月刊「ゆた かな くらし」

連載より

bT
研究所所長 高柳 美知子
 

性抜きに老後を語れない

◆「人生80年」時代

 

 総人口に占める高齢者の割合が7%を超えている社会を「高齢化社会」、14%を超えると「高齢社会」というのだそうです。データによると、わが国がこの高齢化社会に突入したのは1970年。高齢社会の開幕は1994年。2000年には15、6%となり、さらに昨年の日本人の平均寿命は女性が84,93歳、 男性は78,07歳。100歳以上は11346人にのぼり、男女別でみると女性が8割を占めています。まさに「人生80年・90年」の到来です。この比率がさらに20%を超えると「超高齢化社会」になるのだそうで、二〇〇六年頃にはそ

の域に到達する見通しだとか…。

 15年にわたる侵略戦争がようやく敗戦によって終止符を打ったのは1945(昭20)は、男23,9歳、女37,5歳。恋人や夫になるはずの沢山の若者が戦場で命を捨てた、いや捨てさせられた現実を端的に示した言葉に「トラック 一台の女に、男一人」というのがありましたっけ。

 それからまだ60年足らずの時間しか過ぎていないというのに、長寿国への突入の速さには驚きです。この間、戦争が一度も無く平和な生活が続いたこと、そのために経済が発展して医学の進歩と所得水準があがったことがその理由にあげられるでしょうか。

  

◆男女90%が「性行為あり」

 ところで、女性の閉経の平均は50歳前後。「人生50年」と言われていた時代は、閉経期と人生の閉幕の時期が相前後して訪れるわけです。男性の場合もまた仕事人生の後は、人生の終点を迎えるまでの余生の時間でした。

 それでは、前人未到の「人生80年」の出現が、老年期の性にどのような波紋を広げているのかを見てみましょう。

 性衝動は年とともに自然に衰え、やがて枯れていくものーこのまことしやかな「迷信」は、今なお根強いものがあります。当然ながら、「いい年をして」「年甲斐もなく」などの言葉もいまだ死語になっていません。

タブー視されていた老年期の性の実態に果敢に迫った保健師の大工原秀子さん(『老年期の性』『性抜きに老後は語れない』の著者、1992年没)の二回にわたる「老人の性の実態調査」によると、1973年の第一回調査では、《性的欲求》が「全くなし」と答えた男性は11%です。1985年の第二回調査ではさらに減って9%です。《性行為の有無》については、「あり」は73年調査で77%。85年調査では96%です。高齢期の男性は、枯れてなどいないというわけです。

 では女性はどうでしょう。73年の第一回調査では、《性的欲求》の「全くなし」は66%。第二回目が41%です。《性行為の有無》では、「あり」が73年では46%。85年ではなんと二倍の92%です。

 性行為の数値でみる限り、男女の差はほとんどありません。高齢期の女性の9割が、今なお、性交の現役であるとは頼もしい限りです。大岡越前守が母親に女の性を尋ねたところ、「灰になるまで」と答えた話を彷彿とさせるではありませんか。

 とはいえ女性の場合、性交「あり」の数値と、性的欲求の「全くなし」の数値との格差が気にかかります。性的欲求がなくても性行為があるということは、俗にいう「おつとめ」としてのものなのでしょうか。結婚生活で豊かな性の享受を受けてこなかったことが、この数値から透いて見えるようで悲しくなります。

 一方、《性行為の相手》についての女性の回答は、73年では「配偶者以外の異性」が5%という低い数値であったのが、85年になると、なんと四倍の21%にアップしています。女性の性意識・性行動の地殻変動が数字からもかいまみえて興味深いことです。

 ここまで大工原秀子さんの調査を追ってきたのですが、第二回の1985年からすでに20年を経ています。この20年の間に、高齢者の男女の性関係に変化はあるのでしょうか。

 2000年発行の『カラダと気持ち ミドル・シニア版ー40代〜70代セクシュアリティ1000人調査』(発行・三五館 編者・セクシュアリティ研究会)をみてみましょう。 

「性は男性がリードするものだ」「応じるのが妻の心得だ」「女性から求めるのは恥ずかしい」の項目は、60代、70代の男女ともに、他の年代に比べて高い数値を示しています。月経を「汚れ」の意識を植え付けられた妻と、「男根神話」の呪縛にからめられた夫の性のかかわりがあぶり出ていますね。

 

◆性愛の復権を

 

 NHK学園生涯学習講座「人間と性」を担当していたときのことです。高齢の方々からも、たくさんの性の相談や質問をいただきました。

 「私の妻は生殖を目的とするセックス以外は拒み、よそに女をつくれといいます。12時過ぎまで別室でテレビを見たり、うたたねをして寝室(夫婦同室)に来ます。私が求めても、もう遅いからとか、眠いからなどといって拒否をしま

す。私は人生にとって性生活は大切なものと思っておりますが、妻の意向を無視するのもどうかと思い、悩んでいます」

 これは、66歳の男性から寄せられた相談です。身につまされる方もおいでなのではないでしょうか。人生の年輪をともに刻んできた夫婦の性の行き違いは、このご夫婦に限らないことは、前述で紹介した調査からも推測できます。

 それにしても、どうしてこうした行き違いがおきてしまうのでしょうか。

 長年、マリッジ・コンサルタントとしてご夫婦の性の相談相手をつとめられた奈良林祥先生が、生前、よく語ってくださったのは次のようなことでした。

 「性交という行為によって女性が性欲を満たしてゆけるためには、二人の間の愛情と、信頼関係と、それプラス精神的安定の三つの条件が揃っていることが殆ど不可欠です」「膣という女性のからだの中でも桁外れに鈍感な部分を男に提供するというマイナス条件を背負っての性交という行為でありますから、性交という環境の中に心から埋没しないと女性の性欲が満たされるということはまず望み薄」 

 「性抜きに老後は語れない」とは、大工原秀子さんの著書のタイトルです。保健師という仕事を通して高齢者の方たちとホンネの付き合いを重ねる中で、夫婦の性愛を軸にした皮膚への語りかけの大切さを知った大工原さんは、「肌のふれあいは皮膚を刺激する。この刺激は皮膚に散在している知覚神経を促し、脳が活性化する。肌をぬくもり合う快い感覚は自立神経系に働いて、イライラや、不安の解消にも役立ち、心を安定させ、成人病やボケの予防にも役立つ」といいます。 また、「最後のセックスのすすめ」として、終末の性器へのケアを提案しています。「最後は自分の好きな人に手をにぎってもらう。夫婦であれば性器へのスキンシップを」の彼女の提案は、人々に大きい反響、とりわけ高齢者の心に共感とはげましを与えました。

人間はいくつになっても性的存在です。生殖を目的としない高齢期の性は、性器の結合だけを問題にしないコミュニケーションの性、生きていることの確認の性です。手や唇、乳房や愛の言葉の交換は、ペニスやバギナと同じく立派な性器。若い頃とは違った性愛を味わい、たのしんでほしいですね。