熟年の性を考える

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                             研究員  岩淵 成子
 

世間の評判より互いの幸せ

 

 不倫報道は視聴率稼ぎになるのか、繰り返し繰り返し報道されています。
 女性キャスターとプロ野球選手との不倫で、キャスターは降板しました。次は女性アナの不倫が報じられています。ついでにという感じで、男性アナもです。

 不倫に限らず、今までの「世間の常識」からはみ出た行動は、とかく非難の的になり、「糾弾」されます。
 熟年離婚や再婚についても、常識破りであればこそ、報道され、ドラマ化されるのでしょう。当たり前のことになってしまったら、報道もされなくなります。

 だからといって、「世間の常識」に従い続けることが、幸せに通じるかどうかは、保障の限りではありません。
 たとえば、今までの日本の常識では、たとえ夫婦であろうと、人前で手をつなぐなどという行為は、許されないことでした。
 何事も、「常識」を変えていくのは、若い世代からですから、若い人たちにとっては、今や当たり前の行為ですが、熟年以上にとっては、越えられないハードルの一つではないでしょうか。

 恋人関係になることも、まだまだ高いハードルだと感じます。 
 熟年再婚の第1歩たる「熟年パーティ」が新聞に報道されたら、半日で定員の100名を超えてしまったとのことです。それだけ要求はあるのです。
 しかし、これは「結婚」を前提としたお見合いです。だから、「安心」して申し込みができるのでしょう。

 結婚するまでの決心がつかないから、「恋人」でいたいと考えると、すぐさま「世間の目」が迫ってきます。不倫ではなくても、「ふたりは妖しい関係」で「いい年をして、若い者のまねをして」などと「仲間はずれ」にして、ふたりの関係をつぶしにかかります。

 見たくない人に性器や性交を強制的に見せる。相手にセクハラ行為をする。などということは許されない犯罪行為ですが、高齢のふたりが「恋人関係」になるのは、ある人にとっては不快かもしれませんが、禁止されるべき行為ではありません。

 不快に思う人が、「常識」を味方に付けただけの、不当な行為をしているわけですから、そのために、自分の幸せを棒に振るなどは、愚の骨頂と思います。
 そもそも「常識」というのは、その時代の多数者の合意にすぎないのですから、時代とともに変わっていきます。そんな根無し草のようなものにとらわれず、自分の幸せを掴むことを大事にすべきだと思いますが、読者の皆様はいかがお考えでしょうか。

 

 
 

 

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