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青年期の性と生
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研究所客員研究員 武田雅都
2013/1/27
     不定期連続「性」年告白文 
〜恋愛の終幕について〜
 

 前回の宣言とは裏腹に仕切りだしから随分ネガティブなタイトルで恐縮ですが、近頃は「元彼、元カノ」という言葉が随分歌詞などにも聞かれ、恨みがましい意味合いで使われるようになりましたが、これの根底にあるのは恐らく「処女崇拝」が男性にも随分強く意識されているという事実があるんでしょうか。

 あるいは、男性の側にも女性に手ひどくやられたことが自尊心を傷つけられて、反撃に出る構えであるのかも知れませんが、いずれにしても全ては社会の変容、歪みが全てである訳です。 恋については始まりは美しく、終りは説き伏せるのに「三日かかって」、なんて世間で言うように、どうしても厄介であり全く美しく散るのは世紀末的な映画でもない限り無いでしょう。そして、これは友人関係についても同じで、人間関係は全て利害が絡まなくても少年誌のような美しい関係修復は大抵ありえない訳で、小学校で問題のあった生徒同士が時間を割いて言い分を申し、第三者の発言などからジャッジを下されても、もし仲直りできたとしたら、いさかいそのものが実はどうでもよかったりするんじゃないでしょうか?

 そうしてみると、「元」と言う、以前パートナーと交際関係にあった人は、所詮現在は男女の仲としては“無関係”でありますし、一見どうだっていいような話にも思えますが、多分に「体を汚された」という観念が配偶者でもない人間に働いてるのは不思議な事です。

或いは万が一で「恋が再燃するんじゃないか」と言う危惧に基づいているのかも知れませんが、恨む事でなし、何故過去の人間に遡ってまで批難するのか?

 性教育と言うより道徳の話しなんでしょうが、やはり処女であることが好しとされるのはキリスト教がそうだと定めた所以が、いつしか日本に於いても基本になっているからでしょうが、聖書では結婚した場合の性行為は「究極の奥義」であると記されているので、不潔ではなく、結婚と言うサクラメントがあって始めて認められるものだと言う訳です。

然し、実際は西洋を見れば売春の合法なドイツですとか、地中海に面した国の大らかな愛のあり様などは日本より開放的で、日本は倫理的に縛ってしまっていますが、儒教的なものが残っているからかとも言い切れない。そこで目に止まるのがAVコーナー宜しく、処女に対する憧れ、あるいは特別性が強調されたビデオの多いこと!

 処女膜があり陰部がピンクである者を征服することが、最大の矜持?であるという、

何とも解らない説は、逆の<陰部が黒く、手馴れた熟練者は面白味がない>という、思春期にまことしやかにささやかれる噂がビデオでも聞かれますし、定説化してしまったことに原因がありそうです。 例えば、中学時代に女の先生に対して憧れる者は趣向もあからさまになってしまう点も含めて、ちょっとした小馬鹿にされるのが常で、アイドルやティーン同士に興味をもっていることが常識でなければ異常だという烙印を押されてしまいます。

 <女性は天使でか弱く、より清楚にしたてあげた状態>で制圧することは結局は思春期の“高望み”でありますし、恋人がもしかしたら兄の友人の手ほどきを受けたかもしれないなど考えず、中高生で性的関係を持った自分は必ず相手にとって初めての人間であるはずだ!、という極めて不確かな自身を得ることが目標のようです。

 それを知っている彼は、彼女が他の男と接点を持つことを極端に嫌い、メールを止めさせるなどしている方もいるようですが、もし彼女が交際も嫌になってきた際に彼の嫌である理由を納得させるだけの条件を進んで作ってしまっているのは、賢明ではないでしょう。

 

 初めての相手であるより、結果的に配偶者になるまで付き合った人間こそが(敢えて無理に勝負をつけるなら)その女性に対しての“勝ち”であるわけですから、段々年齢が進むにつれて、どこで処女を失ったかなど分かりはしませんし、もし出会い系でも興じてましたら、逐一嫉妬していては365日では足りませんから、こうなりますと次元が飛んで「元夫、元妻」と言う、一度神前で誓約を立てるに至ってからが真の所有であることを、道徳的な常識を借りて、唯一の嫉妬の対象にしてみればまるで話しは違うのではないでしょうか?

 そうなると「情婦殺す」だとか、「妾殺す」とか、殺意を口にしては宜しくないものの、相手も相手で不道徳でありますから、嫉妬ではなくて倫理観に関する点で申告した側に「正当性」があるので、これなら話しも変わってきますし、或いは戦国時代の信長でも

「蘭丸殺す」と言ったら、小姓同士の嫉妬ももちろんあるでしょうし、下手したら本能寺まで生きられなかったんじゃないでしょうか?

 こうして考えると、恋は人生に於いて現在が最高地点であり、今後同様の体験をすることは無いという考えが裏に潜んでいるような気がしますが、私が体験したところ、或いは多くの方がそうでしょう、初恋ほど燃え上がる恋は誰しももう二度と来ないとはっきりと断言できる。

 若さ故の「不器用さ、無知、情熱、欲求不満、自惚れ、我がまま、純真、放恣」等、様々な条件が最も思考に於いて全く正義的に結びついてくれるのは、これを逃しては無いでしょう。私も決して多く付き合いはしていませんが、(イヤミではありません)激しく好くことがあってもお互いが広い世界に住んでいて可視になってしまったから、それが100%であることは不可能で、よくAVショップでオジサン方がセーラー服の女子高生のビデオを漁っているのは、決して安易に「ロリコン」なんて言うわけではなく、あの時の乱暴な恋への憧れで、例えそれが実らなかった事実が覆らなくてもいいから責めて似た他人に投影して甦らないか?という哀れな然し、いつか自分もそうなるのは避けられない、初恋の爪あとがそこにはあります。 ですから私に失恋の相談をする後輩には常々「多いに泣いて大いに後悔しておかないと、今後もっと後悔するようになってしまうぞ」というアドバイスをしています。 三年喪に服しては卒業してしまいますが、安売りしてしくじるなら夢追いして三年過ぎても一興ですし。  もっともブレザーの制服が初恋の相手の制服だとセーラーにはなりませんが。  恋の終幕は何となくうすうす知れてくるものですが、中には「飽きちゃったから」なんていう仰天な理由で分かれる方もいるようでして、怒るにも怒れないでしょうし、一番は陰湿な別れ方になってしまう事が怖いです。

 初恋を上手く終わらせる程こなれていたのでは恋とは言えませんが、最もいいのは激しい口論にしてしまって別れる事じゃないかと思います。

 男性が口論で女性に勝てるようでは、文士になったほうが宜しいですが、まず勝てませんし、女性はさっと切り替わりますから、男性だけが思いでに永遠にめそめそし続ける事が、最もサッパリしてていいでしょう。 大丈夫、男は誰しも引きずるセンチメンタリストであり、誰かに似た誰かを探しているからこそ男なのです。

 それこそ、むせび泣いて何気なく立ち寄ったコンビニの店員さんが可愛いと感じたら、既に新しい一歩が踏み出せてるんですからね。

 
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