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青年期の性と生
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研究所客員研究員 武田雅都
2013/3/23
     不定期連続「性」年告白文 
〜不幸せな世代〜
 

 どうも私たち平成だのやれ昭和末期だのの生まれは、安易ながらも所謂「不幸」と言うんでしょうか?もうこの不況ですから一蓮托生、一億総貧民時代に「何を一人だけ不幸がってやがるんだ」、なんて言う年配者の声が今にも聞こえてきそうですが、本当に酷いんです。

 何だかまだ幾らか景気がよくって、バブルの残り香のする時代に少年期だった私たちは、学歴にしがみついてでも、いいえ、なくても借金して、国家だって平気の平左で借金するんですもの、いいじゃあないですか、とにかく肩書きが欲しくて、やれどこどこの子供はランクのいい塾行ったの、家のは皆よりも随分先の数学を生意気にかじってみたの、随分と浅ましい親の代理戦争をうすうす知ってながらも、私たち同士は全く話しは別ですから、仲良くしたいんですが、そうも行かずに段々と妙な選民意識と卑属意識と、人間本質の好くか好かない、背丈だとか器量の良し悪しが全部ごっちゃになって夜中まで学校から塾から1日の観念も何もなくて憂鬱に過ごしてまして、あの9・11の時のアメリカの騒ぎも、「随分ヒステリックじゃあないか、最も僕らは受験の審判も差し迫って世紀末的風潮を満喫してるんだから、あなた方が何も追い討ちをかけることはないじゃないか」と、専ら聞かれる話でしたから、それでてどこぞの自動車会社の子供が、異邦人の社長が大首切り策なんかやって随分よいしょしてましたけど、お蔭で零落しまして、あの「ドナドナ」も今今流れそうに土地そのものを去っていく姿の方が身近だったせいもありまして、よっぽど痛ましくて、まあ今の不況を思うとまだマシなもんでしたが、まあこの世は一瞬勝ったのなんのって見せかけておいて結局はあんなに出世したって、一瞬でダメになるのに、一体よらば大樹の陰なんて考えで一生すごしていいのだろうかと疑問が鎌首もたげて、まあ今の私のあり様の黎明でもあるんですが、勃興してきたんです。

  翌年、本当に案外あっけなく受験が終わってみて、それにしてもまあ案の定と言うか、たまたま私たちの世代が2002年に運が悪かっただけで、国家は、世界は何ともなしに二月初旬をのうのうと過ごしてましたから、強いて言えば私の好かったのは、学費の安いそれなりの学校に入って、寄付金もなしで、公立に行って塾に行くより安く仕上がった事で家族がありがたがってるくらいですから、まああの随分とほの暗い空気を塾が随分演出してたんだと思うと苦笑するしかなくて、三面記事と言えば、「センター試験が今年も不手際」なんて今や恒例行事みたいになった例のあれ位なものですから、おかしいもんです。

 中学に入る前にソルトレーク五輪なんてありまして、酷いもんでしたね。冬の五輪に悲観主義にとちくるった開会式から、採点種目はもとより、何から何まで馬鹿馬鹿しい、 とんだ鬱憤晴らしになって、噴飯モノとはいいませんが、大人げない姿勢に辟易しましたっけねえ。  

 そうしてその年の六月でしょうか、うちの国でワールドカップなんてやりまして、馬鹿にやかましくて叶わないのをギリギリで韓国さんが半々に請け負ってくれて、地元の人間としてはホッとしましたが、あの発作的な熱気がいけなかったんですが、中学三年間思えば、時代と照らしていいところはあの一点ですから落ちる一方でした。

  それからあのアフガン戦争だなんて、物騒な話しが起きて、まああれが世界恐慌の発端って言って差し支えないでしょうが、戦争で儲かるなんてやっぱり大嘘。

 わが国も双子の赤字のヨイショなんてしまして、国家は国債をじゃんじゃん発行していって、私たちはバイトさえ出来ないのに、ひたひたと借金が国から押し付けられて、またしばらくすると今度はネット関連企業だとか言って、あのバブル経済となんら変わらない話をただネット上で変えてやっただけの話しですが、六本木のタワーの上にまだ懲りずにやってる連中が居て、結局随分とお縄になりましたが、ああいうのを見てお金が汚らわしいし、かといって美徳もうっとおしくて、正義もすっかり歪曲してしまったので、価値観が小さいとかなんとか言われる所以の基盤が出来上がったのは恐らくこの辺の時代じゃないかと思います。

 あとは、「姉歯物件」なんてとんでもないのもあって、友人にも転居先が欠陥建築だったもんだから一旦急激に貧困になって、がらりと性格の変わったのも居ましたし、正しく足元から何かが崩れていくのを感じていました。

 
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