熟年の性を考える

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                             研究所副所長  岩淵 成子
2012.11.3.

「いい人」を「恋しい人」に

 先日、高校の同窓会があり、一度やってみたかった「普通電車」での帰郷をして来ました。新幹線なら乗り換え無しで2時間足らずで行くところを、3回乗り換えて、待ち時間を入れると6時間近くかかりました。乗車賃だけで済みましたから、1万円強お得になりましたが、通路を挟んでの「お見合い電車」の連続は1回やれば「もう結構」でした。

 デイトで乗った電車と同じ路線を走っていても、かつては「ボックス」ばかりだった車内が、今は「お見合い」ばかりに変わり、互いの目を見つめ合い、存在を確かめ合う雰囲気はなくなってしまいました。デイトも情緒が無くなって、互いの関係もドライにならざるを得ないと感じました。

 そんな電車のなかでしたが「想い出」は、よみがえりました。
  中学から高校の頃は、次々と「恋」をしていました。それもほとんどは片思いです。
  制服のボックスプリーツのスカートは、寝押しをしないため、折り目が無くなって「丸太」に近くなっていたり、すかない髪のお下げは、編んだ縄のれんをようになっていたりしたので「いい人」とは見られても「恋しい人」と見られることは少なかったらしく、相思相愛にはなかなかなれませんでした。

 成人後も、なかなか「恋しい人」には、出会いませんでした。
  こちらもかなり「理想」が高く、身長は・・・、ルックスは・・・、などと考えていたからでしょうか。「いい人」には何人か出会ったのですが、それを「恋しい人」にすることができませんでした。
  若いときには、とかく「外見」を中心におきがちです。

 熟年期の今はどうでしょうか。外見よりも「内面」を重視する男(女))に変化しているでしょうか。
  アメリカ人と日本人は、おとなになっても「外見」で判断しやすい。フランス人は、外見ではなく、ウィットにとんだ話し方とか、話題の広さを含めた教養の高さなどを判断基準にすると聞いたことがあります。

 「ブスは3日でなれる。美人は3日で飽きる」という言葉も聞いたことがあります。
  熟年期の我々が、これからの長い「老年期」を共に暮らす相手として誰を選び直したら良いのでしょうか。
  「こんなおたふくを選んだつもりは無かった」「こんな鬼瓦とこの先ずっと一緒では・・・」などと考えていませんか。

 かつては「この人と・・・」と、思い定めた相手です。何を願って共に暮らし始めたのでしょうか。何が心に響いたのでしょうか。再度確認してみてください。そして、改めて決意してみてはいかがでしょうか。「共に暮らして行こう」と。

 

 

 
《つづく》
 

 

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