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研究所所員 南 定四郎
 

高齢者の性を満喫すること

2012.6.10

  性教育の必要は小中学生、あるいは思春期の若者に限定されているような気がしてなりません。しかし、高齢化社会の現代においては高齢者にこそ性教育の必要性を説かねばならない、と思っています。

 たとえば、八十才の私に「高齢になると精力減退となるから性行為は出来ないでしょう」と、質問されることがあります。私の実体験から言えば、高齢であろうが、精力減退しようが、性行為はまだまだ十分に実行できす。

 これから、書き続けてゆく妄言は高齢者の性に対する世の偏見をただす「老いの一徹」とも言うべき、ささやかな抵抗に類することです。

 とは言え、高齢者の性が若者たちと同等ということはあり得ません。性行為が生殖を目的にして行われることは生物に与えられた自然の法則でありましょう。

 男性が高齢者になるということは生殖を果たすための精液の蓄積がゼロに向かって身体細胞が変化する過程をたどる宿命にさらされることです。当然、精液が枯渇するときが訪れます。

 だからと言って、人生に失望するのは早トチリと言うべきものです。性行為の多様性と身体環境への適応性は人間が健康な脳細胞を持ち続けている限り、消滅することはないと信じています。

 脳細胞が活発に活動している限り、体性感覚系の働きもまた重要な役割を演じています。

 体性感覚とは刺激に対する身体感覚のことを言います(ミゲル・ニコレリス著/鍛原多恵子訳『越境する脳(ブレイン・マシン・インターフェースの最前線)』早川書房刊)。

 私が『越境する脳』を読み解いたところによれば、ラットのような実験動物が褒美を得るためにヒゲに接触する障害物の刺激を羅針盤にして、誤りなく判断して餌にたどりついた実験報告があります。それは、ヒゲから得られる体性感覚に導かれるからだ(『前同書』一五九ページ)、と解説されています。

 この実験は性行為を達成課題としたものではありませんが、体性感覚というものの存在と役割を語る科学の実例を紹介したものなのです。

 性行為にも体性感覚がきわめて重要な役割を果たします。聴覚、視覚、触覚、臭覚という感覚分野を総動員して脳細胞に信号を送り、興奮性の応答を引き出すのが体性感覚です。

 この感覚は使えば使うほど鋭くなりますし、豊富な情報を脳内に送り込み発火させます。しかし、高齢化した身体細胞は応答に時間を要します。そのため、根気よく粘らないと性的興奮状態は訪れません。ここが、若者たちの性と異なるところです。

 精液がゼロになった高齢者には射精という現象は起きません。そこで、世間一般の人々は「射精しないのだから快感はない」はずだ、と思い込みます。けっして、そうではありません。人それぞれに時間と身体部位の差異はあろうかと思いますが、快感はちゃんとあるのです。

 射精とは精液が尿道をほとばしる作用のことを言いますが、精液がほとばしらなくても、太股を緊張させて奔出する気体のようなものが湧き上がる快感を私は若者と同じように満喫しています。

 高齢者こそ性を学ぶ必要があるのです。学習と反復鍛錬こそ、性を満喫する土台となるからです。

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