セクシャル・マイノリティー
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「同性愛を哲学する」
 
人間と性”教育研究所事務局長

性と生」研究サークル代表

南 定四郎  
 
哲学することの散歩(その6)
 

 前回哲学することの散歩(その5)に書いた文章のうち「A「失われた時」への執着」に関する項目を修正し、もう少しくわしく述べることと致します。

 ある方と三十数年ぶりにお会いしました。話が終わって立ち上がろうとしたとき、「昔の人と会うのはいやですね」と、おっしゃいます。「若年のときとは付き合う人がまったく変ってしまいましたからね」と、その理由を付け加えました。

 昔の人」である私は、この言葉に長い間こだわってきました。不快に思ったからではありません。逆に、はっと胸を突かれる思いがしたからです。彼が言わんとしている何が「いや」なのか? と。

 彼は詩人でもあり著作もありますから、他人に失礼にあたる言葉を使う人物ではありません。むしろ、言葉を選んで話をします。ですから、その場合は警戒したり、心の準備をすることもなく、ホンネを言ってしまったのでしょう。  

 三十数年ぶりに再会した二人は一気に遡行して、未熟な時代の少年とメフィストフレス的な青年の立場にあった人生に立ち戻ることとなりました。三十数年の時間はそれぞれの人生に変転をもたらし、少年は名をなし、青年は一介の老人となって対面しています。

 少年は老人と会話をかわすたびに過去の自己に対面させられます。老人の幾つかのエピソードに対応はしないまでも、それらの時間経過の裏側にある自分の姿が見えてきたことでしょう。それは、鏡の前に立ったときのように自分をかくすことなく写しだしています。  

 そのような自省を迫る存在が「昔の人」です。自省を迫るのは、老人の側にある のではなく、かっての少年が中年を過ぎて思い出を掘りおこす過程に浮かび上がってきた内在化されたイメージが自省をうながすと言っていいでしょう。決して、好ましいイメージばかりではありません。むしろ、その多くは悔恨とともに浮かび上がってきたものではないでしょうか。  

 プラトンは『アルキビアデス』(一三三 a)で次のように述べています。  

 

 

誰か人の眼をのぞきこむと、自分の顔が相対する眼のおもてにあたかも鏡に見るように映っていて、この鏡のようなものをまたわれわれは人見(ひとみ)と呼んでいるが、そこに映っているものはのぞきこんでいる者の写影みたいなものなのだ。

田中美知太郎訳 

谷川渥『鏡と皮膚』p23  ちくま学芸文庫・200 1年刊

 

  恐らく、彼は眼をのぞきこんでいたのではなく、「昔の人」の態度や物腰、話ぶりに鏡を感じたのでしょう。  

 ところで、彼が「昔の人」と言い、「付き合う人が変わった」と言う、その口ぶりは至極客観的で、自分のことではないかのようでした。まるで、ここにはいない誰かのことを説明しているかのような言葉の響きがありました。その態度は、逆に私にとっての鏡となりました。かって少年の彼は、そのような口ぶりで友人の誰彼の噂をしたものでした。やがて、その友人たちが消えていき、いや、消えるというよりも語るのをはばかるようになると、自分のことを他人事のように静かに語るのでした。それを成長と言っていいのか、あるいは環境の変化と言って いいのか、私はしばしば戸惑いました。その戸惑うたびごとに、私も人生の変化があり、いま、同じ声音で「昔の人と会うのはいやですね」と聞くと、「私自身の昔」を鮮明に思い出してくるのです。同じようにして、私もまた彼を鏡として 自分の姿を覗かざるを得ないのでした。      

 ジャン・コクトーの映画『詩人の血』(1930年)では、鏡の表面が水面のように揺らめき、その瞬間、詩人は冥界に入って行くことができる。1049年の『オルフェ』では、コクトーはこの意匠を繰り返しながら、これを全篇鏡のドラマに仕立て上げている。鏡は現世と冥界との通路になっている。(『前同書』p37)と、述べられているように「鏡は現世と冥界との通路」であるならば、「昔の人」とはまさに、現在と過去の通路になるものでした。その通路が眼の前にあるとなると、否応なく過去に踏み込むこととなります。そこへは踏み込みたくないというのが、彼の「いや」なことの実体であろうかと思います。単純に過去をふりかえりたくない、というよりも、あのときの選択を変更したいと思うほどの「いや」なデティールが彼の脳裏をよぎったのではないかと思います。それは過ぎ去ったというのではなく、そのようなことの積み重ねが今を築いている、その出自に「いや」さがかぶさるのでしょう。  

