく人もたくさんいるんですよ。

 

 

 

  

 

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