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月刊「ゆた かな くらし」 連載より |
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研究所所長 高柳 美知子 |
少年と性ーその不安ときめき |
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◆「男の子のマーチ」
女の子と違って、男の子が自分の性器と出合うのはとても自然です。これは、からだの構造に関係があります。なにしろ男の性器は、自分の目で見えるところにありますし、手で触れるのにも丁度いい位置にあります。触れれば、やわらかく、あたたかい…。 風呂上がりの裸ん坊の男の子が、自分のおちんちんをねじったり、ひっぱったりして遊んでいるのを見て、「男の子って、こんなふうに自分の性と出会うのか」と感じ入ったことがあります。男の子にとっては、自分の性器に触れることは、鼻の先や耳たぶに触れるような手軽さなのでしょう。 こうした親密な「からだ(性)」との出会いに加えて、“おちんちん”なる愛称までもっているのは羨ましい限りです。 |
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谷川俊太郎の「男の子のマーチ」です。なんとも愉しくて、自然と頬がゆるんできます。つぎに、小学一年生の男の子の“おちんちん”の詩を紹介しましょう。題は「おふろ」。 |
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ではもう一編、同じく一年生の女の子の「おとうとのちんちん」をどうぞ。 | ||
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◆不安とときめきとー射精・自慰
自分の性器をオモチャ替わりにしていた男の子も、二次性徴の射精をむかえる頃になると、その無邪気さは一転します。 射精は、精巣で作られた精子がペニスを通ってからだの外に飛び出すこと。射精には、女の子の月経と違って快感が伴います。月経のように、自然の周期に支配されるわけでもありません。つまり、いつでも可能ということです。小学六年生頃から急増し、中学の三年間で八割の子が体験します。思春期の男の子の悩みのトップは、この射精と自慰です。 芥川賞作品『蛍川』(宮本輝)は、こうした少年期の性の不安とときめきを瑞々しい筆致で描きだしています。 「竜夫、ちんちんの毛、もう生えてきたかァ?ちょっと父さんに見せてくれェ」「いやじゃ。まだちょっとしか生えとらん…」 竜夫は体を固くさせて答えた。(略)「牛島さんとこの良雄は、もうぼうぼう生えとるに、俺はまだそんなに生えとらん」 「早ませにろくな奴はおらん。早よう咲いたら早よう散るちゃ。わしも遅かったから、お前もやっぱり遅いがや」(略)「男の子やからもう覚えたやろが、あんまりちんちんには触るなや」 竜夫は真っ赤になりながら下を向いた。何もかも父に話してしまおうかと思った。あれを覚えたのは誰もいない校庭だったこと、木によじのぼっているうちに、急に変な気持ちになったこと、何かにしがみついてこすり合わせるとそうなること、そんなところを誰かにみられたら、もう死ぬしかないと心に決めながら、突きのぼってくる熱の魅力に抗えないこと、そしてその瞬間、裸の英子が目にうかぶこと…
しんしんと雪の降りしきる夕べ、父親と息子が枕を並べながら話し合うシーンですが、そのやりとりには体温のような温かさがにじみでています。 この他、『青春の門ー筑豊編』(五木寛之)『影絵ーある少年の愛と性の物語』(渡辺淳一)などにも、自慰に悩む少年の姿が克明に描かれていますが、こうした作中の少年との出会いのなかで、私は、「えっ、男の子って隠れてこんなことをしてたの」と驚きながらも、「そうか、男の子もやっぱり性に悩みながら大人になるんだ」との親近感を覚えたものでした。 しかし、文学作品の中でなく、今日真っ只中を生きる男の子が、いまなお、自慰に悩まされているとしたら、これは問題です。 じつは、私はこの十年来、ある児童誌で性のコラムを担当しています。そこで私は、「ミチコ先生」と呼ばれているのですが、毎月、全国の小学五、六年生からたくさんのなやみ相談が届きます。
「ミチコ先生、こんにちは。ぼくは近ごろ、ほとんど毎日、おちんちんをさわって射精をしています。一日に何回もしたくなることがあります。もうやめようかと思うんだけど、やめれません。ぼくは、すぐにおちんちんがボッキして固くなります。それで、すぐにしたくなってしまいます。こんなにオナニーをしたくなるぼくは、少し、おかしいのですか? ぼくは、こんなにたくさん射精していて、精液がなくなったりしないですか? おちんちんが変になったりこわれたりしませんか? もし、精液がなくなったり、おちんちんがこわれちゃったりしたらぜったいいやです。ぼくは、どうしたらいいでしょうか?ぼくは、オナニーをしていることを誰にもいっていません。このことは誰にも聞けないし、学校でも教えてくれません。ぼくははずかしくて誰にもいえません。もしかしたら、ぼくはヘンタイ? ミチコ先生、教えてください。お願いします」
いかがです、なんとせつない手紙ではありませんか。 この少年をここまで追いつめたものーそれは、「勃起」にも「快感」にもふれない保健教科書、その教科書通りにしか教えない教師、わが子に性を語れない親たちです。 なにも難しく語る必要はありません。思春期の男の子が自慰をするのは自然なこと。自分のからだを自分でいとおしむことは素敵なこと。ただし、人に見せない、見られないマナーが大切。なぜなら、性器はあなたのプライベートゾーン(自分だけのとっときの場所)だからよ…と、ただそれだけでいいのです。 しかし、残念ながらわが国の性をめぐる状況は、「性教育後進国・性産業先進国」の恥ずべき度合いをますます強めていくばかり。科学的な性の知識を得られないまま、みすみす性産業の餌食にさせられる子どもたちの不幸を思わないではいられません。
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