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今月のコラム

“人間と性”教育研究所所長

高柳美知子


(2011/12/25更新)

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太平洋戦争勃発から70年
  80歳になった“戦争っ子”が今、思うこと


 

  「大本営陸海軍部発表、帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋に於いて米英軍と戦闘状態に入れり」。太平洋戦争勃発を告げる臨時ニュースを読み上げるアナウンサーの上ずった声が、師走の烈風とともに日本列島を走りぬけていった昭和16年12月8日から、今年は丁度70年です。戦争勃発の年に10歳(小学4年)だったわたしも、いまや八十路の日々を生きています。
 開戦の日、学校では、全校児童が寒風の吹きすさぶ校庭に集められ、「宣戦の大詔」の奉読と、内閣総理大臣東条英機の「大詔を拝し奉りて」と題する演説を聞かされました。総理大臣の演説は、むやみに声を張り上げるばかりで、小学四年のわたしには、そのほとんどがチンプンカンプン。にもかかわらず、わたしのからだは、心は、これから始まろうとしている何事かをしっかりつかみとろうと懸命でした。
 わたしは、満州事変が勃発した年の11月に生まれ、日中戦争に突入した翌年に小学校入学、小学4年の冬に太平洋戦争開幕、女学校2年の14歳の夏に敗戦。まさに戦争とともに成長した戦争っ子といえましょう。
 <日の丸・君が代・教育勅語>にパックされた軍国主義の思想を、生まれ落ちたときから空気のように呼吸し、一点の曇りもない軍国少女として生きたわたしの15年でした。
 とはいえ、少女が夢見る人であることは、何時の世も変わりはなく、中原淳一えがくところの、まつげの長い、瞳の大きい少女像にうっとり見ほれながら、雑誌『少女の友』や、吉屋信子、川端康成の少女小説に心をひたしました。兄の本箱からひそかに大人の小説を取り出しては読みふけったことも・・・。
 戦局の思わしくないことは、新型爆弾が落とされたり、イタリア、ドイツが降伏したことも、ソ連が参戦してきたことからも察していました。しかし、だからといって、それはちっとも降伏にはつながってはいかないのです。それどころか、さあ、次は本土決戦、一億の民が火の玉となって敵を迎え撃つときがいよいよきたと心底、思い込み、漠然とした不安はあるものの、きっと「神風」が吹いてくる・・・と、祈りにも似た切なさで思ったものでした。
 今にして思えば、14歳にもなっていて「神風」の吹くのを信じていたなんて、全く噴飯ものですが、それが15年戦争の申し子たるゆえんとでもいうのでしょうか。

 戦後66年、戦場・戦争体験者が少なくなってきているいま、語り継ぐことの意味が問われています。いまや、戦争っ子も出番なのです。





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