bT2 |
研究員 岩淵 成子 |
煮干しで行くか、一夜干しになるかは 自己選択 |
『週刊現代』が「熟年のSEX講座」を連載しています。 2/22発売号では、高柳所長が取材を受け、コメントのほんの一部が掲載されました。 HPの「熟年の性」を見たからでしょうか。私宛に「3/20発売号に関して、明日の午後3時までに取材をお願いしたい」というメールが届きました。今日の明日で取材を終わり、4日後には発売です。週刊誌は締め切りに追いまくられていることがよく分かりました。 取材時は「70歳からのセックス」で話を聞きたいとのことで、それに合わせてあれこれ話しました。ところが、発売された雑誌では「人生は60歳から 準備と実践編」となっていたので「あら。取材の結果ボツになったのかしら」と思いましたが「死ぬまで『性旬』70すぎても『現役』の時代です」として掲載されていました。しかも、取材時に話した「煮干しになりますか」が小見出しに使われていました。 「あなたは煮干しになりますか、それとも一夜干しで行きますか」といつも話していると書かれていますが、いつもは誇張です。取材で話したのが初めてでした。 「熟年の性」で書くつもりで温めていたネタでしたが『現代』に先を越されてしまいました。とはいえ、理由づけまでは載っていませんから、ここでご披露したいと思います。
「枯れる」という言葉が、高齢者に向けて言われますが、私の感覚では「枯れる」は、年とって風格が出てきた場合の、褒め言葉のような印象があります。熟年以降でセックスが無くなり、スキンシップさえ取っていない方を表す言葉としては、ピッタリ来ません。
何か良いたとえがないかと、無い知恵を絞りました。その結果考えついたのが「煮干しと一夜干し」です。 煮干しは、水気がすっかり無くなってひからびて、原形を留めていない場合もあります。ダシを取るには大変貴重な存在ですが、取った後は捨てられてしまうことも多く、主菜として食卓に上ることは殆どありません。 一夜干しは、まだまだ原形を留め、主菜として食卓に上ったり、酒のつまみとしては重宝されます。
生ものが絶対で、干した物はそれに劣ると言うつもりはありません。辛辣すぎるたとえで賛成できない、との声があるかもしれません。肌の張り具合や醸し出す雰囲気としては、年齢差はどうしようもない面があります。だからこそ、意味のあるたとえとして『現代』が小見出しに使ったのだと思っています。 一夜干しで行くか、煮干しになるかは、お肌の手入れによるなどと言うつもりもありません。お肌の具合でいけば、私自身が煮干しに近い存在ですから。 私の感覚として、人生最後まで「主菜」で居たいと思うだけです。自分の人生の主人公でありたいと願うのです。そのためには「一夜干し」でいたいと考えます。 読者の皆様からの反論があるかもしれません。どうぞ遠慮せずにお寄せください。誌上論議を深めて、よりよい姿を導きたいと考えています。 |
|
ご相談・問い合わせ |