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今月のコラム

“人間と性”教育研究所理事

青木 清


(2011/3/28更新)

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「星の流れに」


 

  私は昭和12年生まれです。私より少し上の世代は軍歌で育った人たちで、いまでも私の知らない軍歌を多く歌える人たちです。私はいわゆる戦後歌謡曲の世代と言えるでしょう。そんな私に忘れられない歌謡曲があります。

 「星の流れに身を占って
 何処をねぐらの今日の宿
 荒(すさ)む心でいるのじゃないが
 泣けて涙も涸れ果てた
 こんな女に誰がした」

 RAA(特殊慰安施設協会)を知っていますか。    昭和20年、占領軍から日本婦女子の純潔を守るという名目で終戦の年の8月末に国家命令でスタートした日本に作られた連合国軍(占領軍)兵士向けの売春婦がいる慰安所です。  

「新日本女性に告ぐ。戦後処理の国家的緊急施設の一端として、進駐慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を望む」「キャバレーカフェバー・・・・国策的事業ニニ挺身セントスル大和撫子ノ奮起ヲ望ム」     こうして日本各所で慰安婦が誕生しました。  

 しかし、それで米兵などの性犯罪は防ぐべきもなかった。横浜・野毛山公園の米軍宿舎に連れ出された女中さんは、27人もの兵により輪姦をされ、仮死状態で帰されたという特高警察の記録も残されています。      このRAAがGHQ(連合国最高司令官総司令部)により廃止されたのが昭和21年3月、デモクラシーの理想に違反すると言うものでした。しかし、個人の自由意志による売春は認めるというもので、公娼は廃止するが私娼はOKというものでした。  

「GHQの指令で、今日限り慰安所は一切オフリミットとなったから皆さんに立ち退いて欲しい。皆さんの犠牲で多くの一般女性の純潔が守られました。どうかお国のために尽くしたことを誇りとなぐさめに、お別れして欲しい」政府が生んだアメリカ軍慰安婦たちは、こうして何の手当てもなく街に放り出されパンパンとなりました。    

 この歌を作詞した清水みのは、第二次世界大戦が終戦して間もない頃、東京日日新聞(現在の毎日新聞)に載った女性の手記「転落まで」を読んだ。

 もと従軍看護婦だった二十二歳の彼女は、奉天から東京に帰ってきたが、焼け野原で家族もすべて失われたため

「夜の女」として生きるしかない我 が身を嘆いていた。「引き上げてきたものの東京には、仕事もなく、やっと料理屋の仲居の仕事を見つけてホットしたのも束の間、其処は売春する所と分かり、びっくりして飛び出した。再び巷に飛び出し、浮浪者の仲間になって、空腹を抱えていた。そんな時だった。優しそうな男性が現れて、温かなおにぎりを食べさせてくれた。すっかり信用してその人について行くと、そこも売春の組織でした。こうして私は夜の女になったのです」

 清水は、戦争への怒りや、やるせない気持ちを歌にした。こみ上げてくる憤りをたたきつけて、戦争への告発歌を徹夜で作詞し、作曲 の利根は上野の地下道や公園を見回りながら作曲した。完成した際の題名は『こんな女に誰がした』であった。GHQから「日本人の反米感情を煽るおそれがある」とクレームがつき、題名を『星の流れに』と変更して発売となりました。  

 この歌は、昭和24年の春頃からヒットの兆しを見せ始め、ついには大ヒットとなった。歌詞に出てくる「こんな女にだれがした」という言葉は、一般大衆の間で流行語になった。特に、作品のモデルにもなり「夜の女」と称された娼婦たちの共感を呼び、彼女たちの間で歌われることが多かった] 彼女たちの中には、菊池を「おねえさん」と呼んで慕い、菊池の出演する劇場にも出かけて、熱い声援を送った者もいたという。

 「煙草ふかして    口笛吹いて      当もない夜のさすらいに
 人は見返るわが身は細る
 街の灯影の侘びしさよ こんな女に 誰がした」    

 彼女たちは叫んだ。「勝手だ」「退職金はどうした」「地獄を押付けやがって」                                                   

 街ですれ違った女たちが囁いた。「あれは慰安婦よ、進駐軍のね」                  

 「日本婦人の盾だ。日本の女性たちの純潔を守ったことは後世の人が報いる」とは・・・・みんな嘘だった ・・  戦争はいつでも人間らしさを奪っていくものです。なかでも人間の性は極端にゆがめられます。加害者としての中国や朝鮮の慰安婦問題。奪いつくし、犯しつくし、焼けつくす三光作戦。同時に日本でも多くの被害者を出し、戦争が終わってもそれは続きました・・・。  

「飢えて今頃妹はどこに
 一目逢いたいお母さん
 唇紅(ルージュ)哀しや 唇かめば
 闇の夜風も泣いて吹く
 こんな女に誰がした」

 (この稿は、インタネットと山田盟子さんの著作を参考にしました。)





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