セクシャル・マイノリティー
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「同性愛を哲学する」
 
人間と性”教育研究所事務局長

性と生」研究サークル代表

南 定四郎  
 

哲学することの散歩(その8)

―― 「ネットワーク」について ――

 

 あるアメリカの社会学者の研究によれば、転職を試みようとしたA氏が2種類のネットワークによる選択を行ったところ目的達成度はを次の通りです。

(1) 職場や家族など普段から親しくしているネットワーク集団に転職先の紹介を依頼した。

(2) 普段は全く交際をしていない教会での顔見知りや数年ぶりに出会った学校の同級生に転職先の紹介を依頼した。

 以上の方法で「転職先が見つかったのは(2)であった」というのです。

 この話は放送大学のラジオ番組で聞いたものですが、解説によれば、

「(1)のネットワークは普段からよく親しんでいる集団であるために人間関係については既知の情報しか集められず、A氏を満足させるものではなかった。それに比べて(2)のネットワークは構成員があまり親しくないか、数年ぶりに会った集団であるために既知の情報はなく、それぞれの目標やライフスタイルも異なっていたので、それだけ情報の範囲が広かった。そのため、A氏の選択肢は数多く提供されてその中から満足する転職先を見つけることができた。」と言います。以上は1つの事例紹介なので、詳しい論考は放送大学の科目を受講してください。

 同性愛者の社会における性愛「ネットワーク」を私なりに定義すれば、 @人々が 協力関係をとることによって目的を達成すること、 A見知らぬ人(あるいは無関係な人)同士が紹介者を通じて知り合ったり、直接にコンタクトすることです。

 @の多くの場合、ネットワークを構成する人々が相互に熟知しており、なおかつ同じ場所にいることによって目的を達成し、Aの場合、ネットワーク参加者は目標あるいはテーマに対する親和性を抱き、他者への協力が自分にも適用されると信じて、相互に知り合うことがない(匿名の場合もある)としても協力します。ただし、このネットワークは@Aともに「同性愛行為の相手の発見あるいは接触」を目的とするものです。

  

 冒頭に述べたアメリカの社会学者の転職についてのネットワークを研究した報告を聞いて、私にはたいへん興味深いことだと思われました。なぜなら、社会学的リサーチによれば(1)親和的集団よりも(2)疎遠集団の方に目的達成度が優位であったという、人間関係論が示され、その手法と結論が同性愛者の人間関係論を考える場合にも生かすことができるからです。「同性愛者が性的対象を探すネットワーク」にはさまざまなものがあります。とりあえずアトランダムに列挙すれば次の通りです。

@ゲイ・バー。

Aハッテン場(映画館など本来の目的に相違して出会いを求める場となる)。

Bゲイ・マガジンの文通欄。

C街頭。

Dインターネットの出会い系サイト。

Eゲイ・ホテル。

 もっと多くのネットワークがあるかと思われますが、以上で打ち止めにいたします。

 ここに見られるネットワークは、「分散的ネットワーク」と言われるものです。それは空間的な束縛から解放されて生みだされたネットワークだからです。ゲイ・バーにしろ、ハンッテン場にしろ、ゲイ・マガジンの文通欄にしろ、街頭にしろ、インターネットの出会い系サイトにしろ、ゲイ・ホテルにしろ……ネットワークを構成している人々は家族や職場や地域社会などの空間で生ずる個人の束縛から逃れてネットワーク社会に集まってきた人々です。ネットワークを可能とするのは都市という人口過剰な社会が作り出す受け皿です。都市では個人を束縛することのない匿名性を獲得することができます。

 一例をあげれば、たまたま出身地の地方都市に帰郷した若者の行動は人々に見透かされています。午前中にデパートで買い物をすれば夕方までにはデパートで何を購入したか、その品名を近隣住民が知っています。どこかの喫茶店で誰かと会っていると、相手の性別、氏名までも即日のうちに知れ渡ります。目に見えぬ監視人がいて人々を監視し、当該人物の行動をつぶさに報告しているかのような気分に襲われます。

 それは、フランスの哲学者でAIDSのため死亡したミシェル・フーコーが『監獄の誕生(監視と処罰)』(田村俶訳・新潮社・1997年刊)の中で詳細に述べている<一望監視装置>、フランス語で言う「パノプティコン」に放り込まれた運命的な人間と同じです。パノプティコンとは何か?フーコーの『監獄の誕生』(246〜247ページ)には詳細に記述されていますが、いささか長い叙述なので内田隆三氏の解説をご紹介します。

 ――18世紀ジェレミー・ベンサム( Jeeremy Bentham )によって考案された理想の監獄建築であるパノプティコン(一望監視施設)について見ることにしよう。フーコーはその仕組みを次のように説明している。

