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青年期の性と生
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研究所客員研究員 武田雅都
2012/11/10
     不定期連続「性」年告白文 
SEXY LADY
 

  また例によってスケベな話を出来るというのは真に平和な証である。

「そもそも最近お前エロトークをしていないな」、と言う愛読者(友人)の期待に一つ応えようじゃないか、と言う粋な計らいである。エロをやってくのも楽じゃないんだからさ。

 最近は深夜と言えば洒落たアニメが増えたり、洒落たトーク番組やってたり、かつてのアダルト&コメディな番組は死滅したと言って良い。

 (文化がすたれりゃ国もすたれる)ってもんでしょう。

 いつぞやさる知人に「最近の男は押し倒す勢いが無いから」なんて言われると、我々は一様に性的不全な存在に押しなべて言われてるようだが、こうなってくると変に気取った教育なんてものは一体なんだったのよ?なんて話になってしまう。

 然し、私だって11歳でエロ本を初めて本気で読んで、近所の本屋の店長と格闘をした段階までは“健康優良男児”として上手くスタートしたし、デートだって、“いい所”まで行くのだけど、どうしてだか(インサート)する一歩手前で冷めてしまうのである。

 下着まではエロスが感じられるのは間違いない。相手をまさぐり、もみしだき、体勢を整え、服を脱がす。すると彼女の下着があらわになって、そのカラーリングやデザインがイメージとどんな位置関係にあるのかで、様々な“夢”が浮世に現れる。

 私のフェチゾーンはスポーティーなものだろうか?やはり、フラットな自分を見せてくる彼女に対して、どうも(日常的な先々を目論んでるな)と思うと、えもいわれぬ可愛らしさが胸にこみ上げて彼女の胸にしゃぶりつきたくなる・・と言う想像が脳裏をよぎるのも良いものだ。だが、いざヌードになると、どうしても印象派のアートとシンクロしてしまい、性的な対象から乖離してしまう事を間逃れない。

 こうなると勢いにかまけて一気に攻めて自分を「変態」として納得させてしまう他にないのではないか?と言う心持も少ししないでもないが、性の本質にあるのはまるで子供の様に無邪気な、純粋に昇華した、「相手を知りたい(識りたい)」と言う欲求であると考えている私にとって、その選択肢はナンセンスだろう。(つづく)

 
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