 この話には続きがあるのですが、あとで戻ってくるとして、オルフェウスの物語に寄り道をします。  

 鏡を通路として冥界に降りたオルフェウスは「地上に帰りつくまでうしろを振り向かない」ことを冥界の王と約束して妻のエウリュディケーをともない帰還しました。 しかし、まさに地上にたどりつく瞬間に振り返ってしまいます。エウリュディケーは冥界に引き戻されてしまい、オルフェウスは失敗してしまうのです。

(略)生と死との、男と女との、俗と聖との間には、「見てはならない」という禁忌(タブー)が置かれており、「見る」ためには禁忌を破り、境界を侵犯しなければならない。冥界は生者の眼から隠され、女は男の眼を避け、聖なるものは俗なるものの前に視覚化されることを嫌う。

(略)禁忌を破り、あえて見ようとする者の前に立ちはだかるのが、鏡にほかならない。

(略)オルフェウスは、生と死、男と女、俗と聖という少なくとも三つの境界を音楽(註:縦琴の演奏)によって乗り越えながら、「見る」という行為のうちに復讐をうける。それは、おそらく「見る」ことが、鏡に映った自分自身を見ることにほかならなかったからである。(『前同書』p35)

 ここで、立ち入って読みとくならば、「冥界」「女」「聖」なるものに対応するのが「生者」「男」「俗」であり、それは見ることを禁止されており、あえて見ようとすれば鏡が立ちはだかる、と言います。だから、一般の人々は鏡の前でたちすくまざるを得ません。それを乗り越えたオルフェウスの振り返りをとらえて、「見る」から「鏡に映った自分自身を見る」に収束し、「復讐をうける」と決着するのです。

  つづめて言うならば、「見る」は「復讐をうける」のです。「昔の人」が「いや」なのは「見る」ことによって生起する「復讐」を回避したいからでしょう。しかし、多くの人々は「見る」誘惑に抗しきれません。    

 マルセル・プルーストは『失われた時を求めて』という長編小説全十三巻を残して1922年に死んでいます。享年五一歳でした。『失われた時を求めて』というフレーズはオルフェウスの振り返りにも重なるきわめて象徴的な言葉です。なぜなら、人は安易に「失われた」と思う「時間(過去)」を求めるからです。「時間(過去)」とは、残酷に今の自分を打ち、まざまざと映し出してくれるものです。その残酷性を避けて「失われた時を求める」ことは出来ません。しかし、人々は安易に追い求めようとします。私もそうでした。  

 2003年6月にパリから西南115キロ余にあるイリエ・コンブレという町を訪れました。小説に登場するレオニー伯母の家が「プルースト記念館」となって保存されているからです。ここにプルーストは滞在したのです。中庭にあるベンチは少年のプルーストが坐ったものでした。台所を通って階段を上がるとプルースト少年のベッドがあり、ナイトテーブルには母親が就寝前に読んでくれたというジョルジュ・サンドの『フランソワ・ル・シャンピン』がありました。

 三階にはプルーストの写真が壁一面に張ってありました。 そこは華麗でもなく、便利でもなく、鬱蒼とした樹木の葉に覆われており、プルースト生誕百年を記念して町に改称された村でした。『失われた時』の現実はひなびた田舎の村でした。駅舎には一人の駅員が勤務するだけです。  

 そこで、あらためて『失われた時を求めて』という小説が描いた「失われた」時代を探索することにいたしましょう。 (略)その時代とは、作者の生きた十九世紀末から「ベル・エポック」と呼ばれる二十世紀初頭のフランス社会だ。その頃の一見華やかな社交界や、そこで交わされる才気と警句に満ちた会話、きらびやかなモードや、サロンの栄枯盛衰が示す人間模様、当時の政治的事件や、社会的状況、たとえば「ドレフュース事件」と呼ばれるあるユダヤ人将校に加えられた冤罪(えんざい)事件や、それがもたらした波紋、当時の舞台芸術や音楽界の様子から、第一次世界大戦当時の同性愛者の行動に至るまで、実にさまざまな局面にわたって、一つの時代が克明に映し 出されている。まるで華麗な風俗小説か、歴史的な資料の一大宝庫を開けたようだ。(鈴木道彦『プルーストを読む』p29〜30・集英社新書・2002年刊) と、いう時代です。

