《ホーム》
青年期の性と生
14
研究所客員研究員 武田雅都
2018/2/1
     不定期連続「性」年告白文 
〜喜怒哀楽の挟間〜
 
 
 最近は恋愛も難しくなった。
 いや、今に始まった話ではないけど、難しい。
  好きとか嫌いという事が、 小憎らしいのに愛せずにはいられない、とか
  ふいに邪険にした時、 思いのほか、しょげてしまった人が、思いがけず
私を愛してくれていた、というものは、愛が深い感じがする。

 今は感情について、SNS時代だから、という定説によって 世間“一般的”に難しいこととして語る。

 しかしながら、はたしてどうか?
 私は、大人に叱る力がない、厳密には。回避している事実も 見逃してはいけないと、思うのだ。

 私は昔、空手をしていて上級生と事故があり、 なぜか私は練習を休ませてもらえなかったことがあったが、   なんとなく負けず嫌いもあったから耐えた。
 するとどうか。
  私はその時、初めて団体戦のメンバーに入れたのだ

 きっと先生は初めからそのつもりだったかもしれないし、しかし この一件を一つ、私を試した・・・ 
  そうとしか、思えなかったし、私は結局は満足な結果を出せなくて、しかし、
  我慢して使った先生を勝たせたい。
 そういう一心でその後大いに成長してきた経験がある。

 この時
 先生は表面的には厳しい、鬼のようでもある。
  しかし、
 害を加えた上級生に、無言の叱責をしてもいるのである。

 メンバーに入れず、練習もさせなかった。 一番厳しい沙汰である。
  また私にしたら一番の愛情表現でもある。
 
  さらに、叱ることにも決して声を荒げないでやったから。
 この人間の奥行き、簡単に解決してはいけない。

 SNSであっても、 私はもちろん、いろんなスポーツ選手の著作も恩師の話はたくさん出てくるだろう。

 また、教育、コーチングは、決して、今日、明日わからなくても、 三年もして分かれば構わない覚悟でいうときがあるはずだ。
  今はそういうことでは、 メディアも明日にも日の目を見たい、いわば 即席メディアなのである

 今や様々な人間の味わいが土俵際である。
 体で受けてから推す・・・
  社会全体も、取り組みを考え直さねばいけないかもしれない。

 

《 つづく》
 ご相談・問い合わせ
info@seikyoken.org