ミチコ先生の「性」ってなに?
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〜エイズって?〜
 
30)心に挑戦状をたたきつけて〜薬害エイズ訴訟原告・M君〜
 
  血友病のM君が自分のHIV感染を父から知らされたのは、中学1年のとき。アメリカから輸入した血液製剤が原因でした。 「たとえ短かろうと、その凝縮された生命は神様からあたえられれたものだ。自分の運命を知って、それに勇気をだして立ち向かってほしい。何も知らずにただなりゆきにまかせる人生でなく、自分の病気を知り、これと闘って輝いて生きてほしい。勇気をもって自分の心に挑戦状をたたきつけ、おおくの人びとに希望をあたえる人になってもらいたい」
 

 真剣に語るは父の目に涙がいっぱい。
 自分はなぜ、こんなひどい目にあわなければいけないのか。何か原因で、だれに責任があるのか。M君は、薬害エイズ裁判にくわわることを決意。最年少の原告としての闘いの日びがはじまりました。弱った体で、厚生省前のテントに座り込みも・・・。そして1996年2月----ついに厚生大臣が原告に謝罪、製薬会社も加害をみとめました。

 しかし、M君の健康はかえらず、17歳の秋、ついに力つきて亡くなりました。

 
31)実名を公表して闘った川田龍平さん

 

  

 ぼくをこわがらないで(28)―で登場した、アメリカの少年ジョナサン君(赤ちゃんのときの輸血でHIVに、感染)の来目歓迎会場に、突然、やさしい顔立ちの18歳の青年がたずねてきました。そして、「子どものときにうった血液製斉で、自分もHIVに感染させられた」というのです。
 この青年が、あとに 「もう黙っているのはやめよう。堂どうと生きていこう」と、自分の名前を公表してたたかうことを決意、薬害エイズ裁判の原告団副代表として、厚生省と企業に真正面から立ち向かった川田龍平さんです。


 「こんな小さな子どもがエイズと闘っているのにと、自分がすごく恥ずかしくなった」
 この日のジョナサン君との出会いを、龍平さんは、こう話しています。


  
 1996年3月―薬害エイズ裁判は和解が成立。そして龍平さんは、いま強い副作用のある薬を飲みながら、「人権アクティビストの会」の代表として、また「龍平学校」の責任者として、人権を守る闘いに、日び立ち向かっています。
 

32) エイズ―何が問われているのか

 
  いままでに登場しジョナナン君、M君、川田龍平さんは、血液によHIV感染したのでしたね。しかし、現在の日本の病院でつかう輸血や血液製剤は、安全性をきびしくチエックしたものをつかっているので心配しなくてだいじょうぶ。これからはセックスによる感染者の率がぐんとのびていくでしょう。


 感染ルートはちがっても、この病気をかかえて生きていくのはと
ても大変です。エイズにきく特効薬がまだ見つからないというだけでなく、感染を知られたときのまわりの偏見や差別的な対応を恐れて、病気をかくして暮らさなくてはならないからです。
 

 HIVというウイルスがねらっているのは、人間の「いのち」よりも、じつは人と人との間の友情や愛情をこわすことなのかもしれません。
 

 

 

 どうぞ、病気や差別とたたかっている人を 「ひとりぼっち」にさせないようなあなたになってください。病気よりももっとこわいもの---それは、病気とたたかっている人を差別や排除、無視する心ない仕打ちです。

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