 プルーストがこの時代を去ってから8年後の1930年にジャン・コクトーは自伝的小説『告白』を発表して同性愛者であることを公然化しました。同じ年には鏡を通路としたオルフェウス連想の映画『詩人の血』を発表しています。  

 プルーストの一生を通じて、この一編しか書かなかった『失われた時を求めて』は鈴木道彦氏(この小説の翻訳家)によれば同性愛者であるシャルリュス男爵と次々に登場する同性愛者の生態と「同性愛についての考察が展開される物語」(『前同書』p158)です。

 この物語の時代とそんなに変わらない、むしろその世界を視覚化したと言っても差し支えないのがジャン・コクトーの作品群です。 日本では1993年と2001年に「ジャン・コクトー展」が開催されていますが、とりわけ、2001年展は『ジャン・コクトー展 [美しい男たち]』とタイトルがつけられていました。  

 レーモン・ラディゲ、ジャン・デボルト、マルセル・キキ、ジャン・マレー、エドゥアール・デルミットという五人の美しい男たちとコクトーの写真、コクトーの絵画、ポスターなど「華やかな社交界や、そこで交わされる才気と警句に満ちた会話、きらびやかなモード」(『前同書』p30)をふんだんに再現したヴィジュアル展でした。  

 鏡の比喩を引用した『鏡のセットを通りぬけるジャン・マレー』(1937年頃)はモノクロ写真で、若い美男のジャン・マレーがぴったりと張り付いたパンツ一枚で裸体をさらしています。青のボールペンと色鉛筆で描いた『エロテイック』(1940年頃)は裸体の男性がからみついた絵です。

 

僕らの恋の組紐(くみひも)は搦(から)み合わせて樹に彫った/文字と似ている/ベッドの僕らの肉体は縒(よ)れ縺(もつ)れ/そなたの名とジャンの名の組み合わせそっくりだ。

(「平調曲」より、堀口大学訳)・ちくま学芸文庫・200 1年刊)

 

 の詩が添えられています。

  鏡に写した裸体のように相似形に描かれた男性ヌード。

 そこに展開している男性群像や風俗は、第二次世界大戦以後に東京で満開に咲き誇った同性愛者ワールドと二重写しになって見えました。  

 まだ見ることのない、冥界へ降りてはいかない鏡の手前にいる自分にとって、絵物語の世界とは復讐されることのない安全地帯です。安全地帯で空想する「失われた時」を求める人々がいます。残されたわずかな時間に華麗な空想を体験してみたいと思うのです。  

 同性愛者であることを隠して生きた人生の終末に、「今生の思い出に同性と性愛を結びたい」と言う老人に多い願望です。  

 しかし、鈴木道彦氏が案内する『失われた時を求めて』には、「失われた時」が決して甘い幻想ではないことが描かれています。      

 シャルリュス(註:前出。同性愛者の男爵)はほとんど性愛の殉教者と言ってもいい人物で、最後には脳卒中となり、やっとそれから立ち直って、ジュピヤン(註:シュルリスのかっての愛人)に身体を支えられながら、よろよろとシャンゼリゼ大通りを歩いている姿が示される。すでに死の影の下に組みこまれた人間の 優しさをたたえているこの落剥(らくはく)した老プリンスは、まるで「シェークスピアのリヤ王のような威厳」を備えていて、快楽を生ききった人間の末路として、非常に感動的な一場面を構成している。(『前同書』p168)      

 私という「昔の人」に会った中年の男性は、「昔の人と会うのはいやですね」と、思わず漏らしてしまった言葉を手がかりに、「見る」とはどういうことか、そこに「失われた時」の何が見えるのかなどを考えてみました。同性愛者であるということの光も影も避けることのできない人生に、老人である私は「昔の人」という決して輝かしくはない「失われた時」でさえ引き受け、あるがままに生きざるを得ません。

(07,8,17.)
 

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