No.23 |
思春期相談員・カウンセラー 佐藤 晴世 |
2008/6 /21
|
動物としての思春期を考える |
〜つながれなかった若者〜 |
|
孤独な若者 |
若い人が起こす凄惨な事件が後を絶ちません。 今年に入ってからでも岡山駅でのホーム突き落し事件(18歳少年の犯行)。 茨城県土浦市JR荒川沖駅での殺傷事件(24 歳無職男性の犯行)、そして秋葉原での無差別殺人(25歳派遣社員男性の犯行)。親とも社会ともつながれなかった若者が起こした事件。 「恵まれた環境で育った親」から生まれた世代に何が起こっているのでしょうか。 私たちは人間は特別な存在だと思いがちですが、ネズミや犬と同じほ乳動物です。ゴリラやボノボといった類人猿から別れたホモ・サピエンスという動物なのです。それがこれらの事件とどのようなかかわりがあるのか思われるでしょう。 私たちは社会性のある集団行動をとる動物です。しかしその大切な集団で暮らすための知性や理性が育たなかったら…。 今回は動物として思春期の子どもの育ちと大人がもう一度しなければならないことを考えたいと思います。
|
大切なテリトリーを守る |
事件を起こした若者に共通しているのは自分のテリトリーを脅かされ、侵害され続けたこと。しかも大方は自分を守ってくれるはずの大人や社会から…。 ではまず人間にとってのテリトリーとはどんなものでしょうか。 私たちが自宅の花壇や電飾で飾るのは一見趣味の世界のようですが、実は犬がテリトリーに匂い付をして歩くこととそう大差はありません。 自分を大きく見せたいテリトリーを守りたいという動物の本能であり、 DNAに書き込まれた情報をもとにした行動です。 その行動はニューギニアにすむ極楽鳥とほぼ同じ行動のように見えます。 極楽鳥は豊かな食料のおかげで、自分のテリトリーを掃除し飾り、ダンスを踊ることにその前頭葉の大部分を使っています。そこには異性を引きつけてたくさんの子孫を残したいという DNA情報の働きがあります。 他のほ乳類は発情期以外、食べることに前頭葉の多くを使っているのに対し、餓えや暑さ寒さを克服した人間は思春期以降終生発情期として過ごすことになりました。そして、その前頭葉のほとんどを「自分は他人からどう見られているか」「どうやって異性にもてるようになるか」ということが人生の多くを割くようになりました。 直立歩行し、体毛がほぼ抜け落ちた人間は、他の動物と違うかたちで異性にアピールするようになり、オスは直立することで性器が目立ち、交尾能力とは関係のない大きさのペニスと、厚い胸板で強い生殖能力と狩猟で獲物を射止める力があることをメスにアピールしています。 メスは豊かな胸と腰のくびれた脂肪のついた臀部をもち、健康なからだ(妊娠能力と乳量の豊かさ)をアピールしています。 人間は自分たちの行動にもっと理論的な理由をつけたがります。実際知性と理性が人間の行動を決定づけていると長く思われてきましたが、最近の脳科学や遺伝子学で、人間も動物としての DNA情報をもとに行動していることの方が多いことが最近はわかってきました。 現在では、裸体の力強さや豊満さは以前ほど異性を引きつけるのに必要とされなくなりましたが、着衣のデザインで豊かさや経済力を強調して、異性を引きつける手段に使われるようになりました。 人間はゴリラのように体を揺すって歩くことはやめたけれど、他の方法でテリトリーを守り自己アピールを続けているのです。それが花壇であり、クリスマスの電飾であり、ファッションであり BMWの車です。
|
未熟な大人達 |
悲しいかな現在の日本社会では大人(未熟で思春期のままの大人達)が子どもの進路に口を出し、成績に一喜一憂することで子どものテリトリーを脅かしています。 そればかりか、自分を大きく見せる手段に車や家やファッションだけでなく、我が子を利用するようになりました。我が子が有名私立幼稚園・小学校に入ったかどうかで親自身のテリトリーの大きさを競い合っています。(気づいているかどうかは別にして) 子どもがどこの大学、どんな仕事に就いたかを自慢するのは、親自身の力を誇示するマーキングのようなものです。 思春期以降も親と暮らさなければならない人間の子どもは、そいう親の力の前ではねじ伏せられた存在です。 大人のこうした無意識の行動が「若い人が起こす凄惨な事件」に繋がっていく。 自分のテリトリーの大きさをきそう遺伝子が、かわりに高学歴、高収入を目ざし、それが大いに発揮できて胸をドラミングするゴリラのように、自分や夫の肩書き、子どもの学歴を自慢しつつそれを幸せだと信じて生き続ける人もいるかも知れません。しかし、そこから脱落した親は子どもをもう自分の自己アピールに使えないと落胆し、子どもは親から見捨てられと感じるでしょう。 そんな子ども達が大人になったとき、そこには異性を引きつける自信にあふれた自分(自尊感情)を見つけられないと感じます。定職につけない若者が、ちまたにあふれた現在の日本は、動物の本能として子孫を残そうとしても、大人として充分なテリトリーも与えられず、派遣職員やフリーターとして職を転々とし、先が見えず、外敵(派遣先の工場や嫌な上司、時には親さえも)に脅かされています。そんな状況の中では突然動物的に暴れ出すことも想定出来るのではないでしょか。 切れる若者。「殺すのは誰でもよかった」という犯罪者を肯定しているわけでありません。切れるにはそれなりの動物としての危機感があるのです。 今、日本はジャングルのようになってしまっていると言いたいのです。そこに置き去りにされた弱い哺乳動物が「かぎ爪(刃物)」を持ったらどのような行動をとるか …。 |
知性と理性の育てかた…DNA情報にないもの |
どうして人間としての知性や理性が働かなかったのかと首をかしげる人も多いでしょう。しかし知性や理性はDNAの情報ではありません。人間が生まれてから日々の学習の中で培われるものなのです。 たくさんの冒険やチャレンジ、繊細な指先を使った経験、頑張ってやり遂げた成功体験。愛されているという実感。自由に将来について考える時間。そういう複合的なことから生じる自己肯定感。こういう体験なしに知性や理性は働かないのです。 同じ境遇でも、じっと耐えていつか自分も周囲に認められる日がくると頑張っている若者の方が圧倒的に多いのも確かです。しかし、若い人たちに「これ以上頑張れない」という憔悴感も広がっているように見えます。 今の日本は、親にも社会にもいろんな意味で最後通達が出されている状況であることには違いありません。 若い人の「異性を引きつけたい」「子孫を残したい」という DNAにスイッチが入っても、恋愛や結婚が出来るようなコミニュケーション能力が育っていない、安心して人生設計が立てられる社会にもなっていない状況が続けば、若者の無差別な犯罪は増え続けるような気がします。 我が子を掛け値無しに愛してきたか? 親自身が世間体(自分のテリトリーを大きく見せるために)ばかり気にして、成績や進路のレールを敷くような子育てに終始してこなかったか? もう一度考える時期にきています。 私たち人間は理性を働かせて生きているつもりですが、案外DNAに縛られていることも忘れています。理性は学力を上げるための学習とはまったく違う方法でしか身につけることが出来ません。 生まれた瞬間から始まる人間になるための教育とは? 思春期をどう過ごさせるか? 私たち大人に突きつけられた問題です。次回も思春期の子どもを未熟な生き物としてどう育てれば良いのか考えてみたいと思います。
参考資料: この6つのおかげで人は進化した チップ・ウオルター 早川書房 ボディウオッチング デズモンド・モリス 小学館 |
ご相談・問い合わせ
|