青年期の性と生 |
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研究所客員研究員 武田雅都 |
2014/3/28 |
不定期連続「性」年告白文 |
〜神話〜 |
皆さんにはこんな事はあるでしょうか?いえ、きっとないでしょう。すくなくとも一度愛を知っている人なら種を問わず等しく健全たるものでしょう。 私も月並みか人並み以上に女を愛します。あばたもそばかすも化粧もえくぼになるほど、そして醒めて行くのが何より怖くて、いつも怒気から遠い間柄でいたい。 ですが、一線をまたげないのです。 初めて接吻以上の気が芽生えたのは15でした。いえ、もっと早かったですが、実感として理解するには、と言う事です。 人気の無い夕暮れの林で密かに秘密と禁忌を味わうようにませた恋をしました。 緊張をもみ消すために、激しく彼女の温かみにふれて、互いの手は自ずと下に降りていき、そっとふれると、はっと思いました。「この不思議な穴から不思議に幼子がここから生まれてくるのか」 それは男とは全く違う清らかな曲線であって神聖不可侵そのものでした。 道徳とは、畏敬の念が脈々と受け継がれた末の言語を越えたものなんじゃないかと思いました。 私は何かすまない気がして、幸いにもまだあちらも覚悟が無いと言って、それきり済まして付き合っていましたし、何より年齢が年齢で、いざとなると責任の取れない事がタガになって、意外にもそれは決してお互い傷を与えない、安全ピンみたいなものでした。 次にもその次にもこういった事が起きました。 重ねて不思議続きですが、女の乳房も唇も首筋も襟足も皆愛しています。目じりのアイシャドウも、頬の薄紅も、マスカラも同様です。 ですが、あと一歩の所で、どうしてもあの尻が露わになってしまうと、不思議な安心感に見舞われて何かが狂ってしまうんです。 盆行事のあの夏の夜に轟々と燃え盛る卒塔婆を見詰めるように、或いはお御堂で十字架のキリストに対面するように、向かい合っては己の全てを露わにして、少し気恥ずかしく、何とも言えず下を向いていながらも決して悪い気分じゃない、そんな厳かな感覚があろう事か大して年端も変わらない女性には天賦の才が等並に備わってるのです。 一見、あれはバカなんじゃないか?と思う軽薄な者さえ、いいえ、そのあっけらかんとした軽薄な振る舞いや笑い方さえも全ては愛の故に、あの矢継ぎ早のお喋りさえも、月のさわりから来る体調不良の翳りさえも、全てはあの陰部の輝きを目前にして、私には否定出来ないものです。 もっと酷い言い方をすれば、押さえつけられたような、捕らわれに至るのです。 ですから、統計学的には性的不全者と言うのはインテリに多いと言いますが、インテリにならざるをえない、インテリなんて大逸れずも、知恵に頼むでもないと、果たして自我を知ってからの人生をどう消費していくのか検討のつかない、寧ろ哀れな人種こそが、インテリなんじゃないでしょうか? 逆に何故暴力的な力に逃れずにまるで好んで留まる様な女もいるのかがうっすらわかりますが、恐ろしく単純な狩猟的本能を開陳する事は、性の発作に駆られない場合は常に懐刀のようにしておくものを、一介の紳士が露骨にそれを口にするのは、神経質とは無縁の余りにも“健康”な様子を露わにするのと同じで、女性からしたら可愛らしくさえ見えるんじゃないかと思うんです。 昔、国語の講義で、愛について、所謂「LOVE」の解釈が分からず、旧時代の文人達はその謎について随分骨折って研究してますが、実はそれこそが既に愛の不可知に陥ってるんじゃないかと思う反面、自分にそれに近い“聡さ”が生まれるほど余裕があると思ったとき、もし目前に情婦がいたら不思議な衝動で抱いてしまいたいほど、むずむずとした奇妙な焦燥に駆られました。 着物とは女体のこと、尻の輪郭を美しくする反面、乳房のふくらみが小さくて、私にとって性の刺激には程遠いようで、洋装は、活動的で自由な肉体を露わにし、悉く破廉恥であって全くの誘惑ではないかと思うと、いち早く近代的になった西洋は、この問題にも随分早く行き当たって、そうしたんじゃないかと思うと、妙にスッキリします。 女性は不思議といつまでも笑いをやめませんが、それはまるで胎内の宇宙のようで、とても神秘的な気がして、可愛いという気持ちと惹かれる何かが渾然一体となっておしよせるんです。 ですから、その得意の笑いで流して下さい。 私をその気にさせて下さい。そして行く所まで行かせてください。 或いは泣いてみますか? |
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