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今月のコラム

“人間と性”教育研究所所員

高松アヤコ


(2012/8/24更新)

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  7.16 “さようなら原発集会”に参加して     

  

 

  梅雨明けの炎天下、その集会は始まった。目標の10万をはるかに超える人たちがぎっしり公園にうまった。教職に就いていた友人が去年の9・19集会に一人で参加したことを聞かされ、どうせなら二人で一緒にと言うことで誘い合って猛暑の中参加した。

 7人の呼びかけ人の挨拶はどのアピールも私たち聴衆を揺さぶった。3・11以降マスコミはこぞって原発問題を報道しているが、その裏に企業のエゴ、報道する側の身勝手さが見え隠れする。

  挨拶の中で特に次の言葉が心に響いた。

 「100年前自由を奪われた時代があった。過去の人たちが苦労して自由を守ったから今日があるのだと。いま原発をとめる、政府の方向を変えることになるか、わからない。それでも集まらなければならない。たとえ相手が聞かなくても言い続けよう」。

 これは齢90才になられた瀬戸内寂聴氏の言葉。90才とは思えない明るく凛とした呼びかけに感動した。

 

 以前労組の書記をしていた頃、メーデーによく参加した。80年代までのメーデーは統一メーデーと言って、今のような分裂集会ではなかった。幾度となくメーデーに参加し、今回表参道のケヤキ並木をデモしたが、昔のことが蘇りとても懐かしかった。

 

今回の集会で特徴的だなと感じたことは、子ども連れの家族がたくさん参加していたことだった。人間は二十歳になるまでに細胞分裂を繰り返し、60兆個もの細胞を形成すると言う。だから、小さな子どもほど放射性物質の影響を受けやすく、親たちは深刻なのである。小さな子ども達のシュプレヒコール「原発反対」「再稼動反対」の黄色い声は、沿道を歩く人たちに大きな勇気と慰みを与えた。最後までデモ行進しなかったが、意識の中では十分参加した満足感はあった。

 ここで思い出すのが60年安保。あの闘争は、今なお語り草的な出来事であり、歴史の中でも国民が意思をもって表現した大きな“たたかい”の一つであった。

 もしあの時、安保破棄が実現していたら日本はどう変革しただろうか? 多分、地震多発国である日本、世界で唯一の被爆国である日本に、54基もの原発が建設されることはなかったのではないか? 

 そして沖縄県民にあのような苦痛と苦渋を負わされることはなかったのではないか? 

 あの時と同じような状況に今置かれているような気がする。原発ゼロの道か、部分容認か! この歴史的な17万人集会に参加できたことに誇りをもち、原発ゼロの道へ大きく舵取りしてくれることを強く望む。





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