  原理はこうです。周辺には環状の建物、中心には塔。塔にはいくつかの大きな窓がうがたれていて、それが環の内面に向かって開いています。周辺の建物は独房に分けられ、独房のおのおのは建物の内側から外側までぶっとおしになっています。独房には窓が二つ、一つは内側に開かれて塔の窓と対応し、いま一つは外側に面して独房の隅々まで光を入らせます。そこで、中央の塔に監視者を一人おき、おのおの独房に狂人、病人、受刑者、労働者あるいは生徒を一人入れればいいのです。逆光の効果により、周辺の独房に閉じ込められた小さなシルエットが光の中に浮きあがっているのを塔からとらえることができます。(伊藤晃訳『権力の眼』)

 まず、パノプティコンは囚人を「個別化」する。パノプティコンのなかに閉じ込められた者はすべて、独房のなかに孤立させられる。次にパノプティコンにおける視線の非対称性という問題がある。囚人には中央にある監視塔の内部が見えない。だが、囚人は中央監視塔からたえず見られている可能性があり、彼はそのことを知らないわけにはいかない。彼はこの「確証しえない視線」によって間断なく、一方的に見られる存在に変えられるのである。(内田隆三『ミシェル・フーコー』176〜178ページ・講談社現代新書・1992年刊)

 「パノプティコン」について、引用文は「「確証しえない視線」によって、間断なく、一方的に見られる」と述べています。このように視姦され、個人情報を奪われ、自己露出に否応なくさらされて息詰まる空間は居心地が悪いのは当然のことです。そのような田舎町から東京へ戻り、新宿駅の雑踏に身をゆだねたときに「ほっとする」と、その解放感をつぶやいた若者がいました。それは、匿名性を保障する都市社会の解放性を意味するものであり、このような状態の人々が求める「分散的ネットワーク」の1つにゲイ・バーがあります。そこでは名前はニックネームで呼ばれ、職業も住所も年齢も学歴も明示しません。聞かれれば、自分にとって不都合にならないことだけを答えるのが通例となっています。

 

 しかし、長い月日を同じゲイ・バーに通い続け常連となった人々は 「 @ネットワークを構成する人々が相互に熟知しており、なおかつ同じ場所にいることによって目的を達成する」行動様式を自然体で選び取ります。つまり、性愛対象を得るために、相互協力を発揮して紹介し合うということです。

 ある場合にはカップルを組んでいた2人の関係を解消し、別の常連の求めに応じて性愛対象を移動させることもあります。また、常連が別の場所で知りあった人物を紹介・取次のために積極的につとめることもあります。 このような相互協力の拠点としてゲイ・バーが機能し、そこでは酒を売ることのみが営業手段ではなく、いかに客同士の情報を収集し、それに基づいて誰と誰を結びつけたらいいかなどの人的コーディネイターとしての役割を発揮することがマスターの大きな能力として要求されます。容貌やスタイルや話題などの好感度が高く、そして床入り(性愛実技)のいい客であれば、「紹介」という高価な商品となるわけで、そういう客が多いという評判がたてばお店も繁盛するというわけで、カウンターの中にいるマスター(経営者)にしてみれば客も立派な商品なのです。

 

 ここにある行動様式は社会心理学の分野において解明されており、人間関係のコミットメントについて日本人はどのような行動をとるかという問題としてとらえられていますそこで、次の記述を読んでみましょう。

 ――社会的不確実性が存在すると人々は特定の相手との間にコミットメント関係を形成しようとすること、そしてコミットメント関係が形成されると、その内部では「安心」が提供されることを意味している。つまり、コミットメント関係が形成されると、その内部では相手から騙されたり搾取されたりしてひどい目に遭う可能性、つまり社会的不確実性が低下することを意味している。日本社会が「信頼社会」だという常識は、このこと、すなわち日本社会はコミットメント関係のネットワークが張り巡らされている社会であり、それぞれのコミットメント関係の内部で人々はお互いに安心して暮らしていることを意味している。(山岸俊男『日本人の社会的行動――信頼――』84ページ・山口勧『三訂版・社会心理学(アジア的視点から)』所収・放送大学教材・1999年刊)

 上記の引用文は社会的不確実性を解消するために人々が取る行動のコミットメント関係は「安心」を提供すること。そこでは「騙す」「搾取する」という不安材料は払拭され、「信頼」が確保されると説明しています。これまでにスケッチしたように、ゲイ・バー内における「紹介」のネットワークは「「安心」が提供される」空間です。しかし、この社会は1984年以後に「社会的不確実性」の萌芽が見られ「信頼社会」はHIVウイルスによって虚構となってしまいました。「紹介」によって性愛対象を得たもののHIVウイルスに感染したということになれば、「安心」は崩壊し、客の商品価値は暴落してしまいます。引用文にある「信頼社会」こそゲイ・バーの存立を左右するものだからです。(以下次回へ続く)

 
 

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