人間と性教育研究所主催

     
 すてきな性 ゆたかな生 

ー2008研究所セミナー報告ー

●基調提案「性は人権・性は多様」

 研究所所長柳美知子先生が、開口一番は「人間は誰でもどこかの少数派に属しています」と話されました。多くの人は自分は多数派で少数派ではないと思い込むことでなんとなく安心して生きていますが、離婚した人・シングルで子育てしている人・女性・子ども・老人・障がいを持つ人。そしてリストラを心配しながら働く男性や派遣労働者もマイノリティ。
そんな中で先生は特に性的マイノリティのお話をされました。 性同一性障害・同性愛・半陰陽・異性装・バイセクシャル・HIV感染者。ともすれば隠し通さねば生きていけないとまで思い詰めて毎日を過ごしている人たちの歴史や思い。
 性同一性障害では虎井まさえさんのお話、「いつか自分のからだにおちんちんがはえてくると思っていた」という幼少期。今では障害を認定された人は性別適合手術(性転換)が受けられ、いくつかの適性をクリアすれば戸籍の性別も変更することができる、など人権に配慮されるようになった。
 同性愛では今回トーク&トークに出演された杉山貴士さんとの出会い、府中青年の家の「同性愛者宿泊拒否」裁判。ここでは研究所が編集し東京書籍が出版した副読本「ひとりでふたりで みんなと」や「大人に近づく日々」などが参考文献として取り上げられ、性は人権であることが裁判所でもみとめられ勝訴した。
 その時のやりとりを日本国憲法第3章「国民の権利及び義務」を交えて話された。 
 第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
  すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
 あらためて日本国憲法の素晴らしい内容に敬服するとともに、現実はなかなかそうはなっていないことを実感する。その後2003年に始まった性教育バッシングの煽りの中でこの副読本は絶版となる。
 そして講演の後半は3月12日に勝訴した七生養護学校「こころとからだの学習」裁判について。
 スージーとフレッド人形が、性器がついていると理由で裸の写真を撮られ、まさにレイプ等しい人形としての権利が侵される不当な扱いを受けた経緯と判決で勝訴がでるまでの戦いが語られました。
 今日の講演は七生「ここから」裁判の勝利の直後だけにマイノリティの人権を守ることや性教育の大切さを実感することのできるお話でした。

●自分をさがそートーク&トーク

 まず進行係の金子由美子さんから現在の中学生が抱える問題提起がありました。人生のロールモデルが描けない。親自身がロールモデルになっていない。女の子にとってもモデルは「あげ嬢」といわれる風俗の女性。雑誌などの表紙を飾り、からだはほとんど摂食障害と思えるような病的な細さ。そんな女性をモデルとして生きている思春期の少女達。母親達は雑誌でセレブな妻たちをまねて、生活が困窮していてもヴィトンの財布を持っていたりする。生活格差が自己肯定感の低さにもつながっている。
  橋本早苗さんからは骨形成不全という障がいを持ちながら、自立したくてアメリカに留学した経緯とスクールカウンセラーとして向き合う思春期の子どもたちのコンプレックス『容姿・進路・恋愛』が自分自身もむしばんでいたこと。外見にこだわり、美しくなければ生きている値打ちもないと思いこむ生徒。自分自信がそういう思いを克服してきた思春期が語られた。男子にいくらやさしくされても、それは障がい者であって、女性としてではないことに苦しむ日々。誰も私には嫉妬をしないという現実。そういう女性としての辛さを克服したさきに今の臨床心理士としての天職があった。
  杉山貴士さんは自分とは何かを問い続けた半生であったことを話された。嫌な奴に回ってくる生徒会の役員。演台立つと「タカ子!」と一斉に囃し立てられた中学時代のこと。イジメられ、男らしくなれない自分への嫌悪。「自分の性のやばい状態をどうにかせにゃ!」という気持ちで生きてきた。大学進学することでイジメから解放され遅れてきた思春期を過ごすことができた。
 今仕事を通して感じることは親とうまくいかないことで貧困に陥る若い世代が増えている。ロールモデルがない若者が「ロード(労働)モデルがなくてもいいじゃないか」と発言する。
 同性愛者などマイノリティはどれだけ自分と同じようなマイノリティと出会うかで客観的になれる。カムアウトすることで職場でのコンセンサスが得られるか、も生きていく上での自分探しになる。
 最後に金子由美子さんから、自分とどれだけ向き合うか、自分を探すことは、自分一人ではできない。子どもが思春期になったとき、基盤はゆれる。そんなとき大人が「こうあるべき」というメッセージが色濃くなることでその中に入れない子たちは、イジメに遭い、不登校になったりする。「こうあるべき」の学校に対して「嫌な教師のいるところ」というマイナスイメージしかない子もいる。最後に「子どもには一つの価値基準を与えるのでなく、自由に考えてもらいたい。子どものは、ゆっくり豊かに生きる権利があります」という言葉で締めくくられた。