青年期の性と生 |
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研究所客員研究員 武田雅都 |
2013/2/16 |
不定期連続「性」年告白文 |
〜小人嫌い〜 |
この話に別に差別的な意味合いはありませんし、体の事でとやかくいうほど落ちぶれてはおりません。決して人の道は外れていません。 然しながら、私だってどうしたって好きになれない女性もあるんです。 小さい人、くどすぎる媚態、俗に言うツンデレに似て非なるもの、というんでしょうか、アイドルのなりそこない、自己中心的な空想家、そんな感じの人なんですが、とにかく背丈が小さいことを売りにしちゃってるのは最もいけない。 靴が小さいのが売りなんです、ね?手が小さいでしょ?なんて言ってやたらにホレホレとさわらせるとか、俄かにお弁当なんか作ってきちゃって食べさせる、手作り料理で押しかけ女房を気取る、服がSサイズだとか言ったり、小さいおにぎりを披見するようなこんな具合の淫乱気取りは嫌いなんです。 好きになってみても、大抵の男にとって、“止した方がいい類”になってしまう。
お店にいる類の「姐さん」、が好きな私ですから、益々いけないんでしょう。 青年になっても変わらないのは恋に対しての理想像というか理想形で言うなら、「エマニエル***・・・・」とは言いませんが、年上、ないし愛の熟練者による手ほどきを丹念に受けて豊な自信を得たところで、その人に留まるか或いは他者を愛するか、と言うところなのでしょうが、いずれにしても相手が男性たらしめる自らの矜持を堅持してくれる事が前提にあって、というのは男性諸氏の願望であり、切望する所であるのは大方よほどのプレイボーイで自信家で(気障で)もない限り、共通する理想なんじゃないでしょうか? そして私は今でもそういう“大きい”人に憧れます。否、女性は本質的には皆大きい豊なものだと信じたいんです。 男が草食系だなんて今更ちゃんちゃら可笑しな話です。ホントは女性にはどうあっても勝てっこないから、社会的にやたらと地位を作って、何とか自分の威厳らしいものに対しての理由付けをしていた封建的な文化、誤った武士道だとか道徳だとかが、やっぱり時代遅れというより根本的に無理、限界に達して我慢ならなくなったら、結局女性は太陽に戻ったんです。 私は旧時代のあのお膳の並びなんか見ただけで噴飯もので、憤りなんか覚えません。滑稽話です。照れ隠しみたいな、小ずるい、まるでインチキです。
ですから、こんな小さい弱いとか、安直な発想を売りにしてる女は、実は封建思想の包皮の中からモノをいってる、実に旧態以前な考えの持ち主であって、一昔前の経済システムに考を拠った、庇護下におかれたがってるような被虐理想家の愚かしい過ちを愛するようではいけない。 私たちは、愛することに理屈などないんです。言ってしまえば、誰しも恋人は愛してるから愛してるのであって、理由は跡付けのようにしか聞こえないし、ちょっとしたリップサービスみたいで、何だか上手くかみ合ってない印象さえ受けます。
そんなわけですから、愛の当てこすりみたいなマネ程品のないことは無く、本当に相手を思うならばこそ、もっと節操をもつべきなんです。そうしてじらしてかけひきをするのが、いかにも人間らしい知的な部分の愛のあり方なんだと、おこがましくも若い男を代表して切に訴えたいんです。 |
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