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青年期の性と生
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研究所客員研究員 武田雅都
2012/12/15
     不定期連続「性」年告白文 
〜愛が激しすぎて・・・LOVE〜
 

 またこんな事言ってしまって、本当に本気を疑われそうですけど本気です。

 「愛は一種の詐術である」、などとはよく言ったもので、愛が果てる瞬間の罵りあいたるや、下手な国会答弁よりも闊達である。お互いに我慢していた何かが崩壊する瞬間の醜くさたるや、言語に表せぬ酷さであります。

 しかしながら、世の中には好き合っていすぎるゆえに上手く行かない事もあるんです。私もよく美しい女性を見ては酩酊してますが、それでも付き合いの中のコミュニケーションの中で、他の女性の悪口が出ると百年の恋も瞬時に冷めるような“仮面美人”も何人も見てきましたし、その逆には会ったためしがないですが、希に何ともいえない波長を伴って突然目の前に現れる異性がいます。

 いないとか思ったそこのアナタ、間違いなくいるんです。  

 それは言語化不可能であり、かつ数多くの作家が挑んだ作り話しに似た実話であり、結果は悲劇でしかないのに何故か惹かれる事から逃げられない運命で、 必ずしも好みのタイプかと言えばそうでもなかったりして、然しながら何故かその人といるとリズムが取れず、不思議な空間に捻じ曲げられたような吸引力が互いに引き合い、相手の頬やえりあしにそれは流れて、顔をまともに見れない程の熱い空気がとこしえに絶えず飛び交っているような状態で、ありふれた「恋」と言うにはあまりに烈っしすぎていて、全ての世界から乖離した夢遊病的錯覚の中に混乱していき、いつしかお互いが密になり時間軸は外れてしまい、正しく二人だけの世界が離れていても絶え間なく続いているんです。

 スキンシップの中にのみヒューマニティを感じ、ぬくもりを見出すのとは違い、頭の中に、いや体の全ての神経、血管の中にあたかも“アプリオリ”にセッティングされていたかのような感覚が常に壇上の微熱のように堕落でもない、昇華したわけでもない、全てが理路整然と整った偶然の中の偶然がある日突然やってきます。  

 そしてそれは「好き」とか「愛してる」とかあえて口にするのがおこがましいような完璧な言葉が無言のうちに存在してしまい、時の流れの中、次第次第にそれが恐ろしくなり日常の全てが手につかなくなり、夢の中で生きられぬ事に帰る事を知り、悲しみのうちに離れようとすることさえ苦しみもがき、嗚咽さえも出来ぬままにいとおしみながらも美しく粉みじんに破滅してしまう悲劇。

 こうして美文を気取って書いてるようですが、こんな話しを知人の夫人に聞いて納得しました。

 彼女が言うには、「結婚は本当に好きな人とは出来ないものなんじゃないかしら」と言うことでして、それ以上聞くのは野暮ですから聞かなかったんですが、本当に的を得た言葉です。

 結婚してない私が偉そうなことを言えませんが、本当に好き(代用する言葉がないので、便宜上の<好き>)な人といると、何だか恐ろしくなってしまいます。そしてお互いにそうであるのが知れてしまい、“知る”事が怖くなると、どうしていいかも分からず破滅する以外に道がなくなってしまう不幸を何故か「知らなければ」いけなくなってしまう。 よく、女性が付き合う人と結婚する人では別、といいますが、こんな感覚なのかは知りませんが、差異がありながらもその会話は成立してしまうんです。

 最近は結婚しない方が増えたと言いますが、ケータイが付き合いにくくしてる、なんて言う一方、コミュニティの多様化など、年代を超えた人間同士が知り合う機会は増え、もしかしたらどこかでこのような経験をして、トラウマスティックに心にすえてる方はその先が踏み出せないのではないかと思います。       

  それは私もまぎれもなくその一人であるわけですし、証拠であります。 しかしながらそれが果たして不幸なのか、或いはそうでもないのかは何とも個人の問題ですし、小説染みたロマンスに合えただけでも幸せだと割り切ってしまうしかないのでしょうか?

  「思い出は美化される」、なんて安易に切り捨てられるのだけは御免こうむりたいですが・・・

 

 次回からは連載読み物風に書いていきたいですので宜しくお願いします

 
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