思春期の心とからだ

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思春期相談員・カウンセラー

 佐藤 晴世 

 

少年犯罪と思春期

 

 長崎幼児誘拐殺害事件は、加害者が12歳であったことから、社会は大きな衝撃を受けました。

 1997年に起こった神戸連続児童殺傷事件の加害者が14歳の少年であったあの日から、大人は特別の響きで思春期という言葉を受け取るようになりました。

  「透明な存在の僕」という言葉とともに、思春期の子を持つ親を不安にしました。あれから凶悪な少年犯罪は後を絶たなくなり、今後も、子どもたちの置かれた状況が変わらなければ、こうした少年による凶悪犯罪は増え続けるでしょう。 今回は少し少年犯罪と思春期について考えたいと思います。

 思春期は、第二次性徴期といわれ、性ホルモンの分泌が盛んになり、分泌量が安定しないために情緒が不安定になります。

特に男子は思春期以降、主に性ホルモンとして、アンドロゲン(アンドロゲン以外にも数種の性ホルモンがある)を放出し、このホルモンは骨や筋肉の成長を促進。また、性欲を高め性行動が活発になる。攻撃性(縄張り意識や闘争本能)に関わるホルモンでもあるため、自意識の目覚めと相まって、イライラすることも多く、親や教師の干渉にややもすれば暴力的な言動が見られる時期です。男子が性欲と怒りの感情をコントロールするのに苦労する時期です。

 ここまで書くと、思春期の男子は誰でも危うい存在に見えるかも知れません。

確かに、反抗期の非行が少年期を象徴していた時代もありました。しかし、非行に走った多くの少年は少年時代の決別と同時に、大人の社会に順応して行きました。

 

  こうした多くの非行が、放任・貧困・父親の暴力など家庭に問題があったため、思春期の犯罪はわかりやすい図式で説明出来ていたように思います。

 しかし、昨今の少年犯罪における『特別な家庭に育った子どもではない。ごく普通の家庭の子』このキーワードが私たち思春期の子を持つ親を不安に陥れています。 ましてや、「犯罪者の親は市中引き回しの上、つるし首」などといわれると、両親、特にいつも身近にいる母親の不安は募る一方です。普通の家庭のどんな子が凶悪事件を起こすのか、私たちは性急にそれを知りたいとここ何年も思い続けたように感じます。

 凶悪少年犯罪の多くは、思春期に突然現れるけれど、ある日突然加害者になるわけではありません。一昔前の少年非行のわかりやすい図式と今の少年犯罪の違い。普通の家庭の普通の子の犯罪。もう既にこの時点で、私たちは思い違いをしているのではないでしょうか。

 私たちは今まで人間が経験したことのない、時代に突入しました。大人でさえ耐えられないストレスに、産まれたときからさらされている子どもたち。そう考えると、もう既に普通と思っていた家庭が社会が、普通ではないことに気づきます。

 現代の子どもたちが赤ちゃん時代からどんな世界で生きてきたかが、もっと問題にされるべき時期にきているでしょう。ここ数年来の凶悪な少年犯罪は、単に思春期のイライラが起こした事件とは考えられません。

 

 この世に人類が出現して以来、一度も経験したことのない刺激にさらされ、幼い時から、誰かと比べられ、体を使った子どもらしい遊びも出来なくなった今、ごく普通にみえて、もう普通ではない状態の子ども達。本来動物としてのあらゆる経験を積む子ども時代を奪われ、社会からの虐待を受けている子どもたちを思う時、この凶悪な少年犯罪との関わりを分けて考えることができないと思いませんか。

  社会は責任を押し付け合い、親は予防線をはり、子どもの10年後20年後を見据えた関わり方をしていない。その日その日の行動におろおろと方向転換をしてしまう。

 

 思春期の、心身をコントロールするということは、その後の長い人生をコントロールすることでもあり、それは一朝一夕に出来ることではありません。生まれ出た瞬間からはじまる長い訓練のたまものなのです。

 そのために子どもたちが安心して、真に子どもらしい時代(笑い、泣き、転び、ものを取り合い、けんかをしながら、皮膚感覚を刺激し、大地の上にしっかりと立って生きているという実感を持つための時間)を過ごせる社会を私たちが用意出来ないなら、少年の凶悪犯罪はこれからも社会問題となり続けるでしょう。

 私は、この一連の少年犯罪を社会全体が変わらなければますます増えると思っています。しかし、社会が変わるまでには、今後何年も待たなければならないでしょう。今すぐ子どもを守れるのは、やはり親しかないと思っています。

 

 これから親は社会のニーズにおもねるのではない、本来の子育てに立ち返らなければならないでしょう。人間の子どもは、あまりにいろいろなことを、背負わされすぎています。うまれた時から、親の世間体を満たしてあげなければなりません。

「いい子ね!」と言ってもらうために、いつも親の目を見ながら遊ばなければならない子どもたち。記憶というものが心に存在するようになった頃には、もうお行儀良く何種類もの習い事をしている子も少なくありません。うまれてから5・6年の子どもはまだ原始人時代なのにですよ。

 もう既に我が子は思春期、今更育て直しが利かないとあせっている方も多いと思います。

それなら、少し静かに子どもを支える覚悟を決めてみたらどうでしょう。(うちの子は「静かに…なんて言っている場合ではない。既に、親の目から見ても問題を抱えている。」と感じている方は『思春期外来』や、『心療内科』の先生に相談をお奨めします。)

いくら頑張っても、自分はいずれ親のように不満だらけの社会に巣立っていくしかない。『何の楽しみも夢も希望もない世界』のために、なんで努力してまで入っていかなければならないのか、子どもたちはこんな気持ちで大人の世界を見ているのではないでしょうか。

 そうなる前に、勉強や日常生活の管理はもう子どもの意識に任せて、親自身が自分の世界を生き生きと楽しみ、大人になっても楽しい人生が待っていることを、子どもたちに見せる方が大切だと思うのです。

 「あなたが、あなたが…」と子どもに生活や学習の注意をするのはもう止めて、時には生き生きと、自分の夢を語ってみる。そういうことが思春期の子どもに安心感や大人になる希望を持たせるのではないでしょうか。

 そして、いくら大きくなっても団欒だけは大切にして下さい。団欒をお説教の場と化すのではなく、親も子も、ともにくつろいで自分を語れる場にしたいですね。