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青年期の性と生
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研究所客員研究員 武田雅都
2013/4/19
     不定期連続「性」年告白文 
〜不幸せな世代その2〜
 

 私らにはピンと来ませんでしたが、派遣労働なんておかしなものもいつの間にか出来て、ハケンの品格だとか、そうそう、「馬鹿の壁」なんて本もでましたっけ。

 「馬鹿の壁」なんていうとまあ模擬試験の偏差50以下だろうなあと大真面目に友人らで議論尽くししましたが、あの頃からヒステリックなオンナの何か履き違えた、混乱者の無知なるが故の崇拝っていうんですかね、そんなドラマがやたらと増えました。

 若い人の過激そうな、(もっとも、あれらは素描もいい所で官能には遠く及びませんけど、)性描写が芥川賞なんて取ったりして、カッコよさと性が可笑しなシンクロニティを図ってしまったんだから、やれエイズだの梅毒だのって騒いで、近頃の若いのは節操がないなんてしたり顔して言いますけど、一体ぜんたい、知識は“無”だった時代の私たちにそれらの教えを諭したのはどこの誰なんでしょう?

 それでいて愛に失望して自殺だとか、アイドルの結婚で自殺なんて全く現実的には接点のない空想的な自殺も、何だか不安な時代を象徴するようにありましたっけ。

 そんな辺りに話が行く前に、段階が定年で辞めるから代わって合間縫って就職できるんじゃないかなんてぬか喜びが高校後期にあって、いよいよ学業、修業、嫌な授業におさらばして残りの人生どうにか収まりがつくんじゃないのかって一条の光が差し込んだかと思ったら、あれですもの。

 リーマンショックだとか格付けなんて可笑しな、あたかもそれが全ての責任転嫁、読んで字の如し、嫁に女性に押し付けてしまうんですから、先進国なのに社会進出が立ち遅れてるのも無理はないです。文化が“文字化け”しちゃってるんですからねえ。

 そうそう、ちょっと前まで食い物にタイヤ屋さんが何だか、全くご大層に星なんかつけて、まだバブルに耽溺してるのか、学食をファストフードをとっても美味しく食べてる私らは、大いにげらげら笑ってましたが、あの辺りから日本中に厭な懐古趣味らしいものが蔓延してきまして、旧約聖書の出エジプト記の中で、かのモーゼに向ってやっぱりエジプトの方がよかった、なんといってもメシが美味かった、などと愚痴をこぼす民衆みたいなんですが、あるいは1960年代がそんなにいいのかなんて全然知らないですが、今を何とかするって話しよりも、不幸を吸って過去をよいしょの現代をシーソーにのっけてメディアは随分な「庶民像」を作るもんですから、一派一からげに平成生まれは腑抜け、なんて居酒屋でげらげらわらって、そのなんですか、管理職にでもなってわが身の安全をある程度知ったような方が大声で若手のミスの尻拭いが大変だとか言って、結構美味い酒呑んでる脇で、他には「女子会」なんて言って綺麗な姐さんらが半狂乱になってしこたまビールだマッコリだちゃんぽんだええいと、あおってると、もうそれこそ、私らは飲み屋に居場所がなくて成人式でさえもう本当にこそこそこそこそと呑むくらいの話しで、一部の気骨のある人間がちょっと“らんちき”やったのがうっかり世間に流れると、随分豪気な、平成ボンクラも見直したもんじゃあないかあ、なんて言われるともう赤面の至りですから、もう止してほしいものです。

 そうして極めつけは、まあ天災には文句言えませんが震災が就活の末期に来たもんですから、調子狂いますよ、全く。それよりも命あってのものだねでしょうが、とにかく絆ってひとくくりで全部もみ消されましたから、まああの裏で身内もそうですが、東北はじめ随分泣かされましたからねえ。今だって涙枯れて、訴える力も暇も奪われて、選挙なんて都合いいときのダシに使われてるようで、年末も特番してましたが、米から電気から元気から何から、ダイナモは随分燃費が悪くて困りますね。

 俄かに結婚が流行りだしましたが、もうホントにいいことなくって、あちこち回って否定され続けては、もうついぞ頼みは新しい家庭で励ましあうことに限るんですから、たまたま震災が拍車をかけただけで、多分これからもそういうケースは増えるでしょうし、そういう点では、案外いい夫婦が増えるかもしれないですね。

 ところがその、性的な関係面でも我々にとっては歪んだ、その「コンプレックス時代」とか言ったら横文字気取りで随分と気障ですけど、美的感覚が昔ながらのごく一部の人間が受けられる恩寵から、一般大衆に降りてきてしまったように錯覚してしまう位、ご近所的なものを誉めそやしてしまう文化が蔓延してますから、愛も紋切り型で、そのくせして個性を探すのに没頭して、何かしらの型にはめないといけないような、苦悩を同伴していて、それはメールなんてインスタント文化がチープに詐術の快楽を奪ったんでしょうけど、こうして文体をもう滅茶苦茶にしてまでずけずけ著者が顔出したくなるほどに安っぽい恋もどきには辟易しますが、世界の中心で、なんていうのは間違いで、本当に好きあってるんだら、あなた方こそ世界の中心であってそれくらいしょっていやって大いにロマンチシズムに耽ってくれないと二度と青春は来ないのに、どうしてか本当は技術も奥義も知ってる癖に無知を装って大人にお追従してまで、媚びて自我を休めて、まあしらじらしいまねを一体どこで覚えたんでしょうか?

 

 本当に私たちの世代の恋愛なんて可愛くないし、もっといきなりませたか幼稚かなんて二者択一は余りにも安易ですし、もっと不器用に真っすぐに生きて行かなきゃ、いけないんですが、いかんせん夢の小さな世代ですから不幸になりきれないという不幸すら感じ取れない不幸をどうか笑わずに見て遣って下さい。

 あなたも人間、私たちも人間、ようと言えば、おうと応えて、それでいいじゃあないですか?
 
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